長駄文館・・・さて、週始め為り。
- 2019/10/28
- 12:31
さて、週始、朝飯と致しましょうかね。(10/28/19)
おっ、鳥の声で在るか、6時を回ったと云う事か。はいはい、起きまするわね。
ちょいと、真似事のバッコン腹筋体操をして起きる。庭を見れば、小菊の黄色が目立つ。小部屋入りして、西の小窓を開ければ、小菊の白で在る。西の空は青いから、今日は晴れる事だろう。落ち葉を見ながら、苺、小菊の緑、花を見て居ると、吾が家の土には、鬼ユリを加えて、この三種が合って居るのだろう。
小窓から朝を覗いて居ると、散歩常連の一人婦人と目が合った。
お茶と煙草のショート吸いをしながら、カセットテープを入れるが、相変わらず音量不足の態で在る。7時に近付くと、お天道さんの昇りで、久し振りに眩しい朝日の入りが始まった。目下、吊るし柿のスタートで在るから、今日は有難い日光さんで在る。洗濯物も乾くし、鳥籠にも陽が当たって、金華鳥達の囀り、動きも活発に為って来た。
昨日の夜は阪妻の『無法松の一生』を動画貼り付けで見付け、大いに堪能した次第で在る。
独身だった頃、松竹で土曜のオールナイトで『人間の条件』『羅生門』『雨月物語』などの白黒名作を遣って居て、母親と一緒に観に行って居た物で在る。私は田村三兄弟の父親『阪妻』の名は知って居たが、その映画は観た事が無かった。
大正生まれの母親世代のビックスターを初めて見て、線の太い渋い好い漢(おとこ)だなぁ。成程、男も女も惚れる訳だと感心した記憶が在る。
これで無法松の一生は三船敏郎、勝新物、三作を観れて、映画好きの私としては、俳優、監督、そして時代の違いなどの比較が出来て、好い映画鑑賞が出来た次第で在った。
25の時として、彼是46年振りの阪妻の無法松の一生との再会で在る。四捨五入すると半世紀振りで在るから、記憶の中のシーンとしては、ボンボンの小学時代の大運動会の徒競走、中学校同士の喧嘩、小倉祇園太鼓打ち、無法松がぼんぼん名義で残した貯金通帳に涙を流す奥さんのシーンが残って居るだけだったが、映画を観ながら、そんな記憶との自己対話を愉しんだ次第でも在った。
三作とも、映画の見せ場シーンは共通して居る。歌でも無法松の一生は、村田英雄、美空ひばり、島倉千代子、島津亜矢・・・etcが映画シーンを彷彿とさせる演歌節たっぷりに歌い上げて居る次第で在るから、無法松の一生は、日本人の心に流れる名作と云える。
昨今は兎角、スマホと芸NO人ばかりの精神の廃れ時代で、何かと心に深入りを避ける根無し草表層の世なので、私は新聞もテレビも止めて仕舞った。何かと、殺伐とした親殺し、子殺し、生きずり殺人、毒亜圏のストーカー紛いの日本叩き、経済一辺倒のグローバル世界・・・etcと感心しない世の進みで在る。
兎に角、無関心と政府、社会への批判だけは多い。正に言高行低の世にして、個としての真っ当性に欠ける世相で在る。憲法改正反対、スパイ防止法反対、夫婦別姓、道徳教育反対などの公と私の区訳すらも出来無く為って居る『一過性の貧弱なる個の表層世相』で在る。
道徳教育の教材云々をオカマ教育学者が小賢しく論を立てては居る物の、そんな物は言葉で教えるよりも昔の映画を観せるだけで、日本人の遺伝子に浸透する物で在る。昔の白黒映画には、『本日休診』などの日本人が得意として来た、日常の叙情・情感溢れる生き方を綴った人間としての真っ当さが映像として残されて居るので在ろうし、躾け、教育とは多かれ少なかれ、人類の進みを温故知新の中に学ぶ事なのだろうに。
人間とは安易さに傾く性質が在るから、活字を読むよりも、映像、映像物語の映画を観る方が、感情を刺激して好い勉強に為ると思うのだが。
好原作、好監督、好俳優、好台詞、好風景、好効果音、好編集・・・etcで構成される映画とは総合芸術にして、大衆娯楽作品なので在るからして、文化の一面で在る映画の教育効果側面を多いに活用すれば良いと考える次第で在る。へへへ。
そう云った意味で、映画館、テレビでは観れない昔良き時代の映画の秀作の貼り付けが、ネット配信されて居る時代は真に有難い次第で在る。
歳を取ると呆気無く一日が過ぎ、一週間が過ぎて行く物で在る。さてさて、週始のお天道さんの輝きで在る。本日は、どんな日に成る物やら。本日は、ジョービタキを見る事は出来るかな。
さて、朝飯と致しましょうかね。
食後の頁捲りをして居ると、玄関が開き、『R、居るか』の声で在る。眼科帰りのSが缶コーヒーと、ポッキーを持っての顔出しで在る。今日は、廊下の日差しの方が気持ちが好いから、廊下に胡坐掻きの煙草吸いで同級生話とする。帰り掛けに、S宅の玄関に置いて在る私の絵を見て、誰が描いたと二人が褒めて呉れたそうで在る。へへへ。
おっ、鳥の声で在るか、6時を回ったと云う事か。はいはい、起きまするわね。
ちょいと、真似事のバッコン腹筋体操をして起きる。庭を見れば、小菊の黄色が目立つ。小部屋入りして、西の小窓を開ければ、小菊の白で在る。西の空は青いから、今日は晴れる事だろう。落ち葉を見ながら、苺、小菊の緑、花を見て居ると、吾が家の土には、鬼ユリを加えて、この三種が合って居るのだろう。
小窓から朝を覗いて居ると、散歩常連の一人婦人と目が合った。
お茶と煙草のショート吸いをしながら、カセットテープを入れるが、相変わらず音量不足の態で在る。7時に近付くと、お天道さんの昇りで、久し振りに眩しい朝日の入りが始まった。目下、吊るし柿のスタートで在るから、今日は有難い日光さんで在る。洗濯物も乾くし、鳥籠にも陽が当たって、金華鳥達の囀り、動きも活発に為って来た。
昨日の夜は阪妻の『無法松の一生』を動画貼り付けで見付け、大いに堪能した次第で在る。
独身だった頃、松竹で土曜のオールナイトで『人間の条件』『羅生門』『雨月物語』などの白黒名作を遣って居て、母親と一緒に観に行って居た物で在る。私は田村三兄弟の父親『阪妻』の名は知って居たが、その映画は観た事が無かった。
大正生まれの母親世代のビックスターを初めて見て、線の太い渋い好い漢(おとこ)だなぁ。成程、男も女も惚れる訳だと感心した記憶が在る。
これで無法松の一生は三船敏郎、勝新物、三作を観れて、映画好きの私としては、俳優、監督、そして時代の違いなどの比較が出来て、好い映画鑑賞が出来た次第で在った。
25の時として、彼是46年振りの阪妻の無法松の一生との再会で在る。四捨五入すると半世紀振りで在るから、記憶の中のシーンとしては、ボンボンの小学時代の大運動会の徒競走、中学校同士の喧嘩、小倉祇園太鼓打ち、無法松がぼんぼん名義で残した貯金通帳に涙を流す奥さんのシーンが残って居るだけだったが、映画を観ながら、そんな記憶との自己対話を愉しんだ次第でも在った。
三作とも、映画の見せ場シーンは共通して居る。歌でも無法松の一生は、村田英雄、美空ひばり、島倉千代子、島津亜矢・・・etcが映画シーンを彷彿とさせる演歌節たっぷりに歌い上げて居る次第で在るから、無法松の一生は、日本人の心に流れる名作と云える。
昨今は兎角、スマホと芸NO人ばかりの精神の廃れ時代で、何かと心に深入りを避ける根無し草表層の世なので、私は新聞もテレビも止めて仕舞った。何かと、殺伐とした親殺し、子殺し、生きずり殺人、毒亜圏のストーカー紛いの日本叩き、経済一辺倒のグローバル世界・・・etcと感心しない世の進みで在る。
兎に角、無関心と政府、社会への批判だけは多い。正に言高行低の世にして、個としての真っ当性に欠ける世相で在る。憲法改正反対、スパイ防止法反対、夫婦別姓、道徳教育反対などの公と私の区訳すらも出来無く為って居る『一過性の貧弱なる個の表層世相』で在る。
道徳教育の教材云々をオカマ教育学者が小賢しく論を立てては居る物の、そんな物は言葉で教えるよりも昔の映画を観せるだけで、日本人の遺伝子に浸透する物で在る。昔の白黒映画には、『本日休診』などの日本人が得意として来た、日常の叙情・情感溢れる生き方を綴った人間としての真っ当さが映像として残されて居るので在ろうし、躾け、教育とは多かれ少なかれ、人類の進みを温故知新の中に学ぶ事なのだろうに。
人間とは安易さに傾く性質が在るから、活字を読むよりも、映像、映像物語の映画を観る方が、感情を刺激して好い勉強に為ると思うのだが。
好原作、好監督、好俳優、好台詞、好風景、好効果音、好編集・・・etcで構成される映画とは総合芸術にして、大衆娯楽作品なので在るからして、文化の一面で在る映画の教育効果側面を多いに活用すれば良いと考える次第で在る。へへへ。
そう云った意味で、映画館、テレビでは観れない昔良き時代の映画の秀作の貼り付けが、ネット配信されて居る時代は真に有難い次第で在る。
歳を取ると呆気無く一日が過ぎ、一週間が過ぎて行く物で在る。さてさて、週始のお天道さんの輝きで在る。本日は、どんな日に成る物やら。本日は、ジョービタキを見る事は出来るかな。
さて、朝飯と致しましょうかね。
食後の頁捲りをして居ると、玄関が開き、『R、居るか』の声で在る。眼科帰りのSが缶コーヒーと、ポッキーを持っての顔出しで在る。今日は、廊下の日差しの方が気持ちが好いから、廊下に胡坐掻きの煙草吸いで同級生話とする。帰り掛けに、S宅の玄関に置いて在る私の絵を見て、誰が描いたと二人が褒めて呉れたそうで在る。へへへ。
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