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長駄文館・・・夢奇譚第36部・・・湯治の巻き。

                     夢奇譚第36部・・・湯治の巻
 <その1>
 71回目の霜月も、早や中旬で在る。真面目に考えると、巡り廻る四季、年の中で花咲き、鳥は歌えども、吾が身は何を残しただろうの感懐にして、毎日が日曜日の腑抜けた生活に埋没して居るだけの月日の流れに、唯に恥じ入るばかりで在る。

 然りとて、幸い心身共に呆けずに古希坂住人の自前生活を送れて居る次第で在るから、文句を言ったらお天道様の罰が当たると思って居る。

 然しながら、新陳代謝の衰えと同様に、喜怒哀楽の感情の衰えと云うか、鈍感症にも進んで居る様で在る。角が取れて丸く為ったと云えば『聞こえ』が好いが、実際の処は、脳細胞の鈍化による健忘症と同じく、感情細胞の鈍化を呈して居ると観た方が正解なのだろう。いやはや、困ったもので在る。

 日中のお天道様が照って居る内は、廊下の日当たりは暑い位の気温の上昇で、寒さは一切感じないが、山国信州の朝夕は冷え込む。体質的には血圧が低い方で、夜更かし派の生活をして来た人間で在る。この一週間程は夜の寒さに、省エネの早寝を決め込んで居るのだが、案の定、遺憾いかんで調子が狂って来て居る。

 本日も布団を敷いて湯たんぽを入れて置いたのだが、幾ら何でも、体質的夜更かし派が毎日毎日、早寝をしろと云うのは土台、『無理」で在る。火の気が無いのは、老躯には辛いので、例年よりも早いが、思い切って寝間に炬燵を作る事にした。団塊世代の生活習慣で、半纏を着て炬燵に胡坐を掻くと、途端に落ち着くもので在る。炬燵の温かさに、野暮ったい靴下を脱ぐ。

 日課の散歩に出れば、土手の大欅も半分は落葉した。身近な東山系も夏のマツクイムシ被害の立ち枯れの赤を隠して、黄葉、紅葉のコントラストで埋め尽くされようとして居る。深まる秋に、単身赴任の母親介護のYも稲刈り、野菜の収穫、植え付け、片付けの農作業も一段落した事だろう。

           昔を思えば、農家の人達は湯治(とうじ)に行く頃で在る。

 子供の頃を振り返れば、農作業の締め括りで、『農家湯治』の季節で在る。山国信州は、温泉場が何処にでも在る。湯治の倣(なら)いは、近在の者が家族を伴って湯屋に食料を持って自炊をしながら、日に何度も湯に浸かって、一家団欒と一年の疲れと気分を癒す風習で在る。

 この処、鳴りを潜めて居た爆音バイクが、夜に成ると徘徊し始めて居る。彼等は念願のバイクを手に入れて、『有頂天』なのだろうが、子育てを終えて空き家も目立つ町会の佇まいで在る。静かな生活を旨とするロートル者にとっては、誠に癪(しゃく)に障る存在で在る。

『この~、バカ餓鬼共がまた始まったか!!』の目くじらを立てても始まらぬ。

 <その2>
 そんな次第で、昔風農家の湯治風習に倣って、『爆音逃避』に行くのも好かろう。毎日が日曜日の生活で在る。私にも夢奇譚の隠し湯が在る。二泊三日で湯治に行く事を思い立った次第で在る。

 短期逗留に必要な物は、簡素な手造り小屋には置いて在る。米、味噌、醤油、即席ラーメン、缶詰、ソーセージ、初日分のカレー用野菜を下準備の為にカットしたものなど、手軽な物をザックに入れて、銭湯の秘密の通路を抜けて異次元の世界に分け入る。

 暗い湯気の洞窟を奥へ奥へと、上からぽたぽたと湯滴を受けて、抜け道を懐中電灯で通過すれば、眼前が開ける。

 絶壁の様な松が生える巨岩に向かって、上りの細い獣道が伸びて居る。屏風の様に屹立する巨岩の裏には、隠し平地の様な広葉樹の雑木林が広がって居る。其処は今を盛りの紅葉・黄葉の艶やかさで、山の匂いに満ちて居る。中天にお天道様が居られる。その穏やかで暖かい降り注ぎに、山風がサワサワと錦絵の色彩を戦(そよ)がせ、木の葉を放散する。

 人工物の一切無い自然の佇まいは、まるで大地が一個の生き物の呼吸をして居る様にも感じられる。

 乾いた落ち葉を一歩一歩、カサカサと踏み締めて歩くのは、何故か、私も自然の一部の思いがして、自然対自然の素直な気分がして来るから、不思議なもので在る。

 チィチィと木々、枝を低く渡る小鳥の小群れ、カリカリと木に鳴る音に目を向ければ、全身こげ茶のリスが速いスピードで幹、枝をススッと渡って行く。

 そんな紅葉、落ち葉の広葉樹の音、動きを目で追いながら、時期の遅いキノコを手に取って匂いを嗅ぐ。鼻孔を包んで、頭に留まる。湿った山の匂いを凝縮した、子供の頃に山で遊んだ記憶が蘇る。

 幾分の上り勾配の細道をゆっくり進めば、そそり立つ屏風・巨岩裏の隠し湯に、朝靄の様な湯気の立ち昇りが見える。

 此処まで来ると、広葉樹林の中で在る。初冬の山の太陽の照りに、身体は汗を掻いて居る。少し休憩を取ろう。川湯に回る。湯温の調整は、川から引いた水の量でして居る。手で温度を確かめて、注ぐ川水を手で掬う。

    冷たい。ごくりと飲む。嗚呼、美味い。続けて掬って、ゴクリゴクリと飲み干す。

 ポケットから煙草を出して、一服燻らせる。此処は誰も知らない小型カルデラの様な、山中に忽然(こつぜん)と現出した平地の広葉樹の原生帯で在る。私はこの様を『山中のぽっかり空いた真空スポット』と名付けて居る。誰にも語らず、誰にも来ては貰いたくない秘密の場所で在る。再び歩く。

 巨岩と小屋の中間辺りまで来ると、私の臭いを感じたのだろう、相棒の灰色オオカミが猛然とダッシュして来た。立ち上がれば、私より大きい悠然とした体躯で在る。野生の体当たりに、私は苦も無く組み伏せられて、重い体重で伸し掛かられ、狂った様に顔中を生暖かい舌で舐め回される。

 言葉を持たない獣性のコミニケション=スキンシップは、相手が大きいだけ在って、半端なスキンシップ行動では無い。土台、体力が違う。灰色狼クンは、群れのボスで在る。ボスは群れの構成員の成長・老い・体調を確認・把握する『任務』が在るのだろう。

 私達は、何カ月振りかの対面で在る。私を甚振るような荒々しいスキンシップ行動の中には、多分に老いた私への体力確認の要素も入って居るのだろう。

        クンのボスにして、私への相棒のチェック行動が執拗に続く。
    「分かった分かった。これこれ、クン、もう好いだろう。お互い、元気で何よりだ。」
      私に硬く大きな頭をガツンと叩かれて、彼もそれなりの納得を得たのだろう。

 スクッと立ち上がって、私と並んで小屋に向かって歩き出す。それでも久し振りで在るから、スキンシップが足りない様で、前方にダッシュして引き返し様、ジャンプ一発の体当たりで、正面から体をぶつけて来る。

 私も血気盛んな頃は、武闘派で鳴らした猛者で在る。猪口才な、受けて立って遣るの腰の踏ん張りとする。

 犬の先祖が狼と云うので在るから、言葉を持たない人間と狼のコミニケションとは、この方法しかないのだろう。私もクンを受け止めるべくして、踏ん張るのだが、後ろに回り込まれてのジャンピング・アタックには、蹴躓(けつまづ)いたり、もんどり打って、柔道の受け身の態と為る。若い頃、覚えた受け身は咄嗟の場合の反射動作と一体に為って居る。一度身に着けたものは、『身体が知って居る』で有難い物で在る。

 クンを見れば、『これでも、手加減をして居る』と云わんばかりの狼笑いをして、太い尾を振って居る始末で在る。それでも小屋が見える頃には、落ち着いて来て、私の横をぴったりガードする様な、ゆっくりした歩調合せと為って居る。いやはや、狼は賢い。

 前回来たのが、夏の涼みで在った。湯が在っても、山では夜は寒くて堪らない筈で在る。思い切って非日常の『縄文還りの自然同化』が、私の来る目的で在る。寝台には草を積み上げて、シュラフ寝をするとして、上にも積み草が必要で在ろう。何よりも、薪も必要で在る。

 幸い、お天道様は中天に在る。暖かい内にサバイバル開始と致そう。何しろ山中、日が傾けば、『冬の帳』が襲い掛かって来る次第で在る。

 小屋を開けて、箒でクモの巣、埃掃きをして、小屋生活用の一輪車に空気を入れる。鎌、刈込鋏、熊手、手鋸の庭仕事道具を入れて、先ずは枯草、落ち葉運びで在る。冬眠の哺乳類は多かれ少なかれ、自分の巣穴にそんな作業をして居るので在るから、私もそれに倣うだけの事で在る。次に薪集めで在る。

 クンは一緒に来て呉れた迄は好かったが、手の無い狼には手伝う事が出来ずに、ウオー、ウオーと走り回って居たが、薪集めと為ると口で咥えて来ての協力をして呉れる。

 広葉樹の林には至る所、充分過ぎる薪が転がって居るから、忽ちに一輪車は山と成る。齷齪(あくせく)しなくとも、余裕で4台分を運んで、小屋の前に開けて小屋のカマド用にノコギリ、マサカリで薪サイズとする。

                さぁ、先ずは、これで好しで在る。

 大雑把に出来上がった処で、腰を下ろしたら、次の支度が遅くなる。一輪車にポリタンク、飯盒に米を入れて、川に米研ぎ、水汲みに行く。

 縄文人と違って、現代人は一輪車と云う使い勝手の好い『文明の利器』を持って居るから、作業効率は良い。ランプに油を入れて、湯治初日で在るから、お天道様の傾く前に川湯に浸かりに行く事にする。

      勿論、小屋を守って居て呉れる狼の群れにも、温泉文化は浸透して居る。

 私と灰色狼は、『ギュンとクンの伝説』以来の末裔遺伝子を継承して居る仲で在る。従って、連れ立っての湯治で在る。湯に浸かれば、そこは人間と狼の違いで、クンは湯上(のぼ)せを嫌って、湯温の低い所を選んでのショート浸かり。私は人間で在るから、当然に『極楽の真ん中浸かり』で在る。湯に上せてくれば、据え付けた石に腰掛けて、全山紅葉、黄葉のパノラマに一節口遊(くちずさ)む心地の好さで在る。佳き気分で在る。

          今夜は、枯れ葉、枯草ベットでの雄同士の添い寝で在る。

 狼の獣臭を洗い流して置くと致そう。クンを手招きして、液体石鹸を振り掛けて、嫌がるクンの太い首根っこをアームロックして、丸洗いして遣る。『如何じゃい、これが、散々に俺様を甚振って呉れたお返しじゃい。』

 石鹸臭は芳香で在っても、獣性からしたら、異臭で在るのは間違い無い。臆病にも、身に着いた異臭を全身の体毛を逆立てて、何回も身振るいさせて居る。狼は賢い。異臭の元が、身振るいする度に飛び散る泡の判断なのだろう。

 気が済むまで、湯に飛び込み、出て、身振るいの湯飛ばしを繰り返して居る。それでも、私が気持ち好さそうに石鹸の泡を立てて、全身を洗って居る様を見て、神経質に為らなくても好いと云う事は『理解』して居る様子で、落ち着いて来た。

 幾重にも重なり合う山容、山肌は或る所では穏やかな二色三色のコントラスト、或る所では紅、黄の競い合う様な配置、或る所では色彩の鋭角の落下を見せて居る。色彩には未だ枯れのカサカサ感は無く、葉色には艶が保たれて居て、しっとり感が在る。所謂、錦為す艶やかさの見頃時で在る。

 月見酒、桜見酒、雪見酒と、温泉気分ならお盆に乗せた酒の汲み合わせなどをしたら、小説、ドラマ、映画の月並みシーンとも為ろうが、生憎、吾が相棒は灰色狼と来て居る。

 さてさて、日も傾いて来て、クンも退屈の様子で在る。適度な作業と湯浸りで、腹も空いて来た。暗く成る前に、火を起こして飯を炊いて食べると致そう。

小屋は夏以来で在るから、虫退治に少し煙で燻して遣る事にする。小屋中央のカマドに火を燃やして置く。

 今日の晩飯は、家でカットして来た野菜でカレーを作る事にする。11月の初旬の終わりで在る。温暖化で日中の数時間は暖かくても、冷たいから冷蔵庫の必要は無かろう。多目に作って置くと致そう。小屋の外には、夏用のカマドが作って在る。

 小屋は、6畳程の掘立小屋の類で在る。座って一畳、寝て二畳。草庵は方丈造りと云うからして、一丈=十尺。一尺=30cmで在る。従って徒然草、方丈記の草庵は、3m×3m=9平方メートルと成る。6畳=3坪、1坪=3.3平米。3.3×3=9.9平米で在るから、私の掘立小屋も方丈の造りで在る。

 従って、鴨長明、吉田兼好の『隠者文学』とまでは行かないにしても、気分的には掘立小屋思索は出来る筈で在る。へへへ。

 アウトドア的に云えば、テントより広さは益しで在る。そしてホームセンターなどでは、アウトドア道具が置いて在るから、便利で在る。外で火が使えない事を想定して、小屋には手軽な七輪も2つ備えて在る。

 小学生の頃は、川原で近所の上級生とムシロ小屋を作って七輪で餅を焼いたり、うどんを煮たりして、鼻水をすすって漫画本を回し読みしたり、チャンバラごっこ、インディアンごっこなどをして、遊び惚けて居た次第で在る。よって、野外での小屋遊びには、長けて居る次第で在る。

 飯は飯盒で炊き、カレーは火が炭に成った頃合いの物を七輪に入れて、鍋を掛けて油で豚肉を炒めて、次に玉ねぎ、ニンジン、ジャガイモを加えて炒めて行く。その時にSBカレー粉を振って、野菜の甘みが出る様に炒めて行く。適当な処で水を加えて、カツオ出汁の粉末を入れてグツグツと煮立てて行く。

 違いは、ガスの火と焚火の火の違いと云った処で在る。孫が来れば庭で七輪のバーベキューもするし、独りで居ても偶には庭七輪で、缶ビールにバーベキューの遊びもして居るから、手慣れた物で在る。
 野菜の芯まで火が通れば、適当なトロ味にカレールーを入れて味見をした後で、一端、火から外して冷まし、味を浸透させて、再び火に掛ける。母親介護以来365日の積み重ねが身に着いて居るから、手際の好いのは当然で在る。

 警察犬シェパードの臭覚は、人間の4000倍と云うのをテレビで聞いた覚えが在る。犬のご先祖さんの狼で在るから、それ以上で在ろう。
 嗅いだ事も無い、『魅惑的臭い』がするのだろう。鍋から沸々と立ち昇る魅惑の臭いに、クンは気が気では無く、立ち昇る湯気に噛み付いたり、周りをウロウロ、ソワソワして居る。

                 六畳程度の狭い小屋で在る。
     「こら、そんなに興奮するな。出来たら一緒に食べるから、邪魔だ。出て行け!!」
        私に痛くない蹴りを尻に入れられて、スゴスゴと出て行くクンで在る。

 小屋から出て、狼の遠吠えでウオォン、ウォー、ウォオン~の連発で在る。その内、呼応して広葉樹の林に、遠吠えの返しが聞こえて来た。

   狩りに出て居た狼の一団が、林に帰って来たらしい。私と狼の付き合いは、長いし深い。

 日本の自然界の中で、陸上の食物連鎖の頂点に立って居た肉食獣のニホンオオカミが絶滅したのは、明治の時代で在ったそうで在る。肉食獣の狐では大型獣のイノシシ、シカの適正数の調整役は出来ない。猪、鹿の大増殖は、今や山林被害は云うに及ばず、嘗ての自然界と人間界の結界を守って居た犬族は、今や生きた縫い包みに転化されて『座敷犬』の為り下がりで在る。

 結界、緩衝地帯の消滅した人間界は、恰(あたか)も戦勝国米が日本の置き土産として自縄自縛の平和憲法前文の平和共存世界を想定した理想とは異なって、結界・緩衝地帯を放棄すれば、弱肉強食の国際力関係に翻弄される様に進む。

 日常的な猿、猪、鹿、狸、ハクビシン・・・etcの人間界への出没、被害にも及んで居る有様で在る。人間界も自然界も、その本態はバランスパワーが作用する世界で在る。

 人知れず、今も残って居るギュンの末裔の私とクンの末裔の灰色狼との協働遺伝子は、この小さな広葉樹の林に『現出』して居る。

 自然淘汰役の狼を絶滅に追い遣った自然界に於いて、クン率いる灰色狼の群れにとって、食料自給率は天国の様で在る。毎回毎回、狩りが成功する訳では無い。それ故に野生で生き抜く肉食獣には、食い貯めの仕組みが備わって居る。生存環境が厳しければ、クンは群れの先頭に立って狩りの指揮を振るうのだが、食料の豊富さに指揮をサブリーダーに任せる事が、しばしば在る。

 5頭の狼が口に臓物、肉を咥えて、クンの下に帰って来た。栄養価の高い臓物は、ボスの取り分で在る。

 群れが持ち帰った肉を、クンは臭いを嗅ぎ、肉の部位、様子を確かめる様にして一回りする。そして満足する様に、サブリーダーに納得の行為らしく、顔舐めに出て居る。サブリーダーは嬉しそうに目を細め、他は自分達の働きもボスを納得させたの喜びを感じて居る。

 狼の群れは、家族を以って構成されて居る。通常父親が群れを仕切る。狼の子は一年で大人に為り、二年目からは狩りの群れに入って、狩りを学んで行く。狼社会は、通常、5~6頭の群れ狩りをして居る。番(つがい)を上に、狩りを担当する若狼、子供達で、一グループは10頭前後の家族社会で在る。

 小屋の近くに、狼の巣穴が在るのだろう。4匹の子供を引き連れた母親狼も姿を現した。狩りから帰って来た若狼達は、餌を強請る子狼達に、口を大きく開けて、半消化した肉片を吐き戻して与えて居る。

     暫しのそんな狼のコミニケーションを、私は観察しながら煙草を燻らせる。

  群れの報告・交換儀式が終われば、狼の嗅覚が頭を擡げてソワソワして来る。当然で在る。

 私は狼の仲間で在るからして、明日用に残して置いたカレーを狼達に振舞うしか無い。一斉に鍋を荒らされたら堪ったものでは無いから、冷えた所をスプーンで掬って、狼の序列順番に則って舐めさせて遣る。

 慎重に臭いを嗅いで舐める者、ペロリと舐めて、満足の吠えをする者、待ち切れずに、舐め終った者の口に鼻を押し当てて、クンクン涎を垂らして舐め回す者、味わった事の無い匂いと味を、恐る恐る、そして味合う様にゆっくり舐める者と、5頭も居れば、反応も其々に違う。

11月、夜と寒さは早い。私はランプを灯し、小屋のかまどストーブに火を焚く。狼達は沈み行く夕日に向けて、遠吠えを始める。彼等の遠吠えは、何を意味するのだろうか。

 自分達の縄張りの誇示だろうか、一日を無事に終えた感謝の為だろうか。強く厳(おごや)かにさえ感じる、その遠吠えの合唱が山々に長く木霊して、暮れ行く広葉樹の林の静けさで在る。

 狼は序列社会で在る。小屋に入れるのは、ボスのクンだけで在る。群れは、夜の帳の下りる広葉樹の林の中に去って行く。林の中には、彼等の巣穴が在るのだろう。

 かまどストーブの上の薬缶が、フツフツと沸いて来る。程好い火の暖まりとランプの仄かな明かりが、小さな小屋を照らし、ぼんやりした影を作る。枯草ベットに下半身をシュラフに入れて、薄いインスタントコーヒーにウィスキーを垂らして、ラジオを聴く。背当ては、クンの腹で在る。場所は異なるが、何時もの夜の一コマで在る。

 季節によって夏毛、冬毛に生え変わる野生で在っても、暖かさは微睡を運ぶものなのだろう。背当てのクンの深い呼吸の満ち退きが、何んとも気持ちが好い。それでも、ベットは枯れ葉と枯草の飛び火に気を付けないと、とんだ事にも為る。

 狼家族は冬で在るから、巣穴の中は人間が考える以上に枯草などが敷かれて居て、暖かいに違い在るまいと考えたり、西部劇でお馴染みの焚火に、粗末な毛布だけの野宿は、硬い地面と地面の冷たさに、腰、関節が冷えて映画の様には行かないだろうから、西部劇の大スターさん達も、大変なのだろうと同情心も湧いて来る。

 子供が小さい頃、母を連れて二度自炊施設の在る湯治場へ行った事が在る。好い感じで在った。未だ山奥の昔ながらの湯治場が在るそうで、ネット動画で見ると、昔の湯治写真が在って、布団を背負って遣って来る風景が在った。家族湯治が一般的習わしで在ったとの由で、湯治湯は基本、『混浴』だったと云う。如何にも牧歌的では無いか。

 湯治の言葉が示す様に、温泉で治療する風習が確実に在ったのだろうし、武田信玄の隠し湯などと云って、戦傷(いくさきず)を湯で癒す事も一般化して居たそうな。小説家などの物書きの温泉旅館での長逗留なども普通に行われて居たのが、日本の風習だった。

 現代は、長寿で元気な時代で在る。家族、世間の柵からの解放で、昔ながらの奥深い山中で、湯治自炊棟の住人に為って10連泊、一か月泊をする人も居るとの由で、川で魚を釣り、山菜を採っての何年来の『湯治仲間』も居るそうな。快適便利な街場生活だけが、老後の暮らしでは在るまい。素朴な自然の中での生活が性に合って居る人達も居て、当然なので在ろう。

  <その3>
  トイレ序(ついで)の薪取りに外に出る。天空には、現代社会では見る事の出来ない銀河系、星雲の大共演が拡がって居る。天空は無音の宇宙の無限さの拡がり、奥深さ、神秘さ、荘厳さに満ちて居る。

                        立ち尽くす。

    私はウラジオストクのウスリー島で、天空の息を呑むパノラマを一度見た事が在る。

 それは深夜の二人だけの貸し切りバウチャー(ロシア式サウナ)で火照った身体を玉石の海岸から、擂鉢状に口を開けた海の深みで立ち泳ぎをして水風呂代わりとする『バウチャーの楽しみ方』との由で、真っ暗な玉石の上を歩いて行かねば為らず、初体験の私としたら、暗闇の足裏の痛さと、不安定さに、下を向いて歩いて行くのがやっとの態で在った。

 ハリウッドスター並みの金髪美人さんの野性味には、付いて行けない逞しさを感じるとともに、夏の短さ故の北国の気温感覚の全く違う日本人とロシア人で在る。内心、辟易とするロシア式大胆さで在る。勿論、二人とも素っ裸で在る。極東の夏の短いロシアの海は、冷たかった。

 正直、茹で上がった金玉が、瞬間冷凍される海水の冷たさで、恋は盲目とは云うもの『冗談じゃアラスカ、ウラジオストク』の気分で在る。加えて、彼女は立ち泳ぎの名手で、海の無い山国育ちの私は、それが苦手の口で在る。

「さぁ、あなた。此処に上を向いて寝て下さい。そして、目を閉じて下さい。私がOK云ったら、空を見て下さい。5、4、3、2、1。オープン!! はい、私のプレゼントです。」

  大袈裟な云い方に思われるだろうが、天空のパノラマは、天地創造のパノラマで在った。

  金髪美人のヤナの取り澄ました顔と、彼女とのあの時、その時のシーンが蘇って来る。

 クンが横に遣って来た。そして、天空の大パノラマに向かって、遠吠えを発し始めた。私はクンの太い首に腕を回して、一緒に天地創造のパノラマを無言で仰ぎ見る。

 そして、不思議な錯覚を覚えた。ギュンとクンの伝説の人間と灰色狼の舞台の二人が、其処には居た。

 宗教が誕生する遥か以前、人も動物も、この天空の厳かで圧倒的神秘に向かう事で、天の意思、天の奥深さに、心を無にして、素直に平伏(ひれふ)す無心さを共有して居た筈で在る。こんな壮大な天空の様は、現代の日本に暮らして居たら、一生見られない。太古の昔では地球上、至る所で見られた天空の神秘で在っただろう。天のお告げ、神のお告げに、動植物も、人間も全てが平伏して、天空のパノラマに霊的な存在を確信して居た筈で在る。

          得てして、科学の進歩進展は、人間に『慢心』を加速させる。

 ひっそりとした広葉樹の林に、クンの遠吠えに群れが続き、津々と冷える空気に、静寂の林で在る。木霊が天空に昇り、同化して行く。初冬の夜空は澄み渡って、近く見える。

 多分、それは冬の川の流れが寒さの中で、水中の微生物が冬眠する事での『水の透明感』を示すのと同様の作用で、空気中の微生物が冬眠して居るのと同作用なのだろう。『満天に降り注ぐ星々』などと云う表現法が、何時の時代に出来たかは、私には不明だが、きっと電気もガスも無かった時代の夜天から生まれたのかも知れぬと思った次第で在る。

                 どの位の時間が経ったのだろうか。

 冷気に冷えた身体を小屋に入り、薪を投入する。かまどに橙色の火炎が立ち上がる。人類にとって、火は進化の基(もとい)に為った。暖を採り、猛獣から身を守り、明かりを灯し、調理革命を齎し、火力の源泉は、木から石炭、石油、原子と進化した。そして、人間の放つ不夜城の明かりは、天空の天地創造の大パノラマを消し去った。

 火勢の落ち着いたチロチロした橙色の炎を見ながら、クンの腹を枕にして目を閉じる。クンの呼吸の満ち退きに、私の呼吸も合流して行く。その中で気付いた事だが、狼の遠吠えは時間を置いて続いて居る。少し、考え見る事にした。

自然界に於いては、犬の放尿に象徴される様に、自分の縄張りを主張してマーキング付けが為されて居る。そして熊などは自分の強さ、大きさを誇示する為に、木に引っ掻き傷と首の後ろから分泌される臭気付けと云ったマーキング、鳥達は囀り行動をして縄張り主張をして居る。嗅覚の動物・狼は、放尿マーキングの臭い付けと遠吠えの声と云う両面で自分達の縄張り主張をして居ると観た方が、納得が行く処で在る。

   縄張りの本義は、排他的食糧確保の為で在り、それこそが生存競争の証しなのだろう。

 私の小さな庭観察経験からすると、庭に遣って来る小鳥達の習性に依って、キジバト、雀は穀類、シジューカラ、ジョービタキは虫類、メジロは果実類、ヒヨドリは雑食と食性の違いで、共存をして居る様が観て取れる次第で在る。
 同じ虫捕食でもツバメの様に飛行捕食として、他の虫捕食鳥とバッティングを回避する種も居るし、河川敷散歩をすれば、サギ類、カワセミの様なダイビングキャッチ、カワガラスの様に水中昆虫捕食する種も居る。蝶類の幼虫にしても、其々の食草に応じて、食べ分けをして共存を図って居るのが観て取れる次第で在る。

 こんな風に考えて行くと、地上の肉食獣・灰色狼の競合獣として考えられるのは高々、キツネくらいしか思い付かないが、それでは狼の対抗獣としては『役者不足』の観で在る。狼に匹敵する物としては、熊、鹿、猪が思い付くが、鹿、猪は狼の狩り対象で在る。
 
 常識的に考えると、狼に対抗出来るのは猪と為ろうか。縄張りを主張するのは、エリアの巣穴の子供達を護ると云う遠吠えなのだろう。猪、狼も群れ社会を営む。当然に群れのリーダーは経験豊かな雄で在る。一方的に狩りの対象とされるのでは芸が無さ過ぎる。
『危険は芽の内に絶つ。』これは、生物の当然の経験値と考えるべき事で在る。従って、賢い猪リーダー為らば、最大最強のライバルを、子供の内に駆除して置きたいと考えても不思議は無い。

  
            そんな想像をして居る内に、私は眠りに落ちて行った。

 <その4>
今回は、ノンビリの湯治が目的で在る。狼家族はクンを先頭に、縄張り巡回若しくは狩りに行った。私は飯盒に飯を炊き、熱い湯を注いでモーニングコーヒーを飲んでの、煙草の一服とする。

 炊飯器と違うから、飯の番とする。飯が炊けると、カレーは目を離した隙に狼家族に全部食べられ、舐められて仕舞ったので、簡単に卵掛けご飯にサバ缶で済ます。まぁ、これも、シンプルイズベストのアウトドアの美味さでも在る。

 さぁ、川風呂に下りる前に薪集めで在る。一輪車に手道具を入れて、林の中を行く。夏遊びでして居た畑を見ると、動物が来て居た様な形跡が在る。

 ニュース知識に依れば、鹿、猪の類なのだろう。食物連鎖の君臨獣を失った日本の山野では鹿・猪の大繁殖が進んで、植樹の幼木は悉(ことごと)く食べられ、人里はおろか、街場にも鹿、猪、猿の出没騒ぎが恒例化して居る。

 勤めを終えて、殆ど車には乗らない生活では在るが、勤めで車を乗って居ると、梓川の奥とか、穂高、辰野の奥に行くと、猿の群れに遭遇する事も在った。乗鞍辺りに行くと、道路にカモシカなども出現する。彼等は融雪剤の塩分を摂りに来るのだとの解説を聞いた事も在る。

 身近な事では、雪の後の2時間コースの長散歩での脇道に歩を進めれば、鹿の足跡を見る事も在る。住んで居る地区の里山では、恒例作業としての『鹿防止柵の設置、維持管理』も在ると聞く。

 広葉樹の平坦地で、見通しの好さは、鹿、猪にとっては都合の良い環境で在る。少し歩いただけで、『然も在りなむ』の形跡の数々で在る。

 湯治目的と云えども、毎日が日曜日オヤジの生活で在るから、四六時中、湯に浸かって居る訳にも行かぬ。食い溜めの出来る狼家族だって、狩りとは別個の縄張りの巡回に出て居る次第で在るから、私もそれに見習って、少しは動かなければ為るまい。加えて、歴史教科書の一文には『人間特性』の一つとして、労働の文字も在った次第で在る。

 薪拾いの後は、手道具を熊手、鍬、鋤簾に変えて、『人間マーキング』で、畑スペースの整理とする。

 まぁまぁのペースでの労働もした次第で、川湯浸かりに行く。風も無くお天道様に恵まれると、極楽浄土の気分で在る。ヒラヒラと舞い落ちる紅葉、山上に掛かる白雲、上空にはトンビの大きな円翔、林には小枝、木々をチィチィと単発の鳴き交わしをして小さく渡る野鳥の小群れ・・・etcと、時がゆったりと流れる。湯温に草の緑も在るし、川水の流入箇所には、小魚達も群れ泳いで居る。

      湯に火照れば、石に腰掛けて汗を退かせて、冷えて来ればまた湯に浸かる。

 幾分の黄ばみの在る湯の華は、硫黄分が在るのだろう。そんな硫黄分の白い付着が、温泉気分と隠し湯気分を満たして呉れもする。

 さてさて、もう一度入りに来るとして、集めて来た薪の大きな物、太い物を切ったり、割って置くと致そうか。作業をしながら、歴史を反芻したり、歴史は繰り返すの相似性を現代の国際力関係に重ねたり、唯、頭に浮かぶ儘に感じたり、思ったり、考えたりするのも、頭の巡回と云う物で在る。人間、人と居るだけが愉しみでも無い次第で在る。時は唯、静かにゆったりと流れて行く。これを称して、『独り湯治』と云うのだろう。

<その5>
      その日の夜の事で在った。
外の様子が異常で在る。クンが居ない。広葉樹の林の中では、野生界の凄まじい咆哮、威嚇、走り回る影の交錯で、闘争の展開場と化して居る。シルエットは、猪の群れの突進、襲撃の様で在る。

 巨体を誇る猪ボスが先頭に位置して、左右にがっしりした若猪を従える鋭角の三角翼態勢を張っての、文字通りの猪突猛進を狼の群れに斬り込んで来る。真一文字の猛攻に、狼達が空中にパッと身を翻して、後ろに回るや、猪の群れを猛追する。踵を返す群れが距離を置いて隊勢を立て直す。

  群れの両者が涎を流し、咆哮し合い、威嚇の牙を剥き合って一発触発の睨み合いをする。

 月光の闇に目が慣れて来ると、野生の戦い振りの凄まじさ、相手を憎々しげに凝視しての牙を剥き出しの咆哮合戦、威嚇合戦は、両者の緊張、気迫の糸が一分の隙も無く張り巡らされ、私は恐怖以上の『戦闘の美』すら覚える。

 西部劇のインディアン戦法の、幌馬車隊を高見の場所を平行に進みながら、機を窺って一気加勢に襲撃して、隊列を分断させて孤立した幌馬車を『個別殲滅』して行く戦法を採るのが狼達の、群れ分断狩りの戦法で在る。距離を置いて、執拗に追い続ける事に依って、獲物を孤立させて、前後左右、上下攻撃をして倒す。分断、個別攻撃が、その真骨頂と云えるだろう。

 そのロングランの群狼戦法が夜陰の襲撃で、破られたので在る。四方に蜘蛛を散らす狼達で在る。それでも家族を核とした狼軍団は、其々の役割を分担して群れを構成し始める。命を張って、相手を正面から倒すボス、脇、後ろに回って、ボスに加勢する狼、子供を護る狼。

 普段、分断個別攻撃をする事で、一頭を倒す狩りをして居た狼軍団に対して、猪軍団が隊勢を組んで『一点突破の猪突猛進』を迫って来たので在る。

 猪ボスの狙いは、若狼、子供狼を殺して、群れの戦闘力を粉砕する事に置かれて居るのは、一目瞭然で在る。

 クンは直ぐ、それに気付いた様で在る。子供狼を逃がし、追う猪軍団の側面を狼軍団が突く作戦に切り替えた。猪も狼も攻撃・打撃の指揮、主役はボスにして、その結果はボスの実力次第で在る。戦闘経験の未熟な側面を狼軍団の矢の突進で破られ、猪軍団の隊勢が分断されて行く。

 猪と狼の攻防は、決着が付かないままに、猪の群れが広葉樹の林を退場した事で静かに成った。狼達は天空のパノラマに、全頭の遠吠えを木霊させて、巣穴に戻って行った。

           野生界は無駄な殺生、闘争はしないと云うのを思い出した。

 いずれにしても、これは自然界の覇権争いの第一幕・狼に対する猪の強い意志の見せ所だったのだろう。

 緊張が解除されて、夜気の冷たさが一気に押し寄せて来た。堪らずに、私は小屋の中に入ってかまどに薪を放り込んで、手を翳し、尻、背中を暖めて熱い湯を飲む。ボス狼・クンは、群れが心配で、巣穴に帰って行ったのだろう。小屋には戻って来なかった。

   小屋の暖まりで、私はベットに腰掛けて、猪と狼の覇権抗争のシーンを振り返って見た。

或るラジオ番組で、興味深い話を聞いた。狼には9~10の乳首が在って、乳首を吸った狼には其々異なる性向が与えられると云う話で在る。
 中央の乳腺から分泌される成分には、ボス、情報を採って来る作戦参謀、噛み付き、子育てなど決定されるとの由で、ミツバチ社会が与えられる蜜に依って、女王バチ、生殖担当の雄蜂、戦闘蜂、働き蜂の運命が定められて居る仕組みと相通じるものが在って、大いに得心したのを覚えて居る次第で在った。

 狼は乳首の配置、ミツバチは巣嚢の配置に依って、其々の宿命が定められて居ると云う不思議さと云うか、場所によって分泌成分と量の多寡、巣嚢の場所に応じた蜜の配分と云い、自然界の驚異でも在ろうし、人間的考察をすると、狼、蜜蜂にしろ、特殊な食物摂取に拠る『英才育成の仕組み』なのだろう。

 <その6>
 一頭の若狼が猪の群れを、遠くから追尾して居る。猪の群れは成獣四頭に、幼獣五頭の家族群れで在る。絶えず地面に鼻を立て、臭いを嗅ぎまわり、餌となる物の臭いが在れば、牙を土に押し当てて、掘り起こして地下茎、球根を掘り起こして食べながら、散開しての移動中で在る。茶色の如何にも硬そうな毛皮と頭部の大きさからは、野生の猛獣には見えるが、その習性、行動様式からすれば、明らかに豚の祖先の行動パターンで在る。

 自然界は畑では無いから、食料が密集して居る訳では無い。餌となる物が在れば、散開して餌を漁る。無ければ移動をして行く。草、木の皮を食料とする鹿とは食べ分けが成立して居るから、彼等はバッティングもせずに、共存をして居る。猪も鹿も、顔を見合わせたと云っても、お互いを然程意識もせずに、自然界に共存・同化して居る。

 偵察狼は、猪の群れが餌漁りをしている時は、その行動パターンを知って居るから、座って目だけで群れ行動を観察して、群れが移動を始めるとゆっくりと立ち上がって、付かず離れずの群れ追いを始める。余裕に満ちた偵察行動で在る。

 或る時、北欧の野生ドキュメンタリー番組で、カラスと一匹狼の関係を見た事が在る。狼社会は群れを単位とした役割分担の世界と云われて居る。群れに於ける役割分担は、それ自体が厳格な掟を為して居て、群れから離れる事は、即生存が危ぶられ死活問題を意味するそうな。

    ドキュメンタリーの骨子は、カラスと一匹狼の生きる事の『協働物語』で在った。

 カラスは空中から、狼の偵察活動を担って、空から獲物の存在、行方を追尾して狼に知らせる。狼はカラスの偵察行動の働きで、獲物を狩る。当然に獲物はカラスにも分け前が与えられるから、群れに属さない一匹狼は、カラスと云う偵察役を得て、協働する事で、生きて行ける。

 考え様に依っては、子として生まれ、就学して社会に出て、一家を持ち子育てを終え、母親の介護をして見送り、お役御免の独り身生活の途上に在る吾が身で在る。
 
 カラスとて、朝に成れば、山の林から群れで飛び立ち、昼は散開して其々が別々に行動して、夕刻に成れば空に集って山の塒(ねぐら)に帰る。群れに属さない独りカラスと独狼の協働共存の生き方も在るからして、古希坂住人の独り生活で在っても、嘆く必要も無かろう。

 今回は、二泊三日のショート湯治行で在る。一方には狼と猪の、その後の行方を見守りたい気持ちは十分在るが、それは『自然界での行方』で在る。従って、人間の私の関与する処では無かろう。

 翌日は夜半からの雨で在る。これも何かの啓示で在ろう。雨が雪に変わらぬ内に、下界に戻ると致そう。クンが、川湯の屏風岩まで見送って呉れた。

      夢奇譚第36部ショート湯治の巻・・・完。
                      2019/12/2     by アガタ・リョウ

 当初は5、6話で終わると思って居た夢奇譚も、気が付けば36話と為って居るから、『塵も駄文も、積もれば山と為る』の譬えで在る。終わって見れば、何処で如何、中指が進んでしまったのか???  今までと違った『エッセイ譚』の趣で在る。吾ながら、『継続性の変化』を見る思いで在る。へへへ。



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