コメント
No title
台風が来るそうだ 明日は・・・避難準備になってる?
勧告段階の一番下・・・無事に100年来の台風が来るんだろうか?
且つて四国を旅した時に「戦後最大の台風が来る」というので もう1泊する所を急いで帰宅した。するとどうだ?タダの台風じゃないか。それもかすり傷程度の有様だった。他地域の被害も大したものではなかった。戦後最大ですよ?なんでまぁこんな比喩をするんだろう。
だから100年に一度の台風がどんなものか 全く想像が付かない。今晩は寝ずに見届けてやろうじゃないか。どうせ明日は絵の搬入をせねばならぬ。市の芸術祭。30年前の新作だが 全く以って一流品だ。辛口評論家が言うんだから 凡そ間違いはなかろう。
だが事に寄っては搬入が出来ないかもしれぬ。作品は画材店に置いているが こちらは自転車オンリーだ。わが市は革新10万都市だ。共産党のように人権ガ~大事な都市だから 台風が怖くて搬入出来ぬと言えば良い。怪我したらどうしてくれるんだって言えばいい。そうだ。もう止めよう。来年出そう。出品取り消し。傑作は不変だから来年でも良い。生きてれば。
そうだ。思い出館。アレの裏は共産党と関係していたのをご存じか?ご存じあるまい。喋っていないから。アレの裏。わが市が資金提供し福祉関係のNPO法人立ち上げを幾つか募集した事から この公金詐欺は始まる。そう。アレは共産党員であるオーナーと家主(40年来の知人・大工)の合作。
時期としては2/3辺りに知ったことで どうにも現実を前にして腹が立ちながらも何もできず 憂鬱な日々が続いた。入った端からオーナーに何がやりたいのか?さっぱり答えがなく また家主にしても決められたことをしていれば良いというだけだった。
いったい10ヵ月間の約束で 引き受けたものの オーナー自身が「何をやり遂げたいのか見えて来ぬ」ずっと鬱積していた やがてとうとうオーナーが口に出した 「ディケアの利用者を集めて欲しい」と。12月上旬頃だったか 何を今更 集めろだ オレの任期は限られているのだ。然も当人自身が理念も何も持ち合わせていない。それを持たずにしてよくもまぁ 家主と口裏合わせで公金詐取したものだ。
館の1/3はオーナーの趣味の部屋。然も猫2匹付き。彼のお休み場であった。家主もそれを知りながら 金になるということで ほとんどシャッター街になったアーケ―ドの中古を昭和風仕立てに改装したわけだ。ああ ホントにご苦労なことだ。そこで子供に読み聞かせだと?調べたらこの区域は余りにも錆びついて「登校禁止通路」になっているではないか。そんな所で子供らを集めて読み聞かせ?馬鹿じゃないか ということで強引に取りやめた。
当然 読み聞かせの婆さんからクレームが入ったが知るか そんなもん。オレの性分に合わぬ。子供らを集めるわけには行かぬ。誰がこんな錆びれた場所で読み聞かせなどやるものか。それから黒板に前々から考えていた「思い出館」の概念図を書き 図表を描いた。
それから翌月 新年を迎えた。目出度くもない正月だ。しかし2人の兄弟と叔母ちゃん1人がやってきてくれる。概念はこうだ せっかく部屋は教室仕立てになっている。だったら授業といこうじゃないか。図画工作・歴史に国語 算数は苦手でナシ。なんてことをやり出した。
その内 老夫婦が来るようになった。度々来るようになった。そしたら或る日パタリと来なくなった。オカシイと思ってアパートを訪ねると婆さんが1人でいる。爺さんが家で怪我をして入院しているそうだ。直に柱に貼り付けてあったケアマネ(市職員)の名刺に電話をした。ケアマネ事の次第を知らず 慌てふためく「もし もっと支援が必要になったら そちらでお世話になります」
ボクが最も報われた瞬間である。ボク自身が思い出館の新たな存在価値を見出した瞬間である。こういう場所にすればいいのだ ケアマネと介護を必要とする人との間を取り持つ。街の憩いの場であり支援の場所 この考えがあれば「思い出館」が世間様に役に立つ またオーナーも納得するであろう。
だが既に任された期間はあと少し ボクは兄弟を誘って2人が造ったグライダーを飛ばしに行ったり 休みの日に3人引き連れて萩市(兄弟の好きな場所)また花見にも行った そしてそれが最後になって思い出館は終了した。
ボクが辞めて後に叔母ちゃんから花見の誘いを受けたが断った 夢は夢のままに終わらせたかったのだ。アレは夢だったということにして会うことをしなかった。萎びた顔の自分を見せたくなかった。心のどこかに半分裏切ったような気持ち 騙したような気持ちがあったからだ。
オーナーと家主には「これが公金詐取だ」という所を見せ付けられた。だがボクに何が言えよう。ボクはその公金詐取の間から給料を貰っていたのだ。文句の言える立場ではない。ああ 仮にオーナーが共産党員だと分かっていたら引き受けなかったろう。何より嫌いな政党だ。街宣中出会えば 大抵こちらから絡みに行く。公の場・街宣中だからこそ「暴力革命はいつやるの?」と絡むのだ。誰が事務所なんかに行くか 危ないだろうが(苦笑
30代で自死した共産党員(元町会議員)との思い出が蘇る。だから憤懣 やる形なしでケンカ腰になるんだ まぁもっとも まぁまぁと笑顔でお別れするのだが。人からは馬鹿じゃないかと言われるが 若くて知性的 繊細で鋭いあの男はもう居ないのだ。腹が立つじゃないか。何が共産党だ。結局 不破を食わせるための団体さんじゃね~か。影響力は薄れたといえ ヤツは支配階級の何者でもない。ヤクザの親分と何が違う。鉄砲が飛んでこないのは住んでいる場所が迷うぐらいの広大な敷地だからであろう クソ
そう言えばオーナーが高倉健のヤクザ者が好きというから「ヤクザは嫌いです」と答えた あんなもの誰が見るか 所詮ヤクザはヤクザだ 堅気じゃない 堅気じゃないヤツを見て何が楽しいのだ 世間様に顔向けができねぇ~なんて義理と人情は金次第でござんす。
ああ 風が少しは強くなったようだ 今更ながら人目に憚る悪文を書いてしまった いつか書かないと相済まぬと思いながら今日に至ってしまった。干し柿・漬物ありがとうございます。ボクはいつも心が痛んでいたのですよ。こんな恨みがましい思い出がいつまでも消えずにいたのですよ 積もっていたのですよ。
ああ 許されよ許されよ 貴兄には伝えるべきか迷ったが 書いたものはしょうがない。これが自分だ 自分の身勝手だ 自分の性分だ 腹の底から蹴飛ばしてくだされ
勧告段階の一番下・・・無事に100年来の台風が来るんだろうか?
且つて四国を旅した時に「戦後最大の台風が来る」というので もう1泊する所を急いで帰宅した。するとどうだ?タダの台風じゃないか。それもかすり傷程度の有様だった。他地域の被害も大したものではなかった。戦後最大ですよ?なんでまぁこんな比喩をするんだろう。
だから100年に一度の台風がどんなものか 全く想像が付かない。今晩は寝ずに見届けてやろうじゃないか。どうせ明日は絵の搬入をせねばならぬ。市の芸術祭。30年前の新作だが 全く以って一流品だ。辛口評論家が言うんだから 凡そ間違いはなかろう。
だが事に寄っては搬入が出来ないかもしれぬ。作品は画材店に置いているが こちらは自転車オンリーだ。わが市は革新10万都市だ。共産党のように人権ガ~大事な都市だから 台風が怖くて搬入出来ぬと言えば良い。怪我したらどうしてくれるんだって言えばいい。そうだ。もう止めよう。来年出そう。出品取り消し。傑作は不変だから来年でも良い。生きてれば。
そうだ。思い出館。アレの裏は共産党と関係していたのをご存じか?ご存じあるまい。喋っていないから。アレの裏。わが市が資金提供し福祉関係のNPO法人立ち上げを幾つか募集した事から この公金詐欺は始まる。そう。アレは共産党員であるオーナーと家主(40年来の知人・大工)の合作。
時期としては2/3辺りに知ったことで どうにも現実を前にして腹が立ちながらも何もできず 憂鬱な日々が続いた。入った端からオーナーに何がやりたいのか?さっぱり答えがなく また家主にしても決められたことをしていれば良いというだけだった。
いったい10ヵ月間の約束で 引き受けたものの オーナー自身が「何をやり遂げたいのか見えて来ぬ」ずっと鬱積していた やがてとうとうオーナーが口に出した 「ディケアの利用者を集めて欲しい」と。12月上旬頃だったか 何を今更 集めろだ オレの任期は限られているのだ。然も当人自身が理念も何も持ち合わせていない。それを持たずにしてよくもまぁ 家主と口裏合わせで公金詐取したものだ。
館の1/3はオーナーの趣味の部屋。然も猫2匹付き。彼のお休み場であった。家主もそれを知りながら 金になるということで ほとんどシャッター街になったアーケ―ドの中古を昭和風仕立てに改装したわけだ。ああ ホントにご苦労なことだ。そこで子供に読み聞かせだと?調べたらこの区域は余りにも錆びついて「登校禁止通路」になっているではないか。そんな所で子供らを集めて読み聞かせ?馬鹿じゃないか ということで強引に取りやめた。
当然 読み聞かせの婆さんからクレームが入ったが知るか そんなもん。オレの性分に合わぬ。子供らを集めるわけには行かぬ。誰がこんな錆びれた場所で読み聞かせなどやるものか。それから黒板に前々から考えていた「思い出館」の概念図を書き 図表を描いた。
それから翌月 新年を迎えた。目出度くもない正月だ。しかし2人の兄弟と叔母ちゃん1人がやってきてくれる。概念はこうだ せっかく部屋は教室仕立てになっている。だったら授業といこうじゃないか。図画工作・歴史に国語 算数は苦手でナシ。なんてことをやり出した。
その内 老夫婦が来るようになった。度々来るようになった。そしたら或る日パタリと来なくなった。オカシイと思ってアパートを訪ねると婆さんが1人でいる。爺さんが家で怪我をして入院しているそうだ。直に柱に貼り付けてあったケアマネ(市職員)の名刺に電話をした。ケアマネ事の次第を知らず 慌てふためく「もし もっと支援が必要になったら そちらでお世話になります」
ボクが最も報われた瞬間である。ボク自身が思い出館の新たな存在価値を見出した瞬間である。こういう場所にすればいいのだ ケアマネと介護を必要とする人との間を取り持つ。街の憩いの場であり支援の場所 この考えがあれば「思い出館」が世間様に役に立つ またオーナーも納得するであろう。
だが既に任された期間はあと少し ボクは兄弟を誘って2人が造ったグライダーを飛ばしに行ったり 休みの日に3人引き連れて萩市(兄弟の好きな場所)また花見にも行った そしてそれが最後になって思い出館は終了した。
ボクが辞めて後に叔母ちゃんから花見の誘いを受けたが断った 夢は夢のままに終わらせたかったのだ。アレは夢だったということにして会うことをしなかった。萎びた顔の自分を見せたくなかった。心のどこかに半分裏切ったような気持ち 騙したような気持ちがあったからだ。
オーナーと家主には「これが公金詐取だ」という所を見せ付けられた。だがボクに何が言えよう。ボクはその公金詐取の間から給料を貰っていたのだ。文句の言える立場ではない。ああ 仮にオーナーが共産党員だと分かっていたら引き受けなかったろう。何より嫌いな政党だ。街宣中出会えば 大抵こちらから絡みに行く。公の場・街宣中だからこそ「暴力革命はいつやるの?」と絡むのだ。誰が事務所なんかに行くか 危ないだろうが(苦笑
30代で自死した共産党員(元町会議員)との思い出が蘇る。だから憤懣 やる形なしでケンカ腰になるんだ まぁもっとも まぁまぁと笑顔でお別れするのだが。人からは馬鹿じゃないかと言われるが 若くて知性的 繊細で鋭いあの男はもう居ないのだ。腹が立つじゃないか。何が共産党だ。結局 不破を食わせるための団体さんじゃね~か。影響力は薄れたといえ ヤツは支配階級の何者でもない。ヤクザの親分と何が違う。鉄砲が飛んでこないのは住んでいる場所が迷うぐらいの広大な敷地だからであろう クソ
そう言えばオーナーが高倉健のヤクザ者が好きというから「ヤクザは嫌いです」と答えた あんなもの誰が見るか 所詮ヤクザはヤクザだ 堅気じゃない 堅気じゃないヤツを見て何が楽しいのだ 世間様に顔向けができねぇ~なんて義理と人情は金次第でござんす。
ああ 風が少しは強くなったようだ 今更ながら人目に憚る悪文を書いてしまった いつか書かないと相済まぬと思いながら今日に至ってしまった。干し柿・漬物ありがとうございます。ボクはいつも心が痛んでいたのですよ。こんな恨みがましい思い出がいつまでも消えずにいたのですよ 積もっていたのですよ。
ああ 許されよ許されよ 貴兄には伝えるべきか迷ったが 書いたものはしょうがない。これが自分だ 自分の身勝手だ 自分の性分だ 腹の底から蹴飛ばしてくだされ
No title
waravinoさんへ。
そうでしたか。心中吐露を拝読して、私ながらの情景が浮かびます。文章の力と云う物が横溢して居ますね。文面を読みながら、北海道のアイヌ問題、沖縄の市民運動の裏で蠢いて居る利権、詐欺商法の実態が、推して知るべしの感じで、実感出来ると云う物です。
話、文章にしても、其処には人間の全人格性が伴って居ないと、良い話にも、良い文章として出て来ませんからね。在り来たりのは無し在り来たりの文章は、如何でもよい世界の事ですしね。好い参考と為りました。へへへ。
そうでしたか。心中吐露を拝読して、私ながらの情景が浮かびます。文章の力と云う物が横溢して居ますね。文面を読みながら、北海道のアイヌ問題、沖縄の市民運動の裏で蠢いて居る利権、詐欺商法の実態が、推して知るべしの感じで、実感出来ると云う物です。
話、文章にしても、其処には人間の全人格性が伴って居ないと、良い話にも、良い文章として出て来ませんからね。在り来たりのは無し在り来たりの文章は、如何でもよい世界の事ですしね。好い参考と為りました。へへへ。