長駄文館・・・吾が身は、各駅停車のマンネリ日常為り。
- 2020/06/08
- 11:55
吾が身は、各駅停車のマンネリ日常なり。(6/8/20)
今日は、もう8日で在るか。月日の経つ速さに、付いて行けないから、ロートルは困った物で在る。雨が降って呉れないと、水遣りもバテ気味で在る。日に日に大きく成るキュウリ、トマトを見れば、水遣りをサボる訳には行かない。其れなりに疲れる次第では在るが、野菜類は水が命で在る。
今朝も苺採りをして火に掛ける。漸く、終わりが見えて来た。今朝はセリをカットして、ホーレンソー、セリのベジタリアン食で在る。セリの強い野生味が何とも、美味い。
昨日は『坊ちゃん先生』で中村俊介と云う俳優さんが気に入って、動画貼り付けの『本家の嫁』を見て、拍手喝采のコメディシリーズを観て、久し振りに夜更かしをして仕舞った。
何しろ日本映画界を代表する岩下志麻さんが、素晴らしい。さぞかしご本人もコメディの楽しさに嵌って、目が笑って居るので在るから、NG連発の撮影現場に違いなかろう。演じる役者さん達が楽しく無ければ、コメディの楽しさは画面に現出され無い筈で在る。後2本が残って居るので、就寝時間が待ち遠しい次第で在る。
私には 汚い台詞、汚い表情、問答無用の殴りシーン、撃ち合い、斬り合いシーンのヤクザ抗争映画より、大人のコメディの方が愉しめる次第で在る。
昨日は何時来ても好い様に、一輪車に川砂ストックをして置いた。一台目一杯在るから、先輩の畑の土壌改良の強い味方にも為ろう。今年は青山椒実の佃煮初挑戦で、青山椒実の実力の程を知った処で在る。加えてセリの鉢植えの使い勝手の好さも知る事が出来て、独り食卓に新鮮で乙な風味を添えて呉れて居る次第で在る。
さて日課の呆け防止の世界史のスローダウン熟読は、好い意味で、骨休みと為って居る。東南アジアの屋台食での香菜・香辛料と油炒め、揚げ料理に、中国四川料理を連想して、タイの故郷は雲南省で在った事を思い出し、雲南省のお隣が四川省で在る。
成る程と納得して、その昔、その辺りには大理国と云う国が在り、大理国がモンゴル勢力に駆逐されて、ラオス、タイへと南下して、現在のラオス、タイを建国して居る次第で在る。
因みに三国志で有名な『蜀の国』は、四川省で在る。孝徳の士・劉備玄徳は曹操軍の追撃を受けながらも、民を捨てる事無く、辛酸辛苦の末に民と共に四川入りを果たす。『三国志』に於ける美談中の美談と謳われて居る処で在る。
この辺りは世界史的に類例を追えば、アジア系騎馬民族のフンのアッチィラ大王の侵入で、ゲルマン民族の大移動が起こって、衰退期のローマ帝国が東西分裂、西ローマ帝国滅亡を辿った経緯を想定すれば、秦の始皇帝の中国全土統一と云っても、極々短命に終わったアッチィラのフン帝国同様に内部固めの出来なかった名前だけの統一国家の態で在る。
従って、風土も民族・言語・風習も異る異邦の地に『漢民族国家の創建』と為れば、民族大移動を敢行するより建国の道は無かったと云う事で在る。中狂国のチベット、モンゴル、ウィグル自治区に民族浄化策とやらで、異民族の圧殺、香港の一国二制度の条約違反を平然と武行し続けて居るのが、旧態依然とした中国王朝の踏襲する処で在る。
目下の世界『武漢ウィルス禍』に於いても、そうで在るが、日本人は思考方が素直過ぎて、兎角、美辞麗句の西洋、東洋のプロタガンダ歴史を鵜呑みにして仕舞う従順さが在り過ぎる。
何事も石の上にも三年では無いが、ひたすら世界史なら世界史、日本史なら日本史で最初から最後まで『通読に通読』を重ねて、どの範囲から出題されても其れなりの点数が取れる位、読み込みをこなして行かないと、単元、章を担当して居るだけの学者先生達の歴史観の齟齬を見落としたり、行間に隠れた物が見えて来ない次第で在る。
歴史観の整合性、行間に隠れて居る非整合性は、『自分軸』が備わって来ないと如何しても一方的に刷り込まれて仕舞う傾向が在る。知らない段階では、その敷かれたレールに乗らざるを得ないのが学習と云う段階なのだろうが、人間はその自分軸が構築出来始めて、大人の教養書としての歴史観が芽吹いて来ると云う長丁場なのだろう。
歴史の事件、年号覚えは、この歳に為ると、真に苦痛の種で在る。然しながら年号の把握は、時代比較上、避けては通れない洋の東西の時代整理の糧でも在る。
同じ様に苺群の苺とて、緑の葉茂りを掻き分け無ければ、真紅の粒苺は見えぬ。掻き分ければ、雑草も見えて来る。散らばった苺群を斑無く集めて行けば、一鍋の苺ジャムとも為る。物事の基本は四の五の言う前に、コツコツ積み重ねる根気が肝要で在る。各駅、快速、急行、特急とて、同じレール上を走るので在る。へへへ。
さてさて、本日はガス屋さんの集金が在るかも知れぬ。買い物は昼の時間として、家に居る事にしよう。
今日は、もう8日で在るか。月日の経つ速さに、付いて行けないから、ロートルは困った物で在る。雨が降って呉れないと、水遣りもバテ気味で在る。日に日に大きく成るキュウリ、トマトを見れば、水遣りをサボる訳には行かない。其れなりに疲れる次第では在るが、野菜類は水が命で在る。
今朝も苺採りをして火に掛ける。漸く、終わりが見えて来た。今朝はセリをカットして、ホーレンソー、セリのベジタリアン食で在る。セリの強い野生味が何とも、美味い。
昨日は『坊ちゃん先生』で中村俊介と云う俳優さんが気に入って、動画貼り付けの『本家の嫁』を見て、拍手喝采のコメディシリーズを観て、久し振りに夜更かしをして仕舞った。
何しろ日本映画界を代表する岩下志麻さんが、素晴らしい。さぞかしご本人もコメディの楽しさに嵌って、目が笑って居るので在るから、NG連発の撮影現場に違いなかろう。演じる役者さん達が楽しく無ければ、コメディの楽しさは画面に現出され無い筈で在る。後2本が残って居るので、就寝時間が待ち遠しい次第で在る。
私には 汚い台詞、汚い表情、問答無用の殴りシーン、撃ち合い、斬り合いシーンのヤクザ抗争映画より、大人のコメディの方が愉しめる次第で在る。
昨日は何時来ても好い様に、一輪車に川砂ストックをして置いた。一台目一杯在るから、先輩の畑の土壌改良の強い味方にも為ろう。今年は青山椒実の佃煮初挑戦で、青山椒実の実力の程を知った処で在る。加えてセリの鉢植えの使い勝手の好さも知る事が出来て、独り食卓に新鮮で乙な風味を添えて呉れて居る次第で在る。
さて日課の呆け防止の世界史のスローダウン熟読は、好い意味で、骨休みと為って居る。東南アジアの屋台食での香菜・香辛料と油炒め、揚げ料理に、中国四川料理を連想して、タイの故郷は雲南省で在った事を思い出し、雲南省のお隣が四川省で在る。
成る程と納得して、その昔、その辺りには大理国と云う国が在り、大理国がモンゴル勢力に駆逐されて、ラオス、タイへと南下して、現在のラオス、タイを建国して居る次第で在る。
因みに三国志で有名な『蜀の国』は、四川省で在る。孝徳の士・劉備玄徳は曹操軍の追撃を受けながらも、民を捨てる事無く、辛酸辛苦の末に民と共に四川入りを果たす。『三国志』に於ける美談中の美談と謳われて居る処で在る。
この辺りは世界史的に類例を追えば、アジア系騎馬民族のフンのアッチィラ大王の侵入で、ゲルマン民族の大移動が起こって、衰退期のローマ帝国が東西分裂、西ローマ帝国滅亡を辿った経緯を想定すれば、秦の始皇帝の中国全土統一と云っても、極々短命に終わったアッチィラのフン帝国同様に内部固めの出来なかった名前だけの統一国家の態で在る。
従って、風土も民族・言語・風習も異る異邦の地に『漢民族国家の創建』と為れば、民族大移動を敢行するより建国の道は無かったと云う事で在る。中狂国のチベット、モンゴル、ウィグル自治区に民族浄化策とやらで、異民族の圧殺、香港の一国二制度の条約違反を平然と武行し続けて居るのが、旧態依然とした中国王朝の踏襲する処で在る。
目下の世界『武漢ウィルス禍』に於いても、そうで在るが、日本人は思考方が素直過ぎて、兎角、美辞麗句の西洋、東洋のプロタガンダ歴史を鵜呑みにして仕舞う従順さが在り過ぎる。
何事も石の上にも三年では無いが、ひたすら世界史なら世界史、日本史なら日本史で最初から最後まで『通読に通読』を重ねて、どの範囲から出題されても其れなりの点数が取れる位、読み込みをこなして行かないと、単元、章を担当して居るだけの学者先生達の歴史観の齟齬を見落としたり、行間に隠れた物が見えて来ない次第で在る。
歴史観の整合性、行間に隠れて居る非整合性は、『自分軸』が備わって来ないと如何しても一方的に刷り込まれて仕舞う傾向が在る。知らない段階では、その敷かれたレールに乗らざるを得ないのが学習と云う段階なのだろうが、人間はその自分軸が構築出来始めて、大人の教養書としての歴史観が芽吹いて来ると云う長丁場なのだろう。
歴史の事件、年号覚えは、この歳に為ると、真に苦痛の種で在る。然しながら年号の把握は、時代比較上、避けては通れない洋の東西の時代整理の糧でも在る。
同じ様に苺群の苺とて、緑の葉茂りを掻き分け無ければ、真紅の粒苺は見えぬ。掻き分ければ、雑草も見えて来る。散らばった苺群を斑無く集めて行けば、一鍋の苺ジャムとも為る。物事の基本は四の五の言う前に、コツコツ積み重ねる根気が肝要で在る。各駅、快速、急行、特急とて、同じレール上を走るので在る。へへへ。
さてさて、本日はガス屋さんの集金が在るかも知れぬ。買い物は昼の時間として、家に居る事にしよう。
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