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長駄文館・・・何時まで続く酷暑為り。

                 何時まで続く、この酷暑為り。(8/24/20)
 少し歩き足りなくて、夜散歩に出掛ければ、コウロギの声が其処彼処からに聞こえ来る。性懲りも無く酷暑の日中では在るが、季節は確実に秋に移行して居る様で在る。

 昨日は二連荘の男のお喋りタイムをして、お勉強の時間、昼寝の時間を割愛として仕舞った。12時前に就寝として、5時近くに目が覚めたが、面倒なのでウツラウツラの私が会いたがって居るのか、向こうが会いたがって居るのか・・・斑夢(まだらゆめ)の中に在っての起床で在る。全戸開放をして、ゴミ出しをしようと行くと、未だ出さなくとも良い。

 全戸開放の四畳半で餌遣りの金魚の泳ぎを眺めながらのモーニングコーヒーと、朝の一服を燻らせる。本日月曜日に就き、早登校の自転車通学生達が勢い良くカーブして行く。

 さてさて、頂戴物は有難く消費しなければ為らない。Y差し入れの芋を、何時でも使える様に洗って置くと致そうか。

 土洗いをすると、形はジャガイモでは在るが、表皮がサツマイモ色をして居る。果たして、その正体は何ぞやの代物で在るから、試して見るより他ない。安全牌を採ってフライパンに油を垂らして、薄くスライスして焼き上げて見る。紛れも無くジャガイモで在った。

     今日も暑く成って来た。外のミンミンゼミに、家の中のキリギリス達鳴きで在る。

 夜散歩時の終わりにはパラリの雨の当たりで在ったが、雨に成らなかった夜で在る。直射日光に晒されるイチゴ、キュウリ、朝顔は人為散水では一向に埒が明かず、『夏枯れの躯(むくろ)』を晒して居るので、散水は諦めてお天気さんに『放任』する事にした。先ずは残り物整理の朝飯にすべしで在る。

 飯後は扇風機を回して、遮光カーテンを引いての夏姿の裸ん棒と為って、昨日を振り返りつつ、ブログ打ちを始める。暑くなって、汗が噴き出して来ればその時点で、シャワーを浴びての汗腺の開放とすれば好かろう。

『饒舌一方咆哮』の傾向の強いYとの話はその場では面白いが、含蓄の余韻為る物が薄いので、人生のスパイスに為らない処、多で在ろうか。へへへ。

 人間、十人十色、無くて七癖、毀誉褒貶、蓼食う虫も好き好きにして、絶対過半数を得るのが難しいのが、人間寄せ場の社会と云う物で在る。平時の能臣、乱世の姦雄、鞘に納まってこその名刀。有事の際の異能・異才集団のタスクフォースとの言葉も在る。然しながら標榜する方向が同じならば、『三人寄れば文殊の知恵』の言葉が示す様に、協働作業も共同参画も出来るのが人間社会と云う物で在ろう。

 月並みの2、6、2の引き合いに出される様に放任して置いても、自律出来る2と何をしても匙投げの2で、真ん中の6割の層は、選挙用語では中間無党派層との呼称ながら、上の働き掛けが功を奏せば、上向し、下の2に引っ張り込まれて仕舞えば、下向する。こんな人間の社会環境は別に今に始まった言でも無く、モーゼの十戒の大昔からの人間社会模様で在る。

 この国家的上向、下向の構図は、遊牧騎馬民族の栄枯衰退絵巻を歴史鳥瞰すれば、誰にも解る構図で在ろう。東西に長いユーラシア大陸の中央部に位置する西アジア、北方アジアは、農耕安定社会への『歴史の震源地』で在り続けた次第でも在るし、ランドパワーとシーパワーの地政学的勢力を見れば、海と云う無辺に繋がる海のルートに精出したのが、海洋国家群で在る。世界史を地球儀に辿れば、素人ながらも、その世界史の過程、足跡が観えて来るもので在る。

 こんな行を打って居ると、Yから電話で在る。本日も朝から農作業との事で、休憩に私の梅干しで塩分、酸味補給をして居るとの由。
 其処で今朝試食したジャガイモの名を聞くと、『アンデス』との事で、新大陸アンデス発祥の芋との由で、Y曰く、ほんのりとした甘みが特徴との由。左様でゴザンしたか。

 大航海時代のポルトガル、スペインのメキシコ銀、ペルー銀の大量略奪と幕府直営の出島貿易で、日本からの大量銀の流入によって、ヨーロッパ世界は大インフレの『価格革命』が勃発したのと同様に、現代食は何かと新大陸産の砂糖、コーヒー、ジャガイモ、サツマイモ、トウモロコシ、玉ねぎ、唐辛子、ピーマン・・・etcの新大陸産の食料に依って、『食料革命』も生まれたそうで在る。兎角、西洋史学者は『革命』の文字が真にお好きな様で在る。

 Yとの電話トークから再び、ブログ打ちに戻って、汗ばんで来た酷暑の熱気で在る。スカンポ脳が溶解する前に、シャワーを浴びて来ると致そうか。ニャロメ。Yに言わせると、下らん、とか、暇だなぁ、とか、よくそんな動画見で何時間も見てて、疲れないのかとか、糞みそに云われ放しなのだが、これも大体の相場が饒舌一方咆哮者が言う、『自己防御法の常套手段の1つ』で在ろうか。

 知らない事を知るには、人間『辛抱が肝心』で在る。通説の陰に異論、小数論在りで、全てを網羅出来る理論、見解などはごくごく一部の理数系域にしか存在仕舞い。素人で在れば素人の分、両論併記の間口の広さを作って置かねば、他者との会話もスムーズには運ばない。

 同じ絵画、映画、小説、授業を受けても、それらを頭、心に刻み込むには、人其々の感受性、経験を基にした『自己フィルター』を通して感じ考え、思いを纏める事など不可能に近い。従って自己フィルターの精度を客観的に高めて置かないと、清濁併せ呑むの他者に対する受容度が備わって来ない。 

 そう云った諸々の体内装置の無い連中の逃げ口上が、所謂、『感覚対応』なので在るが、大体に於いてその『自省心』が薄いのが、彼らの共通項らしい。そんな次第で在るから、自己に優しく、他人に厳しい言動を採るのだろう。ギャハハ。

  さてさて、シャワーもしたし、昨日サボって仕舞った世界史お浚いのお時間と致しましょうかね。


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