長駄文館・・・梅雨に百日紅、幹を緑と為す。
- 2020/06/13
- 12:10
梅雨に百日紅の幹は、緑為り。(6/13/20)
朝から雨で在る。手持無沙汰なので、傘を差して庭を一回りして来る。30℃越え三連チャンに辟易した次第では在るが、家庭菜園のメイン畝の土起し&欅落ち葉の揉み解し、川砂混ぜをして、小玉スイカ、インゲン三本の植え替えをして、三度目の正直の種蒔きをして置いての、待望の雨で在った。毎度の事では在るが、庭仕事をした後に雨が降る事が多い『幸運さ』が、私には在る。
梅雨入りしたので、毎日雨が降っても不思議では無いのだが、矢張り雨続きだと気分が開放され無い物で在る。
昨日はメインのYとのトークが、長時間に及んだ。人其々に考え方も、表現の仕方も異なるのが、人間と云う物で在る。中には如何云う訳か・・・『凹ませて遣ろう』と云う準備をして来る性格も在る。そんな意図を感じると、聞き流せば好いのだが、私の生き方の片鱗に被って仕舞うので、ついつい云わ無くても好い事まで言って仕舞う『私の悪い癖』が暴露されて終い、遺憾いかんの苦笑いと為って仕舞う。
まぁ、それでも『人間無くて、七癖』の人間模様で在る。以外と俗物らしく社会、国家、政治・経済指導者に手厳しく、己れに甘いタイプの様で在る。
偶にはこんな遣り取りが無くては、お互いの人間観察、考察観察が出来ない処でも在る。意外とマスコミのアナウンス効果と云うか、刷り込まれ傾向が強いと感じて、余り自分軸を構築しての論理的思考が伴って居ない事には驚きで在った。多分、沈思黙考の自問自答力の構築が不足して居る感がする。
人間同士の付き合いには、お互いの長所短所を知った上で、適度な距離感を維持して行かないと、感情的に堕して終う結果とも為る。そんな次第で、好い機会とも為った次第で在る。へへへ。
苺ジャム、チリメンジャコの青山椒実の佃煮、沢庵漬けの残り糠に糠を付け足した昔ながらの酸味の利いたキュウリ、ナスの漬け物を昔風の懐かしい味と喜んで呉れ、私はタマネギ、ニンニク、缶ビール、セロリの差し入れを頂戴した次第で在る。
10時を回って、背後からは水を切る車音、前方の薄い雨空にツバメが滑空して居る。例年、梅雨入りの時季と成ると、蛍が見える。夜散歩に移行させて居るのだが、河床を一掃された今年は期待薄の諦めで在る。
河床が一掃されての武漢ウィルスの外出自粛効果で、川原に下りる若者が増えて、インテリ先輩の散歩時には、大騒ぎをしての大アオダイショーのスマホ撮影のシーンなどを見たとの由。
今年は鬼門中の鬼門のアオダイショーとの遭遇が、早くも三回も在った次第で在る。蛇を見る私の不幸も然り乍ら、蛇の方も見られたくない姿を晒され、狩りにも支障を来し、人間に見付かれば、取り囲まれてのスマホ撮影と『不幸年』と成って居るのかも知れない。
本日は終日の降雨の模様で在るから、廊下のシクラメン鉢を雨のシャワーに当てて遣ると致そうか。
鉢植を外に出した序に傘を差して、川の増水を見て来る。
これだけ雨が降れば、水も濁り、増量されて居る。流れに挟まれた葦の並びの成長には驚いた。庭の矮性ユリが、見事なオレンジの色彩で雨に打たれて居る。目下の関心事、マツバボタンの種蒔きからは、まだ一つも発芽は無い。
痺れを切らして、零れ種から出た物を4つに千切って挿し芽をした昨日で在る。好いタイミングでの雨の浸透で、根付く筈で在る。菜園通路に去年から自生するマツバボタンの幼生も幾つか現われて来たので、大きく成ったら挿し芽増やしが出来る。従って、今年のマツバボタンの目の保養も安泰の運びと成ろう。
ツユは梅雨と書く次第で在るから、青梅の成長期で在る。その成長期に合わせて自生の赤紫蘇の茂りを期待したい処では在るが、今年は数が少なく、オール自生の梅漬け⇒梅干しと云う事には為らない模様で在る。雨でキュウリ3本が大きく成って居る。
梅雨に百日紅の幹は、緑で在る。松の何時の間にか伸びた上枝を切って置かないと、大きくなり過ぎで在る。忘れずに頭に留めて置くと致そう。
朝から雨で在る。手持無沙汰なので、傘を差して庭を一回りして来る。30℃越え三連チャンに辟易した次第では在るが、家庭菜園のメイン畝の土起し&欅落ち葉の揉み解し、川砂混ぜをして、小玉スイカ、インゲン三本の植え替えをして、三度目の正直の種蒔きをして置いての、待望の雨で在った。毎度の事では在るが、庭仕事をした後に雨が降る事が多い『幸運さ』が、私には在る。
梅雨入りしたので、毎日雨が降っても不思議では無いのだが、矢張り雨続きだと気分が開放され無い物で在る。
昨日はメインのYとのトークが、長時間に及んだ。人其々に考え方も、表現の仕方も異なるのが、人間と云う物で在る。中には如何云う訳か・・・『凹ませて遣ろう』と云う準備をして来る性格も在る。そんな意図を感じると、聞き流せば好いのだが、私の生き方の片鱗に被って仕舞うので、ついつい云わ無くても好い事まで言って仕舞う『私の悪い癖』が暴露されて終い、遺憾いかんの苦笑いと為って仕舞う。
まぁ、それでも『人間無くて、七癖』の人間模様で在る。以外と俗物らしく社会、国家、政治・経済指導者に手厳しく、己れに甘いタイプの様で在る。
偶にはこんな遣り取りが無くては、お互いの人間観察、考察観察が出来ない処でも在る。意外とマスコミのアナウンス効果と云うか、刷り込まれ傾向が強いと感じて、余り自分軸を構築しての論理的思考が伴って居ない事には驚きで在った。多分、沈思黙考の自問自答力の構築が不足して居る感がする。
人間同士の付き合いには、お互いの長所短所を知った上で、適度な距離感を維持して行かないと、感情的に堕して終う結果とも為る。そんな次第で、好い機会とも為った次第で在る。へへへ。
苺ジャム、チリメンジャコの青山椒実の佃煮、沢庵漬けの残り糠に糠を付け足した昔ながらの酸味の利いたキュウリ、ナスの漬け物を昔風の懐かしい味と喜んで呉れ、私はタマネギ、ニンニク、缶ビール、セロリの差し入れを頂戴した次第で在る。
10時を回って、背後からは水を切る車音、前方の薄い雨空にツバメが滑空して居る。例年、梅雨入りの時季と成ると、蛍が見える。夜散歩に移行させて居るのだが、河床を一掃された今年は期待薄の諦めで在る。
河床が一掃されての武漢ウィルスの外出自粛効果で、川原に下りる若者が増えて、インテリ先輩の散歩時には、大騒ぎをしての大アオダイショーのスマホ撮影のシーンなどを見たとの由。
今年は鬼門中の鬼門のアオダイショーとの遭遇が、早くも三回も在った次第で在る。蛇を見る私の不幸も然り乍ら、蛇の方も見られたくない姿を晒され、狩りにも支障を来し、人間に見付かれば、取り囲まれてのスマホ撮影と『不幸年』と成って居るのかも知れない。
本日は終日の降雨の模様で在るから、廊下のシクラメン鉢を雨のシャワーに当てて遣ると致そうか。
鉢植を外に出した序に傘を差して、川の増水を見て来る。
これだけ雨が降れば、水も濁り、増量されて居る。流れに挟まれた葦の並びの成長には驚いた。庭の矮性ユリが、見事なオレンジの色彩で雨に打たれて居る。目下の関心事、マツバボタンの種蒔きからは、まだ一つも発芽は無い。
痺れを切らして、零れ種から出た物を4つに千切って挿し芽をした昨日で在る。好いタイミングでの雨の浸透で、根付く筈で在る。菜園通路に去年から自生するマツバボタンの幼生も幾つか現われて来たので、大きく成ったら挿し芽増やしが出来る。従って、今年のマツバボタンの目の保養も安泰の運びと成ろう。
ツユは梅雨と書く次第で在るから、青梅の成長期で在る。その成長期に合わせて自生の赤紫蘇の茂りを期待したい処では在るが、今年は数が少なく、オール自生の梅漬け⇒梅干しと云う事には為らない模様で在る。雨でキュウリ3本が大きく成って居る。
梅雨に百日紅の幹は、緑で在る。松の何時の間にか伸びた上枝を切って置かないと、大きくなり過ぎで在る。忘れずに頭に留めて置くと致そう。
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