長駄文館・・・是、朝のアイドリング報告為り。
- 2020/02/01
- 11:55
是、朝のアイドリング報告為り。(2/1/20)
月も改まった土曜日で在るからして、また冷え込みの強い朝で在る。そんな次第で今朝は蓑虫の態で、充分な寝床シンキングタイムを始める。
ニュースを聴いても、国会中継、ネットを見ても、コロナウィルス新型肺炎だらけで在る。斯く云う私のブログでもそうで在るから、カサンドラクロスの表紙を借用してのブログ日誌も在った次第で在る。日に日に、武漢発祥の新型肺炎は世界の注視の的で在る。
武漢閉鎖、中国機入国禁止、渡航禁止勧告、世界健康機関の緊急指定病宣言と健康、経済、習近平国賓拒否、オリンピック中止、・・・etcと、その危険度、影響度たるや、計り知れないのが現況で在る。
対家畜為らば、即流通禁止、隔絶の『全数殺処分』が、この手の疫病対策と為るのだが、事が対人間と為ると、『非常事態宣言』を発令しての強権措置が採れないのが、『生きる権利の保障』の現実で在る。閉鎖、罹患者、保菌者の選別、隔離、治療の各手続き、処理、治療をしなければ為らない『個別処置』の煩雑さをして行かなければ為らない。病院とて院内感染の副次的問題も生じて来るから、事は甚大な『国力』を要する。
武漢封鎖を世界史的に観ると、古代ギリシャのペロポネス戦争時、アテネの大英雄・ペリクレスが『籠城戦』を採った処、孤立した城塞の中で疫病が蔓延してペリクレスも死んで、アテネ対スパルタの激闘は、スパルタの勝利に終わったとの歴史が在るそうな。またモンゴル経由で全ヨーロッパに蔓延した黒死病(ペスト)に於いては、死者は悉く焼却処分とされたそうな。
ボーダレスの世界一体化が日常化されている現代は、陸、海、空と人の移動は自由にして大量化されて居る。
武漢差し向けの帰還便の2人が、検疫を『個権』を主張して拒否をしたと云う次第で在る。自由為る個権と云えども、人間社会は個と全体が連動して居るのが実態で在る。
このニュースを聴いて、私は結構真面目な学生で在ったから、『民法第1条』を思い出した次第で在る。曰く。①私権は公共の福祉に尊ぶ。②権利の行使及び義務の履行は、信義に従い、誠実に之を為す事を要す。③権利の濫用は之を許さず。
真に通りの良い条文では無いか。感銘した事を覚えて居る次第で在る。
法に公法と私法在りで、公と私のバランスが必須なのが人間社会の掟で在る。私法が保障して居る権利は『私権』と呼ばれて居るが、私権も権利で在る以上、社会性・公共性を有する。その条文が③の権利の濫用は、これを許さずの制限規定で在る。法律以前の常識中の常識規定で、当たり前の話・理で在る。人類にとって、法は雑多な争いの中から醸成されて来た集大成の様な物で在る。
古代オリエントの2大勢力の一方エジプト文明では、その地理的所産で王が神にして法無き絶対施政者、一方、地理的環境の下、異民族の栄枯衰退のメソポタミアの地に在っては、王は神の代行者で在ったそうな。人間王で在るからこそ、メソポタミアでは古くから法が発展して居たとの由。
古バビロニア王国のハムラビ法典は刑法の『歯には歯、目には目』の復讐法にして身分法の事ばかりが象徴されて教えられては居るが、全282条から為る身分・家族・結婚・財産等の体系法で在る。
法に条理・習慣法在りで、其々の民族・社会・宗教・文化・慣習の中から生じた雑多な争い事を調整して来た最大公約数的合意の様な側面が在り、それは民族、社会の『常識部分』と重なり合う物で在る。
RIGHTSを権利と誤訳した西周(にしあまね)と権理と正訳した福沢諭吉の違いは、正に民法典の第一条に凝縮されて居るの観も在る。詰まりは、利益の利としたRIGHTS観と社会の条理の理に求めた根本的差異の違いなのだろう。日本語は漢字文化にして、漢字は表意文字で在る。利と理の違いは歴然とした違いで在る。
これを称して、日本では『弱り目に祟り目』と云うそうな。真っ当な日本に在っては、事に臨む果敢の決断・迅速性を国家に期待する次第では在るが、相変わらずの政治決断・迅速性を欠いた平和ボケの態で在る事か。
米中経済戦争・覇権争い、一党独裁国家内部の無謬&面子主義が横行して居る中狂執行部は、豚コレラと新型肺炎の蔓延で、さぞや人民に於いてはマグマ爆発の状況では無かろうか、香港デモ、台湾蔡総統の記録的勝利と、中狂政権崩壊の引き金と為るやも知れぬし、形を潜める北朝鮮3代目、効を奏しない日本バッシングに大人しく為って居る韓国文在寅従北政権も、如何なって居る物やら。毒亜の面々達も打ち揃って、『元気喪失』の在り様では無かろうか。
閉じ籠もりロートル独り身生活の日々では在るが、現実事象の折々に脳裏に展開されるシンキングタイムに遭遇する有難さも、私が生きて居るの証なので在ろう。
冷え込んだ屋根の霜の白さも、青空一杯のお天道さんの輝きで、無風の好天と成って居る。楓の切り口に光る樹液を吸いに、雀、メジロ、ヒヨドリが来て居る。土曜の芸能のお時間をBGMに、朝のブログ打ちの時間に充てて居るのだが、大分腹も空いて来た次第で在る。飯も炊けて居る次第で在るから、飯の用意を致しまする。へへへ。
月も改まった土曜日で在るからして、また冷え込みの強い朝で在る。そんな次第で今朝は蓑虫の態で、充分な寝床シンキングタイムを始める。
ニュースを聴いても、国会中継、ネットを見ても、コロナウィルス新型肺炎だらけで在る。斯く云う私のブログでもそうで在るから、カサンドラクロスの表紙を借用してのブログ日誌も在った次第で在る。日に日に、武漢発祥の新型肺炎は世界の注視の的で在る。
武漢閉鎖、中国機入国禁止、渡航禁止勧告、世界健康機関の緊急指定病宣言と健康、経済、習近平国賓拒否、オリンピック中止、・・・etcと、その危険度、影響度たるや、計り知れないのが現況で在る。
対家畜為らば、即流通禁止、隔絶の『全数殺処分』が、この手の疫病対策と為るのだが、事が対人間と為ると、『非常事態宣言』を発令しての強権措置が採れないのが、『生きる権利の保障』の現実で在る。閉鎖、罹患者、保菌者の選別、隔離、治療の各手続き、処理、治療をしなければ為らない『個別処置』の煩雑さをして行かなければ為らない。病院とて院内感染の副次的問題も生じて来るから、事は甚大な『国力』を要する。
武漢封鎖を世界史的に観ると、古代ギリシャのペロポネス戦争時、アテネの大英雄・ペリクレスが『籠城戦』を採った処、孤立した城塞の中で疫病が蔓延してペリクレスも死んで、アテネ対スパルタの激闘は、スパルタの勝利に終わったとの歴史が在るそうな。またモンゴル経由で全ヨーロッパに蔓延した黒死病(ペスト)に於いては、死者は悉く焼却処分とされたそうな。
ボーダレスの世界一体化が日常化されている現代は、陸、海、空と人の移動は自由にして大量化されて居る。
武漢差し向けの帰還便の2人が、検疫を『個権』を主張して拒否をしたと云う次第で在る。自由為る個権と云えども、人間社会は個と全体が連動して居るのが実態で在る。
このニュースを聴いて、私は結構真面目な学生で在ったから、『民法第1条』を思い出した次第で在る。曰く。①私権は公共の福祉に尊ぶ。②権利の行使及び義務の履行は、信義に従い、誠実に之を為す事を要す。③権利の濫用は之を許さず。
真に通りの良い条文では無いか。感銘した事を覚えて居る次第で在る。
法に公法と私法在りで、公と私のバランスが必須なのが人間社会の掟で在る。私法が保障して居る権利は『私権』と呼ばれて居るが、私権も権利で在る以上、社会性・公共性を有する。その条文が③の権利の濫用は、これを許さずの制限規定で在る。法律以前の常識中の常識規定で、当たり前の話・理で在る。人類にとって、法は雑多な争いの中から醸成されて来た集大成の様な物で在る。
古代オリエントの2大勢力の一方エジプト文明では、その地理的所産で王が神にして法無き絶対施政者、一方、地理的環境の下、異民族の栄枯衰退のメソポタミアの地に在っては、王は神の代行者で在ったそうな。人間王で在るからこそ、メソポタミアでは古くから法が発展して居たとの由。
古バビロニア王国のハムラビ法典は刑法の『歯には歯、目には目』の復讐法にして身分法の事ばかりが象徴されて教えられては居るが、全282条から為る身分・家族・結婚・財産等の体系法で在る。
法に条理・習慣法在りで、其々の民族・社会・宗教・文化・慣習の中から生じた雑多な争い事を調整して来た最大公約数的合意の様な側面が在り、それは民族、社会の『常識部分』と重なり合う物で在る。
RIGHTSを権利と誤訳した西周(にしあまね)と権理と正訳した福沢諭吉の違いは、正に民法典の第一条に凝縮されて居るの観も在る。詰まりは、利益の利としたRIGHTS観と社会の条理の理に求めた根本的差異の違いなのだろう。日本語は漢字文化にして、漢字は表意文字で在る。利と理の違いは歴然とした違いで在る。
これを称して、日本では『弱り目に祟り目』と云うそうな。真っ当な日本に在っては、事に臨む果敢の決断・迅速性を国家に期待する次第では在るが、相変わらずの政治決断・迅速性を欠いた平和ボケの態で在る事か。
米中経済戦争・覇権争い、一党独裁国家内部の無謬&面子主義が横行して居る中狂執行部は、豚コレラと新型肺炎の蔓延で、さぞや人民に於いてはマグマ爆発の状況では無かろうか、香港デモ、台湾蔡総統の記録的勝利と、中狂政権崩壊の引き金と為るやも知れぬし、形を潜める北朝鮮3代目、効を奏しない日本バッシングに大人しく為って居る韓国文在寅従北政権も、如何なって居る物やら。毒亜の面々達も打ち揃って、『元気喪失』の在り様では無かろうか。
閉じ籠もりロートル独り身生活の日々では在るが、現実事象の折々に脳裏に展開されるシンキングタイムに遭遇する有難さも、私が生きて居るの証なので在ろう。
冷え込んだ屋根の霜の白さも、青空一杯のお天道さんの輝きで、無風の好天と成って居る。楓の切り口に光る樹液を吸いに、雀、メジロ、ヒヨドリが来て居る。土曜の芸能のお時間をBGMに、朝のブログ打ちの時間に充てて居るのだが、大分腹も空いて来た次第で在る。飯も炊けて居る次第で在るから、飯の用意を致しまする。へへへ。
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