長駄文館・・・本日、真夏日に成るとの由。
- 2020/05/11
- 13:31
本日、夏日との由為り。(5/11/20)
何と、晩飯時に歯の詰め物が取れて仕舞った。そんな次第で、本日はそれを持って歯医者に行って来なければ為らない。お天気も好いし、今日は郵便局、市役所などの用足し日と致そう。偶には街場サイクリングも必要で在る。
昨夕の散歩の帰りは、町会区域でカジカ蛙の啼き音を聴いた処までは好かったが、雨が降って来て焦って仕舞った。昨日は総じて、パッとしなかった一日で在った。散歩の雰囲気で無かった日中、少しキツメのバッコン腹筋体操をしたり、厄介で頭の痛く為る差し込み書き込みのファイル入れを始めたので在るが、六畳画廊に広げた膨大なカルタ取りの態で、端から戦意喪失の『ヘルプミー』で、早々のギブアップで在った。
まぁ、それでも、0と1の間には無限大の隔絶が横たわって居る。着手さえすれば、引き算の世界で在る。遣るしか無いの諦めの良い性格で在るから、何とか為るだろう。有名な言葉には、神は乗り越えられる試練を与えるもので、為せば成る。成らざるは、人の為さざる処也との有難い先人達の人生訓が在る次第で在る。従って、凡人は練達の師に追随するのみで在ろう。とほほ。
睡眠時間も好く廊下に立てば、カワラヒワが二羽来庭して居る。モーニングコーヒーをカップに庭の見回りとする。お目当てのインゲンの芽出しは、未だ二つに留まって居るが、ブドウには10近くの房の赤子が付いて来た。
栽培種のセリの成長が群を抜いて居る。葉野菜の間引きも、2、3日の間に出来そうな感じに成って来た。野生種のアヤメも濃い紫の花を咲かせて来た。妖怪様の牡丹も開花して来た。カキツバタも例年通りに咲き始めた。
初めて実を着けた山椒も在り、今年は山椒実の豊作と成りそうで在る。苺群は花盛りの峠を越して、実付きの時季を迎えて居る。去年はアザレアの満開で在ったが、今年は3鉢で1花の期待外れの状態で在るが、若葉の来年に期待する処で在る。如何云う訳か、サクランボの木が半分枯れて仕舞った。木も生命体で在る以上、人間同様に命には長短が在っても仕方の無い処でも在る。命の種子で在っても、全てが発芽する訳でも無い。決して森羅万象の消極的受け止め方では無いが、人間の意図する方向に進まないのが、人間を越える『森羅万象の理』なのだろう。そんな思想観が無為自然の儘を観察して、受け止める私の思考には、落ち着く処で在る。
ラジオを聞けば、本日は夏日の暑さに向かうとの由。今週はSとのボランティアが在る。武漢ウィルスでの3密回避で、年二回の町会総出の河川敷清掃の初回は、中止との回覧が回って居た。従って、景観確保の町会代理の同級生コンビで、ボランティアをこなす次第で在る。
さてさて、飯にして、本日の予定をこなす事に致そうか。青空にお天道の輝きは、清々しく映る物で在る。へへへ。
何と、晩飯時に歯の詰め物が取れて仕舞った。そんな次第で、本日はそれを持って歯医者に行って来なければ為らない。お天気も好いし、今日は郵便局、市役所などの用足し日と致そう。偶には街場サイクリングも必要で在る。
昨夕の散歩の帰りは、町会区域でカジカ蛙の啼き音を聴いた処までは好かったが、雨が降って来て焦って仕舞った。昨日は総じて、パッとしなかった一日で在った。散歩の雰囲気で無かった日中、少しキツメのバッコン腹筋体操をしたり、厄介で頭の痛く為る差し込み書き込みのファイル入れを始めたので在るが、六畳画廊に広げた膨大なカルタ取りの態で、端から戦意喪失の『ヘルプミー』で、早々のギブアップで在った。
まぁ、それでも、0と1の間には無限大の隔絶が横たわって居る。着手さえすれば、引き算の世界で在る。遣るしか無いの諦めの良い性格で在るから、何とか為るだろう。有名な言葉には、神は乗り越えられる試練を与えるもので、為せば成る。成らざるは、人の為さざる処也との有難い先人達の人生訓が在る次第で在る。従って、凡人は練達の師に追随するのみで在ろう。とほほ。
睡眠時間も好く廊下に立てば、カワラヒワが二羽来庭して居る。モーニングコーヒーをカップに庭の見回りとする。お目当てのインゲンの芽出しは、未だ二つに留まって居るが、ブドウには10近くの房の赤子が付いて来た。
栽培種のセリの成長が群を抜いて居る。葉野菜の間引きも、2、3日の間に出来そうな感じに成って来た。野生種のアヤメも濃い紫の花を咲かせて来た。妖怪様の牡丹も開花して来た。カキツバタも例年通りに咲き始めた。
初めて実を着けた山椒も在り、今年は山椒実の豊作と成りそうで在る。苺群は花盛りの峠を越して、実付きの時季を迎えて居る。去年はアザレアの満開で在ったが、今年は3鉢で1花の期待外れの状態で在るが、若葉の来年に期待する処で在る。如何云う訳か、サクランボの木が半分枯れて仕舞った。木も生命体で在る以上、人間同様に命には長短が在っても仕方の無い処でも在る。命の種子で在っても、全てが発芽する訳でも無い。決して森羅万象の消極的受け止め方では無いが、人間の意図する方向に進まないのが、人間を越える『森羅万象の理』なのだろう。そんな思想観が無為自然の儘を観察して、受け止める私の思考には、落ち着く処で在る。
ラジオを聞けば、本日は夏日の暑さに向かうとの由。今週はSとのボランティアが在る。武漢ウィルスでの3密回避で、年二回の町会総出の河川敷清掃の初回は、中止との回覧が回って居た。従って、景観確保の町会代理の同級生コンビで、ボランティアをこなす次第で在る。
さてさて、飯にして、本日の予定をこなす事に致そうか。青空にお天道の輝きは、清々しく映る物で在る。へへへ。
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