長駄文館・・・本日、風騒がしき為り。
- 2020/02/03
- 14:04
本日、風騒がしき為り。(2/3/20)
昨夜は動画観が昂じて、講談⇒トム・ジョーンズ⇒エルビス・プレスリーと続いて仕舞い、夜更かしをして仕舞った。新本の方も、日中の廊下の暖かさに再読百頁に進んだ次第では在るが、文体の違いで未だしっくりと来ない段階で在る。そんな次第で旧本の文体に目を遣ったり、纏めた備忘録に目を通したりして、新旧本の調整を図って居る次第で在る。
御役御免の独り暮らしはマイペース、マイタイムのマンネリの中に、如何に心身の呆け防止策を取り込むかで、ピンピンコロリの寂滅の道なのだろう。
医食同源で地場野菜果物を日本古来の伝統食の再現を台所遊びとして家事をこなし、脳味噌の呆け防止にライフワークとしての趣味の世界史を読み考える。目の焦点の調整には散歩を日課として、起床時のバッコン腹筋体操を施す。閉じ籠もり自閉症防止の為に、ウスバカゲローの幼虫蟻地獄に倣って、話し掛けて下さる諸々の機会を捉えて、言葉忘れの防止とする。社会との接点をラジオをBGMとし、来庭する小さき者達の動きに目を凝らしたりしての日々の頭の整理の為に、ブログ日誌を打ち、時に戯画を描く。
何の変哲の無い月日の重ねでは在るが、充分な時間の流れの内に身が置ける事は、足るを知るの感懐も運んで呉れる次第で、目下、過不足の無い心身の落着きと云った処では無いかと納得して居る日々で在る。
今年は齢72に差し掛かる次第では在るが、生前妖怪様の母親が、倅ファミリーの前で、『こんな肝の短い、気難しかったお父さんさんが、此処まで成長するとは思わなかった。』と多感な若い頃を暴露されて、私の父親の体面はマイナス化されて、グゥの音も出ずに、倅、嫁さんに大声で笑われ、大人の話を理解出来ない筈の幼児にまでも迎合笑いをされて、『糞婆ぁ、黙れ。誰に世話をして貰ってるんじゃい』の減らず口しか利けなかった忸怩たる愉しい一幕も在った次第で在る。
デカンショ節では無いが、<大人、大人と威張るな。大人、子供成れの果て。>
それに準えれば『母親、母親と威張るな。母親、鼻垂れ娘の成れの果て。血筋の遺伝子観れば、親子の堺無しの同心円。』為りで在る。『ああ、この道は何時か通った道。ソソ、ソクラテスか、プラトンか、皆、悩んで大きく為った。』のCMソングの一節の真理とする処にして、ニャロメの段で在る。
99と4カ月の妖怪様の人生だった。目下、私とは30年の開きが在る。齢重ねる中で、『ああ、この道は母が通った道』の人生感懐の重ね合わせも、出て来る事なので在ろう。
歳の所為だろうか、今朝の夢見には何と代替わりして、夢主人公に彼女の娘が登場して、吾等は脇役に交替して居る次第で在った。実年齢的に云えば、当然、その種の夢が在っても好いのでは在るが、喜んで好い物やら、哀しむべき事なのか、私には解らない心境でも在ろうか。
本日、月曜日にして、9時からの国会中継の始まりで在る。昨日の政党討論会を引き継いでの岸田政調会長の質問からの始まりで在る。一人で一時間の昨日のお浚い質問の態で在り、私にしたらこれ程の内容の濃さをNHKの野郎は30分のダイジェスト構成にし遣がってからに、与党質問にしてもこれだけの時間を要すので在るから、野党に移ったら延々と続くので在るから、新型肺炎の事態を広く客観的に国民に伝えるのは、手間が掛かる物なので在る。
其れにしても国会中継を聴いて居ると、何とカタカナ文字の多い事か。原稿を書く官僚、原稿を読む政治家の『カタカナ文字崇拝心理』たるや、不思議に思う次第で在る。英語圏では無い日本人が、日本語に備わって居る語彙から逸脱して、何故にカタカナ文字を多用化する心理が理解不能なので在る。聞く処に依れば、字族の中国人が西洋文化導入期に行ったのが日本の翻訳漢字だったそうな。清末の洋務運動、変法自強、白話文学運動を目指して、幾多の中国留学生達は挙って、日本書籍を買い求めて本国に持ち帰ったそうで、現在使用されて居る7割強が和製漢字との由で在る。
そんな予備知識を以って、中狂・半島国のニュースを聴いて居ると、成程と思われる『音節』が聞こえて来る事がしばしば在る。
勿論、其処は中華・小中華を述給る文化圏で在るから、当然小日本の和製漢字と云う事は明かしては居ない。そして母国語と英語の混同は意識的にして居ない国民的アイデンティティを保持して居る処が、中華圏の特徴とも云えようか。
ノーベル賞受賞者を輩出する文化国日本が、幾ら習合文化の遺伝子が活性化されて居ると云っても、官僚、政治家、マスコミが先頭に立って、訳の解らないカタカナ文字の『先導』をする必要も無かろうに・・・。カタカナ文字、横文字を使えば、人間の質が向上する訳でも無かろうに。
貴重な国費で賄われて居る教育界・官僚界・政治家界で在る。容易に日本語に置き換える事の出来る横文字カタカナ文字の覚え込みに掛ける時間が在ったら、真っ当な教育、行政、政治課題に向き合って、知恵を傾注して貰いたい物で在る。偏差値に偏向する知能は、余りにも市井に目が行かない『集団癖』の様に見受けられる次第で在る。
偉そうに、馬っ鹿じゃ無ぇの段で在る。
さてさて、朝飯に準備に取り掛かると致しましょうかね。本日、快晴為れど、風強き洗濯物の舞いで在る。時節柄、スギ花粉情報がラジオに載る次第では在るが、スギ花粉の比では無い新型コロナウィルス禍の唯中で在る。
食後は散歩方々、個人スーパーまで買い出しに行って来る。流れではカラスが二羽、水浴びをして居る。明日は妖怪様の月命日で在るから、お供え物などを買って来て、帰って来る。楓の枝にメジロ夫婦の樹液吸いの姿で在る。
昨夜は動画観が昂じて、講談⇒トム・ジョーンズ⇒エルビス・プレスリーと続いて仕舞い、夜更かしをして仕舞った。新本の方も、日中の廊下の暖かさに再読百頁に進んだ次第では在るが、文体の違いで未だしっくりと来ない段階で在る。そんな次第で旧本の文体に目を遣ったり、纏めた備忘録に目を通したりして、新旧本の調整を図って居る次第で在る。
御役御免の独り暮らしはマイペース、マイタイムのマンネリの中に、如何に心身の呆け防止策を取り込むかで、ピンピンコロリの寂滅の道なのだろう。
医食同源で地場野菜果物を日本古来の伝統食の再現を台所遊びとして家事をこなし、脳味噌の呆け防止にライフワークとしての趣味の世界史を読み考える。目の焦点の調整には散歩を日課として、起床時のバッコン腹筋体操を施す。閉じ籠もり自閉症防止の為に、ウスバカゲローの幼虫蟻地獄に倣って、話し掛けて下さる諸々の機会を捉えて、言葉忘れの防止とする。社会との接点をラジオをBGMとし、来庭する小さき者達の動きに目を凝らしたりしての日々の頭の整理の為に、ブログ日誌を打ち、時に戯画を描く。
何の変哲の無い月日の重ねでは在るが、充分な時間の流れの内に身が置ける事は、足るを知るの感懐も運んで呉れる次第で、目下、過不足の無い心身の落着きと云った処では無いかと納得して居る日々で在る。
今年は齢72に差し掛かる次第では在るが、生前妖怪様の母親が、倅ファミリーの前で、『こんな肝の短い、気難しかったお父さんさんが、此処まで成長するとは思わなかった。』と多感な若い頃を暴露されて、私の父親の体面はマイナス化されて、グゥの音も出ずに、倅、嫁さんに大声で笑われ、大人の話を理解出来ない筈の幼児にまでも迎合笑いをされて、『糞婆ぁ、黙れ。誰に世話をして貰ってるんじゃい』の減らず口しか利けなかった忸怩たる愉しい一幕も在った次第で在る。
デカンショ節では無いが、<大人、大人と威張るな。大人、子供成れの果て。>
それに準えれば『母親、母親と威張るな。母親、鼻垂れ娘の成れの果て。血筋の遺伝子観れば、親子の堺無しの同心円。』為りで在る。『ああ、この道は何時か通った道。ソソ、ソクラテスか、プラトンか、皆、悩んで大きく為った。』のCMソングの一節の真理とする処にして、ニャロメの段で在る。
99と4カ月の妖怪様の人生だった。目下、私とは30年の開きが在る。齢重ねる中で、『ああ、この道は母が通った道』の人生感懐の重ね合わせも、出て来る事なので在ろう。
歳の所為だろうか、今朝の夢見には何と代替わりして、夢主人公に彼女の娘が登場して、吾等は脇役に交替して居る次第で在った。実年齢的に云えば、当然、その種の夢が在っても好いのでは在るが、喜んで好い物やら、哀しむべき事なのか、私には解らない心境でも在ろうか。
本日、月曜日にして、9時からの国会中継の始まりで在る。昨日の政党討論会を引き継いでの岸田政調会長の質問からの始まりで在る。一人で一時間の昨日のお浚い質問の態で在り、私にしたらこれ程の内容の濃さをNHKの野郎は30分のダイジェスト構成にし遣がってからに、与党質問にしてもこれだけの時間を要すので在るから、野党に移ったら延々と続くので在るから、新型肺炎の事態を広く客観的に国民に伝えるのは、手間が掛かる物なので在る。
其れにしても国会中継を聴いて居ると、何とカタカナ文字の多い事か。原稿を書く官僚、原稿を読む政治家の『カタカナ文字崇拝心理』たるや、不思議に思う次第で在る。英語圏では無い日本人が、日本語に備わって居る語彙から逸脱して、何故にカタカナ文字を多用化する心理が理解不能なので在る。聞く処に依れば、字族の中国人が西洋文化導入期に行ったのが日本の翻訳漢字だったそうな。清末の洋務運動、変法自強、白話文学運動を目指して、幾多の中国留学生達は挙って、日本書籍を買い求めて本国に持ち帰ったそうで、現在使用されて居る7割強が和製漢字との由で在る。
そんな予備知識を以って、中狂・半島国のニュースを聴いて居ると、成程と思われる『音節』が聞こえて来る事がしばしば在る。
勿論、其処は中華・小中華を述給る文化圏で在るから、当然小日本の和製漢字と云う事は明かしては居ない。そして母国語と英語の混同は意識的にして居ない国民的アイデンティティを保持して居る処が、中華圏の特徴とも云えようか。
ノーベル賞受賞者を輩出する文化国日本が、幾ら習合文化の遺伝子が活性化されて居ると云っても、官僚、政治家、マスコミが先頭に立って、訳の解らないカタカナ文字の『先導』をする必要も無かろうに・・・。カタカナ文字、横文字を使えば、人間の質が向上する訳でも無かろうに。
貴重な国費で賄われて居る教育界・官僚界・政治家界で在る。容易に日本語に置き換える事の出来る横文字カタカナ文字の覚え込みに掛ける時間が在ったら、真っ当な教育、行政、政治課題に向き合って、知恵を傾注して貰いたい物で在る。偏差値に偏向する知能は、余りにも市井に目が行かない『集団癖』の様に見受けられる次第で在る。
偉そうに、馬っ鹿じゃ無ぇの段で在る。
さてさて、朝飯に準備に取り掛かると致しましょうかね。本日、快晴為れど、風強き洗濯物の舞いで在る。時節柄、スギ花粉情報がラジオに載る次第では在るが、スギ花粉の比では無い新型コロナウィルス禍の唯中で在る。
食後は散歩方々、個人スーパーまで買い出しに行って来る。流れではカラスが二羽、水浴びをして居る。明日は妖怪様の月命日で在るから、お供え物などを買って来て、帰って来る。楓の枝にメジロ夫婦の樹液吸いの姿で在る。
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