長駄文館・・・好天に、フットワークも軽やか為り。
- 2020/03/18
- 14:14
好天に、フットワークも軽やか為り。(3/18/20)
おお、好い天気で在る。ゴミ出しをして来て、墓が呼んで居る。朝飯を食べて、墓参りの用意をしてハンドルを握る。途中で24時間営業の大手スーパーで花、お供え物&魚などを買って行く。好みの丸ぽゃレジさんが居るから、お久し振りと、レジ会話をさせて頂く。
「これから、墓参り。ご先祖様が喜ぶからね。昨日は風が寒かったから、今日の方が多い見たい。コロナウィルスでも、人間食べなくちゃ生きて行けないから、影響が無くて助かる。」との由。
早春の風を呼び入れ、梅の満開を眺めながら南へドライブで在る。山国・盆地の早春の風景と空気が心地好い次第で在る。平日水曜日の午前中では在るが、霊園への車の登りも結構在る。中信平を一望する丘陵霊園には、休校中の孫を連れた墓参り者が目立つ。武漢肺炎も悪い光景だけでは無さそうで在る。
墓に行くと、誰だろうか花が手向けて在った。いやはや、有難い事で在る。それに加えたから、墓はボリューム一杯の花盛りと為った。剪定鋏を忘れて仕舞ったので、雑草の顔出しを抜いて、小箒で掃いて、清めの水をたっぷりと施しお供え物を並べる。結構風が強くて、線香に火を点けるのに難儀をした。
霊園アナウンスでは、充分火の始末をして下さいとの由。
兎角、都会ニュースに依ると、核家族化で墓参りの風潮も失せて、『墓の無用化』が話題に上って居る時代では在るが、地方に生活して居ると、墓は無くては為らない存在で在る。
昔から日本は天皇を戴く国にして、家系の縦軸を示し続けて居るのが、家族の象徴・墓なので在るから、面倒の口実を生意気顔で四の五の言った処で、『個人主義』に陥るだけの事でも在るし、日本人として生まれ育ったので在るから、黙って『親の後追い』をして行けば良い事だと思って居る次第で在る。
帰って来て、仏壇に供え物をして、灯明、線香、チィ~ン、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏を唱える。独り食で在るから、如何しても供え物消化が中々進まない次第では在るが、其れなりの供え物をしないと『殺風景』過ぎて仕舞う。
周囲からは『独りで好く遣るじゃん』と云われるが、私としては母親のして来た事の『後追い』をして居るに過ぎない。偶々、独り生活者で在るから、独りで行って居るだけの事で在る。
無風の好天気で在る。ハッサク蜜柑を食べ尽くして終ったヒヨドリは、私の方を見て居るが、早々は甘い顔もして居られないから無視で在る。アハハ!!
夜中にトイレに起きた時に雨の気配がしたので、洗濯物を取り入れて寝たので在るが、朝のゴミ出し、庭見の時は、それなりの雨が在った模様で在る。そんな次第で、好天の朝に、再び洗濯物を外に吊るして居る。墓参り後、本日ブログも此処まで字数が伸びて来た次第で、気分的にも余裕が出て居る。
昨日は一杯が二杯の砂運びで在ったから、今日も遣って見ると致そう。概ねが終わった段階なので、遣っても好し遣らずも好しの気分的負担から解放されての苦役は、遊びに転じる『自然貯金』の様な物で在る。
2日続いての雄ジョービタキの姿見せは、今の処無い。昨日の二度の長い姿見せに、そろそろ北帰行の挨拶乃至は来シーズンに向けての、此処は吾がエリアの私への意思表示だろうとの受け止めで在った。ジョービタキ観察すらすると、ツバメとバトンタッチをする形で帰る様で在る。そんな事を考えると、今シーズンはコガモの姿がついぞ見られなかった次第でも在る。
四季の巡りも、同じ巡りは無い物の様で在る。さて、春日に誘われて、チョイと自然貯金でもして参りましょうかね。好天に、フットワークも軽やか為り。へへへ。
本日は場所を変えて、上の方で砂採取とする。5杯と青石一個を、ゲットして来る。
この位の陽気に成ると、静と動のバランスが採れて来て、当然、重い砂バケツの階段の上りと運びで在るから、汗も息切れもして来る。それでも体力気力に負荷を掛けて置くと、肉体的精神的にも、好い気分に為って来る物で在る。肉体と精神はバランスが採れて、健康体と云う物で在ろう。
二時で在るか、少し腹に入れて、午後の廊下で日課の頁捲りのマイタイムに移行すべしで在る。家の空気の通いも申し分ない次第では無いか。
おお、好い天気で在る。ゴミ出しをして来て、墓が呼んで居る。朝飯を食べて、墓参りの用意をしてハンドルを握る。途中で24時間営業の大手スーパーで花、お供え物&魚などを買って行く。好みの丸ぽゃレジさんが居るから、お久し振りと、レジ会話をさせて頂く。
「これから、墓参り。ご先祖様が喜ぶからね。昨日は風が寒かったから、今日の方が多い見たい。コロナウィルスでも、人間食べなくちゃ生きて行けないから、影響が無くて助かる。」との由。
早春の風を呼び入れ、梅の満開を眺めながら南へドライブで在る。山国・盆地の早春の風景と空気が心地好い次第で在る。平日水曜日の午前中では在るが、霊園への車の登りも結構在る。中信平を一望する丘陵霊園には、休校中の孫を連れた墓参り者が目立つ。武漢肺炎も悪い光景だけでは無さそうで在る。
墓に行くと、誰だろうか花が手向けて在った。いやはや、有難い事で在る。それに加えたから、墓はボリューム一杯の花盛りと為った。剪定鋏を忘れて仕舞ったので、雑草の顔出しを抜いて、小箒で掃いて、清めの水をたっぷりと施しお供え物を並べる。結構風が強くて、線香に火を点けるのに難儀をした。
霊園アナウンスでは、充分火の始末をして下さいとの由。
兎角、都会ニュースに依ると、核家族化で墓参りの風潮も失せて、『墓の無用化』が話題に上って居る時代では在るが、地方に生活して居ると、墓は無くては為らない存在で在る。
昔から日本は天皇を戴く国にして、家系の縦軸を示し続けて居るのが、家族の象徴・墓なので在るから、面倒の口実を生意気顔で四の五の言った処で、『個人主義』に陥るだけの事でも在るし、日本人として生まれ育ったので在るから、黙って『親の後追い』をして行けば良い事だと思って居る次第で在る。
帰って来て、仏壇に供え物をして、灯明、線香、チィ~ン、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏を唱える。独り食で在るから、如何しても供え物消化が中々進まない次第では在るが、其れなりの供え物をしないと『殺風景』過ぎて仕舞う。
周囲からは『独りで好く遣るじゃん』と云われるが、私としては母親のして来た事の『後追い』をして居るに過ぎない。偶々、独り生活者で在るから、独りで行って居るだけの事で在る。
無風の好天気で在る。ハッサク蜜柑を食べ尽くして終ったヒヨドリは、私の方を見て居るが、早々は甘い顔もして居られないから無視で在る。アハハ!!
夜中にトイレに起きた時に雨の気配がしたので、洗濯物を取り入れて寝たので在るが、朝のゴミ出し、庭見の時は、それなりの雨が在った模様で在る。そんな次第で、好天の朝に、再び洗濯物を外に吊るして居る。墓参り後、本日ブログも此処まで字数が伸びて来た次第で、気分的にも余裕が出て居る。
昨日は一杯が二杯の砂運びで在ったから、今日も遣って見ると致そう。概ねが終わった段階なので、遣っても好し遣らずも好しの気分的負担から解放されての苦役は、遊びに転じる『自然貯金』の様な物で在る。
2日続いての雄ジョービタキの姿見せは、今の処無い。昨日の二度の長い姿見せに、そろそろ北帰行の挨拶乃至は来シーズンに向けての、此処は吾がエリアの私への意思表示だろうとの受け止めで在った。ジョービタキ観察すらすると、ツバメとバトンタッチをする形で帰る様で在る。そんな事を考えると、今シーズンはコガモの姿がついぞ見られなかった次第でも在る。
四季の巡りも、同じ巡りは無い物の様で在る。さて、春日に誘われて、チョイと自然貯金でもして参りましょうかね。好天に、フットワークも軽やか為り。へへへ。
本日は場所を変えて、上の方で砂採取とする。5杯と青石一個を、ゲットして来る。
この位の陽気に成ると、静と動のバランスが採れて来て、当然、重い砂バケツの階段の上りと運びで在るから、汗も息切れもして来る。それでも体力気力に負荷を掛けて置くと、肉体的精神的にも、好い気分に為って来る物で在る。肉体と精神はバランスが採れて、健康体と云う物で在ろう。
二時で在るか、少し腹に入れて、午後の廊下で日課の頁捲りのマイタイムに移行すべしで在る。家の空気の通いも申し分ない次第では無いか。
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