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長駄文館・・・今年の柿採りも終了為り。

                   今年の柿採りも、終了為り。(10/27/19)
 昨日は些か夕食が足りなくて、我慢して寝たら、夢を見た。朝市ならぬ温泉街の町興しの態で、夜の路上に提灯が灯って、幾つもの屋台が並んで居る。結構な賑わいで、人其々に屋台の食べ歩きをして楽しんで居る。
 如何やら、脳味噌以上に胃袋は正直なのだろう。煮豆餡をスプーン二つ掬って白湯を飲んで、布団に潜り込んだ次第で在る。時計を見ると起きても好い時間では在ったが、面倒で在る。温い布団の中で、バッコン腹筋体操をして、暫しの脳内アイドリングとする。

 この処、雨続きで在る。水の循環は赤道で蒸発した水分の大気の対流との事。海水温が高いから、水循環の対流サイクルが頻繁に起こるのだろう。

 子供の頃は雲にも限りが在るから、雨のプール・雲が落ちて仕舞えば、雨は止むと考えて居たし、大人の云う天の底が抜けた様な雨の言葉に納得して居たのだが、『天は不動に非ず』で、雨を降らす雨雲は移動し、供給される物と『学習』して成程と合点した次第で在る。

 地球温暖化と云う意見も在れば、氷河期に向かうと云う意見も在って、素人には解らない次第では在るが、熱が加われば万物の化学変化が『促進』されるのが常で在るから、台風の多発は、地球のヒーター部分の海水域と砂漠ヒーター域が盛んなのだろう。海と大陸の海風、陸風の季節の交代期に支障が出来ての、『双方のせめぎ合い』が活発なのだろう。その内に双方のバランスが採れて来れば、お天気さんも安定に向かうのだろう。

 宗教にも民族宗教と個人宗教の括りが在るそうな。その有名な喩えに旧約聖書のユダヤ教は『民族宗教』にして、新約聖書のキリスト教は『個人宗教』にして、日本の神道は民族宗教にして、仏教は個人宗教として、神仏混淆の社会を構成して居るとの事で在る。

 民族の括りは人種・言語・文化・宗教の共通との由で在るから、民族の秩序と云う物は、そう云った物から構成される生活様式、生活行動、精神構造の共有なのだろう。云う為れば、民族宗教は民族の公約数的部分を担い、個々の心の問題には救い、解脱を求める個別のキリスト教、仏教の様な信仰と云う、より具体的な精神の拠り所を求めようとするのが、人間の一般的『自然の流れ』なのだろう。
 人間の思索、行動、心の諸事情は、客観と主観、全体と個別の間の中を絶えず漂泊する一枚の木の葉の様にして、凡人にとっては、公を取るか、個を取るか、義を取るか、個に逃げるかで、中々に安定しない物で在る。

 社会、家庭の柵から解放された身で在るから、こう云った語らいをして見たいとは思う次第で在るが、そう云う機会に恵まれないのが寂しい次第では在るが、関心の無い人に、こんな話を振る訳にも行かず、脳内散歩をするしか無い次第で在る。風呂に入って、洗濯物をして、ラジオをBGMにして居る。本日は、好物の子供科学相談で在る。本日も曇天の進みで在ったが、昼近くに成ると、漸くの日差しが差して来た。

 晩飯のおかずと煙草を買いに行こうとすると、天理教さんで在る。昼では在るが柿採りをしようと云う事に相為った。一人でするより二人の方がハカが行く。枝も始末して呉れると云うから、お言葉に甘えて、2年前の大切りして乾燥させて積んで置いた薪を一輪車に載せて持って行く。柿は段ボールに山盛りと成って大喜びで在る。そんな次第で4往復をして、本日の運動量を確保して仕舞った。2時半にお茶を飲みに来て手の段で在る。アハハ。

 お茶を頂戴した後に、スーパーに行くと致そうか。洗濯物を干して、鳥の世話をして置くと致そうか。


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