長駄文館・・・遺憾いかん・・・とんだ方向に向かって仕舞った為り。
- 2019/12/26
- 13:59
遺憾いかん、とんだ方向に向かって仕舞った為り。(12/26/19)
何、明日から本格的寒さとな。・・・困るじゃないか。
ラジオを聴いて居ると、一年を振り返る中で、サラリと『根拠の無い嫌韓論』と来たもんだ。
事実は事実で在っても、それを如何見て感じ、受け止めて、如何語るか、如何伝えるかで、事実の認識は人其々異なるのが、人の世の実態事で在る。其処が1+1=2の理系と1+1≠2の文系の大きな違いなので在ろう。=と≠の違いは在っても、人の世の大掴み法としては、最小公約数の括りも在れば、近似値の捉え方も在る。
『火の無い所、煙立たず』の言葉を知らないのか、個々の論証は苦手な一般人が、日々のニュースを聞いて、これは『何をしても毒亜圏は毒亜圏の国家・国民体質』『火中の栗拾わず』と断を下した結果の嫌韓論の結果なので在る。
それを相手の立場を尊重して、『話せば解り合える』などのノーテンキ権化の似非平和主義に偏重して居る。それが国民世論を先導する『優等生然』として、振る舞うNHK体質を、恥ずかしげも無く云って退ける処が、正に『NHK臭』で在る。
これだけPCが発達して、今やその気に為れば、個々人が世界のニュースに接して、映像、多種多様な解説、意見を知る事が出来る世の中で在る。益してや、極普通の事として、海外旅行もして居る世の中で在る。海外旅行での最大の土産は、異国で日本人を意識する事で在り、百聞は一見に如かずを体感出来る処で在る。
啓蒙放送体質の押し売りは、業界の自惚れ体質にして『時代錯誤の態』で在ろうに。
大越キャスター、三宅キャスター、好い大人振るのは時代遅れで在りまするぞえ。へへへ。或る分野のマスゴミ勢力のご意見として、承って置きまする。批判する立場が、今や批判される立場と云う事をお忘れなく。巷では給料泥棒なんて『陰口』も叩かれて居りまするぞえ。
昔は、朝日新聞を読み、テレビは専らNHKを見て、ひたすらに文部省推薦の良い大人に為ろうと努力して来たのだが、一体何処で如何間違って仕舞ったのか、何時の間にか袂を分かって仕舞った。私が道を踏み外したのか、朝日、NHKが変わって仕舞ったのか、私には解らない次第で在る。
尤も口の悪い仲間によると、朝日、NHKを読んだり見たりすると、『馬鹿』に為るそうな。
私は戯けで在っても『奥ゆかしき小心者』で在るから、其処までは云い切る事は出来無いが、友人で在るから、友人に一方的に反対する訳にも行かない次第で在る。へへへ。
昨日は新本を読み進めて居ると、インドに於ける仏教の終焉期・ヒンズー教の8Cには、バラモン教の宗教改革時のウパニシャド哲学期の『梵我一如』思想が、『不二一元論』に大成されて、ヒンズー教の根本を為して行ったそうな。『不二一元論』は初めて知った言葉で在った。
インド亜大陸の宗教観は、征服者アーリア人のバラモン教、バラモンカースト、ウパニシャド哲学、62見、仏教、ジャイナ教、バラモンと土着宗教の合体・ヒンズー教と云った具合で、バラモンカースト世界で、輪廻、梵我一如、苦行解脱、悟り解脱、不殺生、諸行無常、他利行、出家、在家・・・etcで、それらの習合体が多神教・土着のヒンズー教の母体と為って居る感がして、興味深い処で在る。
仏教発祥地インドでは、8C後はヒンズー教、イスラム教に呑み込まれて仕舞った仏教では在るが、日本の神仏混淆の宗教観が根底に在る様で、日本とインドは、親和性が強いと思われる次第で在る。
民族的親和性と云えば、ロシアとの親和性も体感して居る次第でも在る。日本に一番近い西洋が、ウラジオストクで在ると云われて居る。或る女性と親しく為って、3回行った事が在る。街並、手を入れない自然の風景、気取らない態度、落ち着いた人々の光景などを見るに付け、ロシア民謡の馴染み、明治期に盛んに読まれたと云うロシア文学、名画『ドクトル・ジバゴ』、『ひまわり』から感じられるロシアの大地などの映像記憶と、共産主義化でも続いて居たギリシャ正教を結び付けると、其処にはロシアと日本の共通項などが見えて来て、親和性を感じる次第で在る。
相手に利用価値が在るか否かの『損得勘定』では無く、日本人の人付き合いは、先ず相手を信ずる事で始まる。云う為らば、人間に対する『性善説』を前提にして居る。
性悪説を採れば、人間は如何しても、観察から入って仕舞い、緊張感が先に立って仕舞うから、無防備の大らかさが発揮出来無く為る。
ギリシャ正教はローマカソリックとは異なった自然観が在る様で、西ローマ帝国よりも東ローマ帝国は1000年も長く続いた歴史を持ち、その版図にはスラブ民族を含み、古代オリエントの世界帝国アケメネス朝の『多民族融合の寛容性』を持った国風を持って居た事とも関係して、皇帝教皇制を採ったと云う『東ローマ帝国』にもその寛容性が継承されて居たと思われる次第で在る。
ローマカソリックは兎に角、原理主義の教えらしく、何でもかんでも異教、異端の烙印をして追放、火刑に処して仕舞う。私なんぞは、怖くて近付けない排他的一神宗教で在る。詰まりは、人間に対する性悪説を採って、原罪意識の下、唯一の正義を強いる三位一体説・天動説の『狭義』と云う他ない。これは、八尾萬の神々の国の日本人からしたらで在る。
私には、『寛容性は性善説から産まれ、排他性は性悪説から産まれる』のでは無いかの思いが在る。私の小さな体験感想からすると、ロシア人にもと云うか、その精神的支柱のギリシャ正教には、何処と無く『性善説の訓え』が在るのでは無かろうかとの想像で在る。
ロシア国歌の第二国歌と云われる『カチューシャの唄』のメロディとその訳詞を聴くと、ロシア人の国家意識が聞こえて来る感じで在る。日本の第二国歌は『海行かば』との事で在る。
名前は知らないが、ロシアの国民的男性歌手が朗々と歌う荘厳な歌が在る。それの英語訳が画像の下にテロップとして流れる。幾つかの知って居る単語を拾い読みして、多分オペラ歌手の『表情訳』をして見ると、旅人が古戦場を訪れて、痛ましい戦争に散った兵士達への鎮魂歌で在る事が雰囲気的に理解出来て、胸が熱く為り落涙する次第で在る。
ボルガの船曳き唄にも共通する大地、その生活の苦しさの中でも、真面目さを失わない人々の祖国・大地への愛着の情が伝わって来る次第で在る。
人間『頭で解るよりも、血で解る物こそ、真実』と云う感がして、私は海行かばを聴くのと同様の、ロシア人の土着力から来る人間の原初的祖国愛の様な物を感じて仕舞う次第で在る。
遺憾いかん。何処で如何間違った事やら、中指が勝手にキーを叩いて訳の解らない方向に進んで、収集の付かなく為って来た本日分ブログで在る。
さてさて、本日分の日課はこの位にして、飯後は大手スーパーまで自転車で買い出しに行って来ると致しましょうかね。本日も、お付き合い感謝の段で在りまする。へへへ。
何、明日から本格的寒さとな。・・・困るじゃないか。
ラジオを聴いて居ると、一年を振り返る中で、サラリと『根拠の無い嫌韓論』と来たもんだ。
事実は事実で在っても、それを如何見て感じ、受け止めて、如何語るか、如何伝えるかで、事実の認識は人其々異なるのが、人の世の実態事で在る。其処が1+1=2の理系と1+1≠2の文系の大きな違いなので在ろう。=と≠の違いは在っても、人の世の大掴み法としては、最小公約数の括りも在れば、近似値の捉え方も在る。
『火の無い所、煙立たず』の言葉を知らないのか、個々の論証は苦手な一般人が、日々のニュースを聞いて、これは『何をしても毒亜圏は毒亜圏の国家・国民体質』『火中の栗拾わず』と断を下した結果の嫌韓論の結果なので在る。
それを相手の立場を尊重して、『話せば解り合える』などのノーテンキ権化の似非平和主義に偏重して居る。それが国民世論を先導する『優等生然』として、振る舞うNHK体質を、恥ずかしげも無く云って退ける処が、正に『NHK臭』で在る。
これだけPCが発達して、今やその気に為れば、個々人が世界のニュースに接して、映像、多種多様な解説、意見を知る事が出来る世の中で在る。益してや、極普通の事として、海外旅行もして居る世の中で在る。海外旅行での最大の土産は、異国で日本人を意識する事で在り、百聞は一見に如かずを体感出来る処で在る。
啓蒙放送体質の押し売りは、業界の自惚れ体質にして『時代錯誤の態』で在ろうに。
大越キャスター、三宅キャスター、好い大人振るのは時代遅れで在りまするぞえ。へへへ。或る分野のマスゴミ勢力のご意見として、承って置きまする。批判する立場が、今や批判される立場と云う事をお忘れなく。巷では給料泥棒なんて『陰口』も叩かれて居りまするぞえ。
昔は、朝日新聞を読み、テレビは専らNHKを見て、ひたすらに文部省推薦の良い大人に為ろうと努力して来たのだが、一体何処で如何間違って仕舞ったのか、何時の間にか袂を分かって仕舞った。私が道を踏み外したのか、朝日、NHKが変わって仕舞ったのか、私には解らない次第で在る。
尤も口の悪い仲間によると、朝日、NHKを読んだり見たりすると、『馬鹿』に為るそうな。
私は戯けで在っても『奥ゆかしき小心者』で在るから、其処までは云い切る事は出来無いが、友人で在るから、友人に一方的に反対する訳にも行かない次第で在る。へへへ。
昨日は新本を読み進めて居ると、インドに於ける仏教の終焉期・ヒンズー教の8Cには、バラモン教の宗教改革時のウパニシャド哲学期の『梵我一如』思想が、『不二一元論』に大成されて、ヒンズー教の根本を為して行ったそうな。『不二一元論』は初めて知った言葉で在った。
インド亜大陸の宗教観は、征服者アーリア人のバラモン教、バラモンカースト、ウパニシャド哲学、62見、仏教、ジャイナ教、バラモンと土着宗教の合体・ヒンズー教と云った具合で、バラモンカースト世界で、輪廻、梵我一如、苦行解脱、悟り解脱、不殺生、諸行無常、他利行、出家、在家・・・etcで、それらの習合体が多神教・土着のヒンズー教の母体と為って居る感がして、興味深い処で在る。
仏教発祥地インドでは、8C後はヒンズー教、イスラム教に呑み込まれて仕舞った仏教では在るが、日本の神仏混淆の宗教観が根底に在る様で、日本とインドは、親和性が強いと思われる次第で在る。
民族的親和性と云えば、ロシアとの親和性も体感して居る次第でも在る。日本に一番近い西洋が、ウラジオストクで在ると云われて居る。或る女性と親しく為って、3回行った事が在る。街並、手を入れない自然の風景、気取らない態度、落ち着いた人々の光景などを見るに付け、ロシア民謡の馴染み、明治期に盛んに読まれたと云うロシア文学、名画『ドクトル・ジバゴ』、『ひまわり』から感じられるロシアの大地などの映像記憶と、共産主義化でも続いて居たギリシャ正教を結び付けると、其処にはロシアと日本の共通項などが見えて来て、親和性を感じる次第で在る。
相手に利用価値が在るか否かの『損得勘定』では無く、日本人の人付き合いは、先ず相手を信ずる事で始まる。云う為らば、人間に対する『性善説』を前提にして居る。
性悪説を採れば、人間は如何しても、観察から入って仕舞い、緊張感が先に立って仕舞うから、無防備の大らかさが発揮出来無く為る。
ギリシャ正教はローマカソリックとは異なった自然観が在る様で、西ローマ帝国よりも東ローマ帝国は1000年も長く続いた歴史を持ち、その版図にはスラブ民族を含み、古代オリエントの世界帝国アケメネス朝の『多民族融合の寛容性』を持った国風を持って居た事とも関係して、皇帝教皇制を採ったと云う『東ローマ帝国』にもその寛容性が継承されて居たと思われる次第で在る。
ローマカソリックは兎に角、原理主義の教えらしく、何でもかんでも異教、異端の烙印をして追放、火刑に処して仕舞う。私なんぞは、怖くて近付けない排他的一神宗教で在る。詰まりは、人間に対する性悪説を採って、原罪意識の下、唯一の正義を強いる三位一体説・天動説の『狭義』と云う他ない。これは、八尾萬の神々の国の日本人からしたらで在る。
私には、『寛容性は性善説から産まれ、排他性は性悪説から産まれる』のでは無いかの思いが在る。私の小さな体験感想からすると、ロシア人にもと云うか、その精神的支柱のギリシャ正教には、何処と無く『性善説の訓え』が在るのでは無かろうかとの想像で在る。
ロシア国歌の第二国歌と云われる『カチューシャの唄』のメロディとその訳詞を聴くと、ロシア人の国家意識が聞こえて来る感じで在る。日本の第二国歌は『海行かば』との事で在る。
名前は知らないが、ロシアの国民的男性歌手が朗々と歌う荘厳な歌が在る。それの英語訳が画像の下にテロップとして流れる。幾つかの知って居る単語を拾い読みして、多分オペラ歌手の『表情訳』をして見ると、旅人が古戦場を訪れて、痛ましい戦争に散った兵士達への鎮魂歌で在る事が雰囲気的に理解出来て、胸が熱く為り落涙する次第で在る。
ボルガの船曳き唄にも共通する大地、その生活の苦しさの中でも、真面目さを失わない人々の祖国・大地への愛着の情が伝わって来る次第で在る。
人間『頭で解るよりも、血で解る物こそ、真実』と云う感がして、私は海行かばを聴くのと同様の、ロシア人の土着力から来る人間の原初的祖国愛の様な物を感じて仕舞う次第で在る。
遺憾いかん。何処で如何間違った事やら、中指が勝手にキーを叩いて訳の解らない方向に進んで、収集の付かなく為って来た本日分ブログで在る。
さてさて、本日分の日課はこの位にして、飯後は大手スーパーまで自転車で買い出しに行って来ると致しましょうかね。本日も、お付き合い感謝の段で在りまする。へへへ。
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