長駄文館・・・本日、生暖かい朝為り。
- 2019/12/18
- 14:25

本日、生暖かい朝為り。(12/18/19)
何か湯たんぽが暑くて、違和感が在る。何時だろうか、5時に差し掛かる処で在る。暖かい。早いが、起きるとするか。台所の洗い物をしながら、昨日浸して置いた豆に火を入れる。
10年強の母の介護生活で、年寄りの口に合う食事を作って居る内に、私もすっかり老人食の態で、野菜中心の食生活に移行して居る。
そして、加齢期に差し掛かって来ると、益々その傾向に為って、あっさり系の物が美味いと感じて来て居る。狩猟漁労採取の縄文体質なのだろうが、元々が魚派で在る。
中学の頃、教師から日本人の『短足』は、畳生活と穀物・野菜主体の食生活の為、腸が長く出来上がって居るから、それに伴って短足なのだと云って居た物で在る。
何しろ教師の云う事で在るから、中学生の『純な心』としては、正しいと思い込んで居た次第で在る。それが長じて、臍下三寸の快感を覚える中年不良とも為ると、人種の違いで足の長短の見た目の違いは、長さも然る事ながら、縊(くび)れたウエスト、出っ尻に関係が在って、所謂『腰の高さ』の違いが明白為るが故に、寸胴・尻薄型の日本女体は、実態以上の短足に見えて居ると云う事に気付いた次第で在る。
西洋のコルセット・ハイヒール文化と日本の帯・草履文化の違いによる腰位置の高低を云って呉れたら、『模範解答』だった次第で在る。これなら戯けでも納得で在る。へへへ。
母=妖怪様を看取って、介護に充てて居た時間をボケ防止策で、学生時代の最得意科目の世界史のマスターに充てて見ようかで始めた『詳説・世界史研究』で在る。それを主本にして、側本に世界史上下本、地理地名で読む世界史、国民の歴史をローテーション読みして、歴史に対する自分軸をライフワークとして居る次第で在る。
加えて便利なネット動画が在ると、歴史講座として『受講』して居るので、退屈しない脳作動をさせて居ると云った処で在る。
小説の類は殆ど読まないが、小説読みの代替として映画を観たり、旅紀行物などを観て居る次第で在る。新聞は止めて仕舞ったが、テレビとはおさらばをして、家に居る時はラジオをBGMとして流して居るから、新聞雑誌テレビとの付き合いは無い物の、然程のハンディは感じない。
『鉄は熱い内に打て』は、人生の実態語で在る。記憶力の旺盛な内に物を詰め込むのは、将来の為に有効な手段で在る事は間違い無い事で在る。四の五の云う前に、覚えた方が勝ちで在る。
学校を卒業すれば、社会人、家庭人として、学んだ事を『有効有用活用』出来るか否かは、個々人の技量・価値観に依る処で在る。子育て、勤めを終えれば、各種の柵から解放されて、毎日が日曜日の日々で、再び人生は自分の物と為る。
人体に五体在り、神径体に五感在り、そして人に人生の在り経験知・経験値在りとする次第で在るから、総体と個別、人生の経験知によって、抽象語・観念語の言葉記述を自分の理解とするには、柵解放の時を待つより他無いのが、哀しいかな、一般凡人の通常で在る。
こんな風に考えて来ると、一生の内で自由時間に事欠かない現在が、一番勉強に適して居る時期なのかも知れないと思う次第で在る。
『友、遠方より来る、これ愉しからずや』では無いが、年輪を重ねた友と語る時間は好い時間で在る。友は現実の友の時も在ろうし、他界した友の時も、また振り返り、反芻する自問自答の内心の分身達との語らいも在る次第で在る。愉しみを外部に求めるも、内部に求めるも、人其々で在る。
七時を回って、日の出の朝焼けが雲を染めて居る。灰色の雲は南から北へ流れて居る。南天の葉の緑と実の赤さが際立つ朝の庭で在る。
八時成って、ゴミ出しに行くと、雨の落ちで在る。軒下の洗濯物を取り込んで、朝飯とする。雨日と成れば、お天道さんのお隠れで気温の上昇は無さそうで在る。遺憾いかんのコタツ日と為ろうか。
散歩も億劫と成る寒さでも在るし、そうそうは頁捲りを続ける脳味噌のタフさも無く成って居る。する事も無いから、偶には悪戯描きをして遊んで見る事に致そう。
そんな次第で昼飯前に完成したのが、本日の一枚で在る。さて、昼飯と致しましょうかね。へへへ。
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