長駄文館・・・早朝アイドリング為り。
- 2019/09/14
- 13:03
本日の早朝アイドリング為り。(9/14/19)
変な時間に目が覚めた。昨日は前日にPC清書した「世界史備忘録・・・ローマ史」に、打ち込み忘れた箇所を思い出し、加筆・印字して差し替えた。この処、手書きの纏めをPC清書として居るので、それらが追加されて行くと、好いお浚いが進む次第で在るし、散歩の友とも為って、呆け防止の『頭の反芻』に供して居る次第で在る。
何事に於いてもそうで在るが、世界史も通読を重ねて、全体把握をしないと、比較思考は育って来ない。全体の林、森を知り、その中の個々の木々、植物、其処で暮らす生き物の個別を知らないと、全体像も個別像も見えて来ない。
そして地球儀、地図に当たって、地理との関係で自然風土にも当たって、歴史事象の立体化、必然性などを想起して行かないと、幅も深見も生まれて来ないし、それが出来て来ないと、大人の教養・趣味としての世界史が生まれて来ない次第で在る。母の介護に充てて居た時間の有効活用として、当初、手頃な世界史辞書の心算で買って置いた分厚い本を学生時代の得意科目だったプライドで、老後の学習書として読み始めた『詳説・世界史研究』の主本で在った。
兎角、何かを物にする為には、個別を積み上げて、全体を創る。これは通読を積み増して、個別と全体の形を知り、積み上げる事で、個別と全体の輪郭、個々の形に対する精写と色付けの過程で在る。
真に面倒では在るが、頭の出来が宜しく無いから、継続反復をして行くしか方途は無い次第なので在る。然しながら、覚えて、世界史を俯瞰するには、如何しても避けては通れない関所、修行の様な物で在る。
また、大人の教養・趣味として、歴史を『参考の友』にするには、個別分野の専門・単一孝に為るよりは、総合・多能孝に進みたいと思う。そして、それが教養・趣味の目標と為るのが、自然の流れと云う物で在る。
誕生⇒成長期⇒盛期⇒衰退期⇒滅亡と国家も他の生物と同じ生命の過程を辿る処が、歴史が人間に示唆する『教訓』と云って好かろう。人間も社会も国家も、拠って立つ自然環境、言語、生活手段、死生観、宗教、仕来たり、法、外交、経済、軍事、政体・・・etcの色んな要素から成り立って居る。
これでも一応は古希坂住人で在るから、中学、高校生の歴史単語の詰め込みだけでは、お茶を濁す話は出来ても、歴史は物を語っては呉れない。
お役御免の身で在るから、幸い時間だけは漬け物にする程在る。そして社会経験、人間観察経験も其れなりに積んで来た次第で在るから、歴史記述の行間を読む力も、それなりに在ると自惚れて居る次第で在る。
そう為ると、歴史と少なから『対話』が出来る様に為って来る。その喜びが出て来るのも、愉しみの一つなので在る。呆けるまで続けるべし、対話すべしが吾が納得性で在った。
以上が寝床での頭に浮かんだ次第で、睡眠時間も程良かった次第で、何時に無く、バッコン腹筋体操、ストレッチでのアイドリングをしてからの4時起きで在った。
好い時代で、独り遊びの金の掛からない道具としては、PCに勝るものは無い。思った事、感じた事、考えた事を、其の儘、中指一本で文章化出来るので在るから、時間潰しには持って来いの代物で在る。アハハ。
さて、5時で在るか。足が冷えて来たから、少し二度寝をしてから、朝飯と致そうか。
心置き無く二度寝が出来る独り暮らしは、有難い物で在る。朝飯を食べて、本日は30度を超す夏日に成るとの予報で在ったから、全戸開放して寝具、座布団を太陽に干し、掃き掃除をする。金魚、グッピィへの補給水をして、ラジオの俳句の時間を聴く。
本日は6時から旧草刈トリオの懇親会のお誘いで在るから、シャワーを浴びて洗濯機を回す。全戸開放すると空気の通りが好く成って、気持ちが好い。9月の半ばとも成れば、お天道様の刺が和らいで居る。庭に現れる蝶にも、季節の変わりが見受けられるし、柿の実も知らぬ内に目立つ様に成って来た。
夕刻散歩をすれば、紅、白、ピンクの百日紅とコスモスの花盛りにして、フラワーセンターでは、ミニシクラメンが出始めて居る。歳の所為で在ろうが、兎に角一年の巡りの早さにはニヤ付くばかりで、歌の文句では無いが、季節、年は巡ろうとも、『私は何を残したのだろう』の感で在る。いやはや、困った物で在る。
変な時間に目が覚めた。昨日は前日にPC清書した「世界史備忘録・・・ローマ史」に、打ち込み忘れた箇所を思い出し、加筆・印字して差し替えた。この処、手書きの纏めをPC清書として居るので、それらが追加されて行くと、好いお浚いが進む次第で在るし、散歩の友とも為って、呆け防止の『頭の反芻』に供して居る次第で在る。
何事に於いてもそうで在るが、世界史も通読を重ねて、全体把握をしないと、比較思考は育って来ない。全体の林、森を知り、その中の個々の木々、植物、其処で暮らす生き物の個別を知らないと、全体像も個別像も見えて来ない。
そして地球儀、地図に当たって、地理との関係で自然風土にも当たって、歴史事象の立体化、必然性などを想起して行かないと、幅も深見も生まれて来ないし、それが出来て来ないと、大人の教養・趣味としての世界史が生まれて来ない次第で在る。母の介護に充てて居た時間の有効活用として、当初、手頃な世界史辞書の心算で買って置いた分厚い本を学生時代の得意科目だったプライドで、老後の学習書として読み始めた『詳説・世界史研究』の主本で在った。
兎角、何かを物にする為には、個別を積み上げて、全体を創る。これは通読を積み増して、個別と全体の形を知り、積み上げる事で、個別と全体の輪郭、個々の形に対する精写と色付けの過程で在る。
真に面倒では在るが、頭の出来が宜しく無いから、継続反復をして行くしか方途は無い次第なので在る。然しながら、覚えて、世界史を俯瞰するには、如何しても避けては通れない関所、修行の様な物で在る。
また、大人の教養・趣味として、歴史を『参考の友』にするには、個別分野の専門・単一孝に為るよりは、総合・多能孝に進みたいと思う。そして、それが教養・趣味の目標と為るのが、自然の流れと云う物で在る。
誕生⇒成長期⇒盛期⇒衰退期⇒滅亡と国家も他の生物と同じ生命の過程を辿る処が、歴史が人間に示唆する『教訓』と云って好かろう。人間も社会も国家も、拠って立つ自然環境、言語、生活手段、死生観、宗教、仕来たり、法、外交、経済、軍事、政体・・・etcの色んな要素から成り立って居る。
これでも一応は古希坂住人で在るから、中学、高校生の歴史単語の詰め込みだけでは、お茶を濁す話は出来ても、歴史は物を語っては呉れない。
お役御免の身で在るから、幸い時間だけは漬け物にする程在る。そして社会経験、人間観察経験も其れなりに積んで来た次第で在るから、歴史記述の行間を読む力も、それなりに在ると自惚れて居る次第で在る。
そう為ると、歴史と少なから『対話』が出来る様に為って来る。その喜びが出て来るのも、愉しみの一つなので在る。呆けるまで続けるべし、対話すべしが吾が納得性で在った。
以上が寝床での頭に浮かんだ次第で、睡眠時間も程良かった次第で、何時に無く、バッコン腹筋体操、ストレッチでのアイドリングをしてからの4時起きで在った。
好い時代で、独り遊びの金の掛からない道具としては、PCに勝るものは無い。思った事、感じた事、考えた事を、其の儘、中指一本で文章化出来るので在るから、時間潰しには持って来いの代物で在る。アハハ。
さて、5時で在るか。足が冷えて来たから、少し二度寝をしてから、朝飯と致そうか。
心置き無く二度寝が出来る独り暮らしは、有難い物で在る。朝飯を食べて、本日は30度を超す夏日に成るとの予報で在ったから、全戸開放して寝具、座布団を太陽に干し、掃き掃除をする。金魚、グッピィへの補給水をして、ラジオの俳句の時間を聴く。
本日は6時から旧草刈トリオの懇親会のお誘いで在るから、シャワーを浴びて洗濯機を回す。全戸開放すると空気の通りが好く成って、気持ちが好い。9月の半ばとも成れば、お天道様の刺が和らいで居る。庭に現れる蝶にも、季節の変わりが見受けられるし、柿の実も知らぬ内に目立つ様に成って来た。
夕刻散歩をすれば、紅、白、ピンクの百日紅とコスモスの花盛りにして、フラワーセンターでは、ミニシクラメンが出始めて居る。歳の所為で在ろうが、兎に角一年の巡りの早さにはニヤ付くばかりで、歌の文句では無いが、季節、年は巡ろうとも、『私は何を残したのだろう』の感で在る。いやはや、困った物で在る。
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