長駄文館・・・熟睡の朝為り。
- 2019/10/17
- 14:53
熟睡の朝為り。(10/17/19)
久し振りに好く寝た物で在る。熟睡に適して来た季節到来と云う事なのだろう。それにしても、昼が短く成って物で在る。少し早目の散歩とするかで、庭から柿の齧りながら土手に上がると、隣班のAさんで在る。
これから散歩? そう。だったら散歩に同行しますわ。ちょっと待っと呉れ、俺一人が喰って居たら申し訳無い。
そんな次第で、柿を一つ持って来て、柿を齧りながらの同行散歩と為り、ああだ、こうだと昔を振り返りながらのゆっくりした散歩にお付き合いして来た次第で在る。亡長兄の歳で在るから、私より8歳上で在る。
男兄弟5人の4番目の生まれで在るから、私は年長者との話の方が体質的に合う。これも昔好き昭和の雰囲気に浸れるからなのだろう。今時のテンポの速い饒舌な会話は、間が薄い次第で面白さに欠けるものと感じて仕舞う次第で、語る人の人生観が見えて来ないので、短い言葉と間の中に在る含蓄を得る雰囲気が無いので在る。云う為れば、業務連絡の様な説明、意思言葉が多用されて居る感じで、一方通行の感がして疲れて仕舞う次第で在る。
晩飯の用意をして居ると、「これ、カアちゃんが持って行ってって」と、いやはや、ミカン、リンゴ、ナシの差し入れを頂戴して、採って置いた甘柿のお返しと相成った。
柿落ち葉も溜まって来た、本日のウォーミングアップに落ち葉掻きをして居ると、「久し振り、元気そうじゃん。安心した」の声で在る。幼馴染のお隣さんからの声掛けで在る。
聞けば恐ろしく為って川の増水を見に行って、娘の所に避難したと云う。50年前の松本市街地の胸まで浸かる大浸水を経験して居る世代で在るから、そんな話で盛り上がって仕舞った。
落ち葉を搔き集めて、落ち葉溜めに入れて、押さえに枇杷の切り枝を載せる。あれだけの雨に晒されると、石コロが浮き出る次第で、少し石拾いをする。漸く薄日が出て来たので、熟睡の糧・布団を外気に当てて、掃き掃除とする。風呂を追い炊きとして、朝飯までの間を本日のブログ打ちに充てる。本日はパスポートの取りに、ドライブして来なければ為らない。
昨日のサブ本の頁捲りの最大の拾い物は、フランク王国カール・マルテルの戴冠による西ローマ帝国の復活エピソードで、『こんな事に為るのなら、ローマに来なければ好かった』の嘆きをずーと読み流して来たのだが、その当時のフランク王国の首都は、現在のオランダとベルギーの境に在ったとの記述を見て、カールの嘆き節が漸く解った次第で在る。
復活西ローマ帝国のフランク王国、その後の神聖ローマ帝国も、その本拠地は現在の独で在る。神聖ローマ帝国時代は『ローマの牝牛』と散々に利用され続けたと云うからして、東ローマ帝国のギリシャ正教での『皇帝教皇主義』のローマカソリックVSギリシャ正教の対立、宗教革命の先駆と為ったポーランドのフス戦争共々、宗教改革の狼煙ルターが独で起こったと云う歴史の整合性も腑に落ちた次第で在る。
後ろ盾を失って、先細りするローマカソリックが、ピピンの寄進に依って『教皇領』を得て、中世ヨーロッパのキリスト教世界に於けるローマカソリックの聖界と俗界を並立させたローマカソリックの『姦計』たるや、空怖ろしい次第で在る。
異端追放、追放、宗教裁判に明け暮れて、異を唱える者は火刑のオンパレードをして来たローマカソリックは、ラテン語聖書と聖職者界層を徹底して、独自の1/10税、結婚税、誕生税、死亡税・・・etc、聖像と大聖堂の建立で、十字軍鼓舞に際しては贖宥、免罪符を発行するなどこれを姦計と云わずして、何とするかの段で在る。そんな次第で、中世ヨーロッパの精神世界に君臨し続ける政策を採り続けた。宗教革命の先駆と為ったポーランドのフス戦争共々、独のルター、仏のカルヴィンが登場しても何らおかしくない歴史経過が在った次第なのだろう。
それに対して、476年の西ローマ帝国滅亡後、1453年まで約千年近く永らえた東ローマ帝国には『宗教的混乱』が無かった事にも、遅まきながら気付いた次第で在る。
それともう一つ、9C~11Cに掛けて活躍したのがヴァイキングの時代と云われて居る歴史で在る。海に面したノルウェイは北海を自由にして、一方スウェーデンは内陸大河川を駆使して、黒海、地中海に乗り出し、活発な地中海・東方貿易をして居たそうな。
ヨーロッパ、イングランドに進出した大勢派と異って、ノルウェイ・バイキングは、アイスランド、グリーンランドを介して北米にも至って居たと云う。
コロンブスの15Cに先立つ事6Cも以前の事で在る。平面地図だけを見て居ては驚きの快挙では在るが、地球儀を見れば真に短距離で在る。当時のオール&小マストの最大でも5~60人程度のヴァイキング船でも充分な航行距離で在る。何しろ、縄文丸木舟でもご先祖さん達は大海に乗り出して居たとの由で在るから。
但しノルウェイからの最短航行距離でも、緯度が高過ぎて、移民も略奪も叶わぬ『地の果て・北寒の大地』で在った事が、不幸だった筈で在る。現地食料の調達さえ確保出来れば、北米東岸沿いにインディアンとの共存の米大陸史が出現して居たのかも知れない。
斯様な次第で勉強するには、或る一定の人生経験と、その時期を迎えて来ないと歴史を咀嚼(そしゃく)出来ないと云う事なのだろう。
この歳に為って、思う事はもう一度、義務教育を受けて、『向学心』から教師諸氏に思い切り質問をしたいと思う次第で在る。
この頃は、顔を見ないが、『お宅は、蔵書は何冊持って居るか。私は3千冊の蔵書を持って居る』と高飛車に絡んで来た90歳の元小学教諭が居て、私に白髪頭をバチンと叩かれた次第で在ったが、・・・。
お元気だったら、私の専門では無いが、大人の歴史談義以上に、歴史質問の連射をして見たい次第で在る。へへへ。
さてと、本日分ブログの字数も頃合いと為って来た。昼近く成って仕舞ったが、朝飯として風呂に入ると致そうか。
風呂に入って、お天道さんに膨らんだ布団を取り入れて、面倒で在るから布団を敷いて置く。出掛けるには充分なマイタイムが在るから、午前中に打って置いた本日分ブログに打ち足しをして、置くと致そうか。
久し振りに松の横枝に、シジューカラが遣って来た。落ち葉が嵩む時季と成って、柿の実りがオレンジに花咲く頃で、何時の間にかツバメ達も南に帰って仕舞った。夏鳥ツバメとバトンタッチするのが、北国の使者・ジョービタキで在る。春はツバメとバトンタッチし、秋はバトンタッチして渡って来る越冬の小鳥で在る。
さてさて、これ以上の長駄文は宜しく無い。弟に甘柿を採って、本瓜の醤油漬け、梅干しなどを差し入れすると致そうか。へへへ。
久し振りに好く寝た物で在る。熟睡に適して来た季節到来と云う事なのだろう。それにしても、昼が短く成って物で在る。少し早目の散歩とするかで、庭から柿の齧りながら土手に上がると、隣班のAさんで在る。
これから散歩? そう。だったら散歩に同行しますわ。ちょっと待っと呉れ、俺一人が喰って居たら申し訳無い。
そんな次第で、柿を一つ持って来て、柿を齧りながらの同行散歩と為り、ああだ、こうだと昔を振り返りながらのゆっくりした散歩にお付き合いして来た次第で在る。亡長兄の歳で在るから、私より8歳上で在る。
男兄弟5人の4番目の生まれで在るから、私は年長者との話の方が体質的に合う。これも昔好き昭和の雰囲気に浸れるからなのだろう。今時のテンポの速い饒舌な会話は、間が薄い次第で面白さに欠けるものと感じて仕舞う次第で、語る人の人生観が見えて来ないので、短い言葉と間の中に在る含蓄を得る雰囲気が無いので在る。云う為れば、業務連絡の様な説明、意思言葉が多用されて居る感じで、一方通行の感がして疲れて仕舞う次第で在る。
晩飯の用意をして居ると、「これ、カアちゃんが持って行ってって」と、いやはや、ミカン、リンゴ、ナシの差し入れを頂戴して、採って置いた甘柿のお返しと相成った。
柿落ち葉も溜まって来た、本日のウォーミングアップに落ち葉掻きをして居ると、「久し振り、元気そうじゃん。安心した」の声で在る。幼馴染のお隣さんからの声掛けで在る。
聞けば恐ろしく為って川の増水を見に行って、娘の所に避難したと云う。50年前の松本市街地の胸まで浸かる大浸水を経験して居る世代で在るから、そんな話で盛り上がって仕舞った。
落ち葉を搔き集めて、落ち葉溜めに入れて、押さえに枇杷の切り枝を載せる。あれだけの雨に晒されると、石コロが浮き出る次第で、少し石拾いをする。漸く薄日が出て来たので、熟睡の糧・布団を外気に当てて、掃き掃除とする。風呂を追い炊きとして、朝飯までの間を本日のブログ打ちに充てる。本日はパスポートの取りに、ドライブして来なければ為らない。
昨日のサブ本の頁捲りの最大の拾い物は、フランク王国カール・マルテルの戴冠による西ローマ帝国の復活エピソードで、『こんな事に為るのなら、ローマに来なければ好かった』の嘆きをずーと読み流して来たのだが、その当時のフランク王国の首都は、現在のオランダとベルギーの境に在ったとの記述を見て、カールの嘆き節が漸く解った次第で在る。
復活西ローマ帝国のフランク王国、その後の神聖ローマ帝国も、その本拠地は現在の独で在る。神聖ローマ帝国時代は『ローマの牝牛』と散々に利用され続けたと云うからして、東ローマ帝国のギリシャ正教での『皇帝教皇主義』のローマカソリックVSギリシャ正教の対立、宗教革命の先駆と為ったポーランドのフス戦争共々、宗教改革の狼煙ルターが独で起こったと云う歴史の整合性も腑に落ちた次第で在る。
後ろ盾を失って、先細りするローマカソリックが、ピピンの寄進に依って『教皇領』を得て、中世ヨーロッパのキリスト教世界に於けるローマカソリックの聖界と俗界を並立させたローマカソリックの『姦計』たるや、空怖ろしい次第で在る。
異端追放、追放、宗教裁判に明け暮れて、異を唱える者は火刑のオンパレードをして来たローマカソリックは、ラテン語聖書と聖職者界層を徹底して、独自の1/10税、結婚税、誕生税、死亡税・・・etc、聖像と大聖堂の建立で、十字軍鼓舞に際しては贖宥、免罪符を発行するなどこれを姦計と云わずして、何とするかの段で在る。そんな次第で、中世ヨーロッパの精神世界に君臨し続ける政策を採り続けた。宗教革命の先駆と為ったポーランドのフス戦争共々、独のルター、仏のカルヴィンが登場しても何らおかしくない歴史経過が在った次第なのだろう。
それに対して、476年の西ローマ帝国滅亡後、1453年まで約千年近く永らえた東ローマ帝国には『宗教的混乱』が無かった事にも、遅まきながら気付いた次第で在る。
それともう一つ、9C~11Cに掛けて活躍したのがヴァイキングの時代と云われて居る歴史で在る。海に面したノルウェイは北海を自由にして、一方スウェーデンは内陸大河川を駆使して、黒海、地中海に乗り出し、活発な地中海・東方貿易をして居たそうな。
ヨーロッパ、イングランドに進出した大勢派と異って、ノルウェイ・バイキングは、アイスランド、グリーンランドを介して北米にも至って居たと云う。
コロンブスの15Cに先立つ事6Cも以前の事で在る。平面地図だけを見て居ては驚きの快挙では在るが、地球儀を見れば真に短距離で在る。当時のオール&小マストの最大でも5~60人程度のヴァイキング船でも充分な航行距離で在る。何しろ、縄文丸木舟でもご先祖さん達は大海に乗り出して居たとの由で在るから。
但しノルウェイからの最短航行距離でも、緯度が高過ぎて、移民も略奪も叶わぬ『地の果て・北寒の大地』で在った事が、不幸だった筈で在る。現地食料の調達さえ確保出来れば、北米東岸沿いにインディアンとの共存の米大陸史が出現して居たのかも知れない。
斯様な次第で勉強するには、或る一定の人生経験と、その時期を迎えて来ないと歴史を咀嚼(そしゃく)出来ないと云う事なのだろう。
この歳に為って、思う事はもう一度、義務教育を受けて、『向学心』から教師諸氏に思い切り質問をしたいと思う次第で在る。
この頃は、顔を見ないが、『お宅は、蔵書は何冊持って居るか。私は3千冊の蔵書を持って居る』と高飛車に絡んで来た90歳の元小学教諭が居て、私に白髪頭をバチンと叩かれた次第で在ったが、・・・。
お元気だったら、私の専門では無いが、大人の歴史談義以上に、歴史質問の連射をして見たい次第で在る。へへへ。
さてと、本日分ブログの字数も頃合いと為って来た。昼近く成って仕舞ったが、朝飯として風呂に入ると致そうか。
風呂に入って、お天道さんに膨らんだ布団を取り入れて、面倒で在るから布団を敷いて置く。出掛けるには充分なマイタイムが在るから、午前中に打って置いた本日分ブログに打ち足しをして、置くと致そうか。
久し振りに松の横枝に、シジューカラが遣って来た。落ち葉が嵩む時季と成って、柿の実りがオレンジに花咲く頃で、何時の間にかツバメ達も南に帰って仕舞った。夏鳥ツバメとバトンタッチするのが、北国の使者・ジョービタキで在る。春はツバメとバトンタッチし、秋はバトンタッチして渡って来る越冬の小鳥で在る。
さてさて、これ以上の長駄文は宜しく無い。弟に甘柿を採って、本瓜の醤油漬け、梅干しなどを差し入れすると致そうか。へへへ。
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