長駄文館・・・好天青空に、鳴き交わし為り。
- 2020/09/04
- 11:26
好天青空に、鳴き交わしの朝為り。(9/4/20)
記憶しなければ為らない本と、対話して考えを積み足す本との違いは、本の役柄が異なるから面白くも好い物で在る。記憶本から対話本に移行して、一行読んで、自分の知識と対比しながら、彼是と著者の歴史見解を味合う。独り生活に在っては、これ程勉強に為る時間は無い。
縄文一万数千年の文明は、古代エジプト文明に並ぶ『長期無変化文明』との由。
自分の知識、考えの反省と反芻。大家の説との対話が出来るのは、自分の成長具合の『確認作業』の様な思いで在る。都合5冊の回し通読を維持して、合間合間に世界史ダイジェスト版の手造り備忘録で、歴史の流れを俯瞰をする。
各本のインターバルを置いた通読は、今まで気付かなかった部分への注目箇所の発見に繋がったり、腑に落ちないながらも、それに拘泥すると頁の進みが悪く為るので、パスして居た物、論理の整合性に納得の行かなかった疑問、違和感のモヤモヤし続けていた物に注がれて来る物で在る。何事も、寝かせの発酵期間を経過しないと、味の在る漬物には為らないのと同様で在る。
そんな次第で、霧が晴れる様に解消する時、行を発見出来る事が在る。これを称して、『継続は力為り』の証左なのだろう。
一書悉く信ずるは、書無きが如しと同様に、自己に咀嚼、消化力が備わって来ないと、理解出来ないのが、自身の非力さなので在る。従って、対話本と為ると、頁捲りは超スローペースと為る。そして『その一行の余韻を、愉しむ時を良し』として居る次第で在る。知識は内容の深さにこそ求められると云うタイプで在るから、私は蔵書の多さを誇る輩は信用しない事にして居る。へへへ。
昨日も赤線は引いては在る物の、その要旨が頭を素通りして居た事に気付いて、整合性の合わぬ大きな疑問点が、一挙に解消した次第で在る。早速、備忘録の人類の歩みの章に、我が意得たりで、『PC加筆』をして置いた次第で在る。人間、靄が晴れると気持ちが好い物で在る。
夕刻散歩に明日(今日)は妖怪様の月命日なので、お供え物と食材買いに帰りにスーパーに寄ろうと家を出たのだが、ポツリポツリと雨が落ちて来て仕舞った。遺憾いかんで、スーパーへ直行直帰して来た次第で在る。食材探しでは好物の小ワカサギのパックを見付けて、これも妖怪様のご利益とほくそ笑んだ次第で在る。尤も、帰りは、自然シャワーを浴びて来たのだが。
快眠の朝で、お天道さんの輝きで暑くなるのは必至で在るが、本日は朝のご挨拶に仏壇にチィ~ンを多くしての南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏の態とする。
全戸開放の家中からは、ギース、ギースの鳴き交わしが遠く近く聞こえ、廊下の雄金華鳥も独りを嘆く訳でも無く、快調に囀りを繰り返して居る。
いやはや、この飼い主に、その飼い鳥在りで、中々にしぶとい気性の持ち主らしい。雌が居れば、絶えず追い掛け回して、強制交尾を仕掛けて居た雄では在ったが、雌が居なくても『健荘』そのもので在るから、私も見習わなければ為るまい。
好天青空に、キリギリス鳴き交わし響く朝で在る。おやおや、大振りモンシロチョウの来庭では無いか。女気ゼロ、寂寥の妄想窟に独り住まう老いの日々では在るが、無味無臭の中に在って、人間以外の諸々の衆生の来庭は、心和む次第で在る。
さてさて、腹も空いて来たから、朝飯の用意を致そうか。本日はどんな運びと為る物やら、一日が終わって見なければ分からない予定無しの生活習慣で在る。へへへ。
記憶しなければ為らない本と、対話して考えを積み足す本との違いは、本の役柄が異なるから面白くも好い物で在る。記憶本から対話本に移行して、一行読んで、自分の知識と対比しながら、彼是と著者の歴史見解を味合う。独り生活に在っては、これ程勉強に為る時間は無い。
縄文一万数千年の文明は、古代エジプト文明に並ぶ『長期無変化文明』との由。
自分の知識、考えの反省と反芻。大家の説との対話が出来るのは、自分の成長具合の『確認作業』の様な思いで在る。都合5冊の回し通読を維持して、合間合間に世界史ダイジェスト版の手造り備忘録で、歴史の流れを俯瞰をする。
各本のインターバルを置いた通読は、今まで気付かなかった部分への注目箇所の発見に繋がったり、腑に落ちないながらも、それに拘泥すると頁の進みが悪く為るので、パスして居た物、論理の整合性に納得の行かなかった疑問、違和感のモヤモヤし続けていた物に注がれて来る物で在る。何事も、寝かせの発酵期間を経過しないと、味の在る漬物には為らないのと同様で在る。
そんな次第で、霧が晴れる様に解消する時、行を発見出来る事が在る。これを称して、『継続は力為り』の証左なのだろう。
一書悉く信ずるは、書無きが如しと同様に、自己に咀嚼、消化力が備わって来ないと、理解出来ないのが、自身の非力さなので在る。従って、対話本と為ると、頁捲りは超スローペースと為る。そして『その一行の余韻を、愉しむ時を良し』として居る次第で在る。知識は内容の深さにこそ求められると云うタイプで在るから、私は蔵書の多さを誇る輩は信用しない事にして居る。へへへ。
昨日も赤線は引いては在る物の、その要旨が頭を素通りして居た事に気付いて、整合性の合わぬ大きな疑問点が、一挙に解消した次第で在る。早速、備忘録の人類の歩みの章に、我が意得たりで、『PC加筆』をして置いた次第で在る。人間、靄が晴れると気持ちが好い物で在る。
夕刻散歩に明日(今日)は妖怪様の月命日なので、お供え物と食材買いに帰りにスーパーに寄ろうと家を出たのだが、ポツリポツリと雨が落ちて来て仕舞った。遺憾いかんで、スーパーへ直行直帰して来た次第で在る。食材探しでは好物の小ワカサギのパックを見付けて、これも妖怪様のご利益とほくそ笑んだ次第で在る。尤も、帰りは、自然シャワーを浴びて来たのだが。
快眠の朝で、お天道さんの輝きで暑くなるのは必至で在るが、本日は朝のご挨拶に仏壇にチィ~ンを多くしての南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏の態とする。
全戸開放の家中からは、ギース、ギースの鳴き交わしが遠く近く聞こえ、廊下の雄金華鳥も独りを嘆く訳でも無く、快調に囀りを繰り返して居る。
いやはや、この飼い主に、その飼い鳥在りで、中々にしぶとい気性の持ち主らしい。雌が居れば、絶えず追い掛け回して、強制交尾を仕掛けて居た雄では在ったが、雌が居なくても『健荘』そのもので在るから、私も見習わなければ為るまい。
好天青空に、キリギリス鳴き交わし響く朝で在る。おやおや、大振りモンシロチョウの来庭では無いか。女気ゼロ、寂寥の妄想窟に独り住まう老いの日々では在るが、無味無臭の中に在って、人間以外の諸々の衆生の来庭は、心和む次第で在る。
さてさて、腹も空いて来たから、朝飯の用意を致そうか。本日はどんな運びと為る物やら、一日が終わって見なければ分からない予定無しの生活習慣で在る。へへへ。
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