長駄文館・・・陽を浴びて、風にシーソーする寝具為り。
- 2020/02/29
- 14:02
陽を浴びて、風にシーソーする寝具為り。(2/29/20)
ヨッシァ、起きるか。全戸開放、布団掛け、トイレ掃除、廊下の鉢植え物を外に並べてのジョロ散水を施す。口に梅干し一つを膨らめさせ、水槽住人への餌遣りをして、
小部屋入りのモーニング茶とする。ラジオは、山カフェのお時間で在る。暖かいと、フットワークがスムーズに出る。
ニュースを聴いて、娑婆、世界の事情を仕入れて置く。
落語を聴きながら、陽を浴びた水面に水草の間に大小、稚魚のグッピィのヒラヒラとヒレを振って泳ぐ様を観て居ると、春を感じて来る次第で在る。勿論、睡蓮鉢にはヒーターが入って居るから、水温は一定に保たれて居る。雌と比べると一回り以上小さな雄のカラフルなヒレの揺れが、陽を浴びて可愛い物で在る。寒の底の如月二月も今日が最終日で、呆気無くも1年の1/6が回って仕舞ったの感で在る。成長が無いのは仕方の無い事では在るが、退歩がどの程度に留まって居る物やらの古希坂道中の、過ぎ行く時の速さで在る。
日本の話芸は、ロートル親父の耳には好く馴染む。番組冒頭の師匠の言葉に、『唯、笑わせる、笑やぁ好いってもんじゃ無い。』が在って、落語界独特の味の在る一言とニヤリとした次第で在る。
人口構成からしたら少子高齢化が現実なのに、何故か芸NO人と組んでの自分達だけが悪乗りの馬鹿笑い、相槌笑いをして、得るもの無しの、自己中お喋り番組を垂れ流しすだけのNO芸で在る。
彼等、彼女等にしても、職業で自立して稼ぐ社会人で在る。芸能人、アナウンサーの職業人なので在るから、その拠って立つ芸を培って貰いたい物で在る。然しながら、その人間の真面目さが伝わって来ない次第で、食傷の興味の無さと為って居るのが現実で在る。
私は戯けの見本人間だが、『軽佻浮薄図は、一幅絵に非ず』位の感性は持って居る心算で在る。強制的に受信料を踏んだ来る癖に、公共放送を豪語する割りには、日本全国に軽佻浮薄を啓蒙する実態は、如何云う訳か、私には理解不能の、これ即ち『深慮遠謀工作の最前線』なのだろうか。へへへ。
さて、飯とすると致そうか。
炊き立て飯に、きつめに振った塩ニシンの焼き魚、ネギ、豆腐、アゲの味噌汁、納豆、沢庵漬け、自家製特辛味噌の御独り食卓に向って、嗚呼、美味かったの朝飯で在る。
廊下の日向で世界史備忘録に目を通して、昼に成ったら大粒ペルー産の干しブドウの補充買いに行って来ると致そうか。この頃は、すっかり癖に為って、それが無いと口寂しい限りで在る。時々、風で寝具が揺れるが、これも好く空気が通って好かろう。買い物から帰って来ての取り込みとすれば好かろう。さてさて、外の空気を吸って来ると致そうか。
庭から外に出れば、蝶の飛びで在る。自転車でS大、A中、M高界隈を行けば、球場での練習、タテハチョウの飛びを見付ける。些か、風は強いが、家では見えて来ないスイセン、チューリップ、マンジュシャゲの春一番の芽出しの緑との遭遇は、梅の花と同様に春を見付けたの気分に為る物で在る。未だ未だ三寒四温の運びで在るから、春は其処まで来て居るの安心感でも在る。好き事で在る。
ヨッシァ、起きるか。全戸開放、布団掛け、トイレ掃除、廊下の鉢植え物を外に並べてのジョロ散水を施す。口に梅干し一つを膨らめさせ、水槽住人への餌遣りをして、
小部屋入りのモーニング茶とする。ラジオは、山カフェのお時間で在る。暖かいと、フットワークがスムーズに出る。
ニュースを聴いて、娑婆、世界の事情を仕入れて置く。
落語を聴きながら、陽を浴びた水面に水草の間に大小、稚魚のグッピィのヒラヒラとヒレを振って泳ぐ様を観て居ると、春を感じて来る次第で在る。勿論、睡蓮鉢にはヒーターが入って居るから、水温は一定に保たれて居る。雌と比べると一回り以上小さな雄のカラフルなヒレの揺れが、陽を浴びて可愛い物で在る。寒の底の如月二月も今日が最終日で、呆気無くも1年の1/6が回って仕舞ったの感で在る。成長が無いのは仕方の無い事では在るが、退歩がどの程度に留まって居る物やらの古希坂道中の、過ぎ行く時の速さで在る。
日本の話芸は、ロートル親父の耳には好く馴染む。番組冒頭の師匠の言葉に、『唯、笑わせる、笑やぁ好いってもんじゃ無い。』が在って、落語界独特の味の在る一言とニヤリとした次第で在る。
人口構成からしたら少子高齢化が現実なのに、何故か芸NO人と組んでの自分達だけが悪乗りの馬鹿笑い、相槌笑いをして、得るもの無しの、自己中お喋り番組を垂れ流しすだけのNO芸で在る。
彼等、彼女等にしても、職業で自立して稼ぐ社会人で在る。芸能人、アナウンサーの職業人なので在るから、その拠って立つ芸を培って貰いたい物で在る。然しながら、その人間の真面目さが伝わって来ない次第で、食傷の興味の無さと為って居るのが現実で在る。
私は戯けの見本人間だが、『軽佻浮薄図は、一幅絵に非ず』位の感性は持って居る心算で在る。強制的に受信料を踏んだ来る癖に、公共放送を豪語する割りには、日本全国に軽佻浮薄を啓蒙する実態は、如何云う訳か、私には理解不能の、これ即ち『深慮遠謀工作の最前線』なのだろうか。へへへ。
さて、飯とすると致そうか。
炊き立て飯に、きつめに振った塩ニシンの焼き魚、ネギ、豆腐、アゲの味噌汁、納豆、沢庵漬け、自家製特辛味噌の御独り食卓に向って、嗚呼、美味かったの朝飯で在る。
廊下の日向で世界史備忘録に目を通して、昼に成ったら大粒ペルー産の干しブドウの補充買いに行って来ると致そうか。この頃は、すっかり癖に為って、それが無いと口寂しい限りで在る。時々、風で寝具が揺れるが、これも好く空気が通って好かろう。買い物から帰って来ての取り込みとすれば好かろう。さてさて、外の空気を吸って来ると致そうか。
庭から外に出れば、蝶の飛びで在る。自転車でS大、A中、M高界隈を行けば、球場での練習、タテハチョウの飛びを見付ける。些か、風は強いが、家では見えて来ないスイセン、チューリップ、マンジュシャゲの春一番の芽出しの緑との遭遇は、梅の花と同様に春を見付けたの気分に為る物で在る。未だ未だ三寒四温の運びで在るから、春は其処まで来て居るの安心感でも在る。好き事で在る。
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