長駄文館・・・さてさて、歳時記を作る為り。
- 2019/10/23
- 15:56
さてさて、歳時記を作る為り。(10/23/19)
昨日は晩飯後も皮剥きをして、バケツ2杯分を軒下に吊るした次第で在る。散歩に出掛けようと土手に出ると。下から大きな声で呼ばれて、今年は渋柿が無いから、欲しいの喰い下がりをされて仕舞い。私にも楽しみにして居る家族友人が居るから、無理と云うが、粘られて仕舞い、小心者の私は気は心を示すより他無い。夕暮れの中で剪定鋏を持って来て、手の届く範囲の枝切りをする。『もっと頂戴よ』の声に、世の女族さんは大した物で在る。
一応、天理教さんに約束した次第で在るから、その分を引いて置かねば為らない。『お返しに、何が欲しい?』と云うから、『面倒臭い事は、しなくても好い』と応えて、散歩の仕切り直しとする。
私の散歩コースには、大きな渋柿の木が数本在って、そのお宅の高齢化が進んで、放置されて居る。町会土手にも無主の大きな柿の木が在る。ぐるりと散歩コースを周回して来ると、成程、今年は『裏年』の様で在る。豊作だとウンザリ、無ければ欲しいと思うのが人情で在る。
見た目では私の処の土手側の枝には、枝も折れんばかりの『大振りが鈴生り』を呈して居るが、奥の方は腰にロープを捲いて2年前にバッサリと枝と云うよりも横幹を切断したので、木全体からすると半分程度の生りで在る。
余り付き合いの無い、社交的過ぎる人を考えると、絶対に目を付けられて居る筈で在る。去年今年と、柿の実りは10日は早い。
来る前に柿採りをして置くべしと考え、昨夜は残り仕事を片付けた次第で在る。私は閉じ籠もりの空気の様な存在なのだが、何やかやと世間様は見て居る物なのだろう。自分の生活のフィルターから見ると、独り暮らしの古希坂男で在るから、とても独りでは消費出来ないと『錯覚』して居るので在ろう。野苺、大梅、赤紫蘇が出来れば、声を掛けて来る。これらも、へへへ為りのご近所付き合いで在る。
9時で在るか。もう少し待って、9時半に成ったら人の往来も無く成るだろうから、今日の柿採りを始めると致そうか。今日はお天気さんが好く成ると云うから、歳時記の廊下の日差しを浴びての手仕事と致そう。その前に、風呂の用意をして置くべしで在る。今日すれば、今年の柿簾も見栄えが好く為ろうと云う物で在る。
本日分のバケツ2杯強を採って、洗濯&入浴をして居ると、縁側に声で在る。只今、入浴中と答えると、何かを置いて帰って行った様子で在る。
風呂から出れば、昨日の柿が手付かずで、廊下の山盛の柿の横に置いて在る。折角のお裾分けで在る。粗末には出来ない。それを持って、『有効活用』に天理教さんへ持って行く。教会長さんはボランティアに長野に行って居るそうで、大体採れたから、高い所はご自由にと言付けて来る。川の流れも大分収まって来て、笹濁りの流れで在る。お天気も好いから、河川敷に下りて帰って来る。
さてと、本日作業をスタートさせる。無風の陽入りで在るから、上を脱いでTシャツ一枚で、包丁を動かす。
朝飯、昼飯抜きの朝からの仕事で在るから、簡単なパン食として、剥き終えた柿を紐に通して、吊るせば早や、2時半で在る。
洗濯機を見たり、昨日から水に浸して置いた小豆と名前は知らないが、大粒小豆の混合鍋を弱火して、本日初めての小部屋入りをして、ブログ打ちを始める。
洗濯物も布団と交替で、物干し竿に掛かったし、未だ1/3程の皮剥きは残っては居るが、好い具合に柿簾の風情が掛かって来た物で在る。大振りの柿は熟し柿を好物として居た妖怪様への分として、選別して置く。男族と女族の嗜好の違いで、皮剥きを手伝って呉れた妖怪様は、上玉が在ると、ニコニコして段ボール箱に入れてストックして、ベットの脇に置いて居た物で在る。咀嚼力の無く成った口には、甘露吸いは好い栄養源に為って居たのだろう。
昔は熟し柿は苦手で在ったが、歳をとるとヘタを毟って、其処からチュウチュウと甘露を啜る食べ方をTから教わって、渋柿の熟し甘露は格別と思い始めて居る次第で在る。
また介護生活を経験すると、マメ、カボチャ、サツマイモも食べる様に為るから、面白い物で在る。特に豆類は自分で炊くと、市販物以上に素の味が、あっさり円やかさが在って、口に合う次第で在る。面倒な時は飯の替わりに充分『腹持ち』がする事に気付いた次第で在る。女族好物の、そんな植物繊維食を作って遣ると、「ねっ、美味しいでしょ。」のニコニコ顔をして居た物で在る。
さてさて、本日分ブログも、この位で好かろう。晩飯までに本日のノルマ剥きを致しましょうかね。遣ればノルマは減少して行く。パイロット向きをした物は、大きさも半減して、ベッコウ色を呈して来て居る。
昨日は晩飯後も皮剥きをして、バケツ2杯分を軒下に吊るした次第で在る。散歩に出掛けようと土手に出ると。下から大きな声で呼ばれて、今年は渋柿が無いから、欲しいの喰い下がりをされて仕舞い。私にも楽しみにして居る家族友人が居るから、無理と云うが、粘られて仕舞い、小心者の私は気は心を示すより他無い。夕暮れの中で剪定鋏を持って来て、手の届く範囲の枝切りをする。『もっと頂戴よ』の声に、世の女族さんは大した物で在る。
一応、天理教さんに約束した次第で在るから、その分を引いて置かねば為らない。『お返しに、何が欲しい?』と云うから、『面倒臭い事は、しなくても好い』と応えて、散歩の仕切り直しとする。
私の散歩コースには、大きな渋柿の木が数本在って、そのお宅の高齢化が進んで、放置されて居る。町会土手にも無主の大きな柿の木が在る。ぐるりと散歩コースを周回して来ると、成程、今年は『裏年』の様で在る。豊作だとウンザリ、無ければ欲しいと思うのが人情で在る。
見た目では私の処の土手側の枝には、枝も折れんばかりの『大振りが鈴生り』を呈して居るが、奥の方は腰にロープを捲いて2年前にバッサリと枝と云うよりも横幹を切断したので、木全体からすると半分程度の生りで在る。
余り付き合いの無い、社交的過ぎる人を考えると、絶対に目を付けられて居る筈で在る。去年今年と、柿の実りは10日は早い。
来る前に柿採りをして置くべしと考え、昨夜は残り仕事を片付けた次第で在る。私は閉じ籠もりの空気の様な存在なのだが、何やかやと世間様は見て居る物なのだろう。自分の生活のフィルターから見ると、独り暮らしの古希坂男で在るから、とても独りでは消費出来ないと『錯覚』して居るので在ろう。野苺、大梅、赤紫蘇が出来れば、声を掛けて来る。これらも、へへへ為りのご近所付き合いで在る。
9時で在るか。もう少し待って、9時半に成ったら人の往来も無く成るだろうから、今日の柿採りを始めると致そうか。今日はお天気さんが好く成ると云うから、歳時記の廊下の日差しを浴びての手仕事と致そう。その前に、風呂の用意をして置くべしで在る。今日すれば、今年の柿簾も見栄えが好く為ろうと云う物で在る。
本日分のバケツ2杯強を採って、洗濯&入浴をして居ると、縁側に声で在る。只今、入浴中と答えると、何かを置いて帰って行った様子で在る。
風呂から出れば、昨日の柿が手付かずで、廊下の山盛の柿の横に置いて在る。折角のお裾分けで在る。粗末には出来ない。それを持って、『有効活用』に天理教さんへ持って行く。教会長さんはボランティアに長野に行って居るそうで、大体採れたから、高い所はご自由にと言付けて来る。川の流れも大分収まって来て、笹濁りの流れで在る。お天気も好いから、河川敷に下りて帰って来る。
さてと、本日作業をスタートさせる。無風の陽入りで在るから、上を脱いでTシャツ一枚で、包丁を動かす。
朝飯、昼飯抜きの朝からの仕事で在るから、簡単なパン食として、剥き終えた柿を紐に通して、吊るせば早や、2時半で在る。
洗濯機を見たり、昨日から水に浸して置いた小豆と名前は知らないが、大粒小豆の混合鍋を弱火して、本日初めての小部屋入りをして、ブログ打ちを始める。
洗濯物も布団と交替で、物干し竿に掛かったし、未だ1/3程の皮剥きは残っては居るが、好い具合に柿簾の風情が掛かって来た物で在る。大振りの柿は熟し柿を好物として居た妖怪様への分として、選別して置く。男族と女族の嗜好の違いで、皮剥きを手伝って呉れた妖怪様は、上玉が在ると、ニコニコして段ボール箱に入れてストックして、ベットの脇に置いて居た物で在る。咀嚼力の無く成った口には、甘露吸いは好い栄養源に為って居たのだろう。
昔は熟し柿は苦手で在ったが、歳をとるとヘタを毟って、其処からチュウチュウと甘露を啜る食べ方をTから教わって、渋柿の熟し甘露は格別と思い始めて居る次第で在る。
また介護生活を経験すると、マメ、カボチャ、サツマイモも食べる様に為るから、面白い物で在る。特に豆類は自分で炊くと、市販物以上に素の味が、あっさり円やかさが在って、口に合う次第で在る。面倒な時は飯の替わりに充分『腹持ち』がする事に気付いた次第で在る。女族好物の、そんな植物繊維食を作って遣ると、「ねっ、美味しいでしょ。」のニコニコ顔をして居た物で在る。
さてさて、本日分ブログも、この位で好かろう。晩飯までに本日のノルマ剥きを致しましょうかね。遣ればノルマは減少して行く。パイロット向きをした物は、大きさも半減して、ベッコウ色を呈して来て居る。
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