長駄文館・・・ネット社会は愉しみの時代為り。
- 2020/09/22
- 14:01
ネット社会は、愉しみの時代為り。(9/22/20)
暑さ寒さも彼岸までとは、好く云った物で在る。昨日は夕刻散歩替わりに、コースを変えて、自転車散策で距離を伸ばして来た次第で在る。歩くだけでは無く、偶には足の回転運動も筋肉上、必要で在る。路傍にはコスモスが咲き、花屋さんには、ミニシクラメンが並んで居る。民宿旅館のウェルカムボードには、久し振りに外国名が載って居た次第で在る。
晩飯後は秋の夜長と云うからして、万年筆の本数分、字書きをして見た。普段はキーボード打ちでダラダラと長駄文館のブログ打ちをしている所為で、字はそれなりに読めるのだが、いざ書く段に成ると、細かい所が如何だったか?と忘れて仕舞って居る態で在る。そんな次第で、天眼鏡で覗き込んで『習字』をして居るから、嘆かわし、恥ずかしの態で在る。然しながら、ボールペン、鉛筆より滑らかに書けるから、気持ちが好い次第で在る。
就寝前の動画見では、元プロ野球選手の石毛さんがユーチューブをして居て、江夏豊さんを迎えての野球放談動画が在って、好い物を見させて貰ったの『お得感』が在った。
学者・識者・評論家・政治家の談よりも、実戦を積み上げて来た往年のスター選手の振り返りは、真に心にしっくり入って来る『人生論』と為って、一々頷く内容ばかりで在る。
何と云っても球界に名を馳せた人達で在るから、心技体の求道者に相応しい重みと、言葉・表情から醸し出されて来る人間色が好い味を出して居て、魅力的で在る。
プロ野球界を通しての『人間教育論』と云った物が、ごく普通の日常言葉で語られる処が、凄い処で在る。
一応の打ち合わせが在るのだろうが、ユーチューブで在るから、其処には台本もメディア特有の規制・編集も介在する事無く、同じ球界で飯を食って来た者同士の共通の思いが通じ合って居る。球団、活躍時期の違いが在っても、其処は広い意味での『仕事仲間』で在る。少し言葉を振れば、次から次と談論風発の好い話、物事の基本の話、含蓄の在る話、人間模様の話…etcが飛び交い、惹き付けられるトークの愉しみを見る事が出来る。
其処には体育会系の長幼の序、身体を泣かせて掴み取る根性と努力、結果に対する潔さが流れて居て、人間的魅力が流れて居る。これは、どの分野にも通じる『目的達成への愚直さの積み上げ』と云って良かろう。
現役時代は人気イメージ優先で在っただろうから、一面ばかりが先行発信されて居る物だが、表に出ない、語られない部分にこそ、大事で本質的な物が横たわって居るのが、人間の本質で在ろう。現役(選手時代、解説者時代、指導者時代)を離れて、自分の信条・心情を反芻しながら、野球人生を語り合う愉しみの時代に入った人の話を伺えるのは、有難い事で在る。
個人が手軽に発信出来る、好い意味での恵まれた時代で在る。組織が作る物と個人の作る物が同居する時代で在る。これまた、愉しみのネット社会と云う事に為ろうか。
娑婆は三連休の筈で在るが、個人業者で在る。工事音が始まって来た。働かずば、仕事は回って行かず、飯も食えぬのが現実娑婆で在る。さてさて、朝飯にして、ブログ打ちは中断の段と致そう。へへへ。
工事音も11時を回る頃には止み、本日の工事は終了した様で在る。
半袖では肌寒い、時折の微風に薄い青空の陽入りで在る。昼は仏壇の生菓子を失敬して、済ますと致そう。午後のタイムは、昼寝導入剤として、廊下での頁捲りをすれば好かろう。
瞼の重みに横に為りに行く。ウトウトとして居ると、足に蚊の痒み、耳に雨蛙の声で在る。掻いて居ても、痒みは収まらない。起き上がって塗薬をすれば、成程、雨蛙が鳴く筈で在る。雲の増す空では無いか。
暑さ寒さも彼岸までとは、好く云った物で在る。昨日は夕刻散歩替わりに、コースを変えて、自転車散策で距離を伸ばして来た次第で在る。歩くだけでは無く、偶には足の回転運動も筋肉上、必要で在る。路傍にはコスモスが咲き、花屋さんには、ミニシクラメンが並んで居る。民宿旅館のウェルカムボードには、久し振りに外国名が載って居た次第で在る。
晩飯後は秋の夜長と云うからして、万年筆の本数分、字書きをして見た。普段はキーボード打ちでダラダラと長駄文館のブログ打ちをしている所為で、字はそれなりに読めるのだが、いざ書く段に成ると、細かい所が如何だったか?と忘れて仕舞って居る態で在る。そんな次第で、天眼鏡で覗き込んで『習字』をして居るから、嘆かわし、恥ずかしの態で在る。然しながら、ボールペン、鉛筆より滑らかに書けるから、気持ちが好い次第で在る。
就寝前の動画見では、元プロ野球選手の石毛さんがユーチューブをして居て、江夏豊さんを迎えての野球放談動画が在って、好い物を見させて貰ったの『お得感』が在った。
学者・識者・評論家・政治家の談よりも、実戦を積み上げて来た往年のスター選手の振り返りは、真に心にしっくり入って来る『人生論』と為って、一々頷く内容ばかりで在る。
何と云っても球界に名を馳せた人達で在るから、心技体の求道者に相応しい重みと、言葉・表情から醸し出されて来る人間色が好い味を出して居て、魅力的で在る。
プロ野球界を通しての『人間教育論』と云った物が、ごく普通の日常言葉で語られる処が、凄い処で在る。
一応の打ち合わせが在るのだろうが、ユーチューブで在るから、其処には台本もメディア特有の規制・編集も介在する事無く、同じ球界で飯を食って来た者同士の共通の思いが通じ合って居る。球団、活躍時期の違いが在っても、其処は広い意味での『仕事仲間』で在る。少し言葉を振れば、次から次と談論風発の好い話、物事の基本の話、含蓄の在る話、人間模様の話…etcが飛び交い、惹き付けられるトークの愉しみを見る事が出来る。
其処には体育会系の長幼の序、身体を泣かせて掴み取る根性と努力、結果に対する潔さが流れて居て、人間的魅力が流れて居る。これは、どの分野にも通じる『目的達成への愚直さの積み上げ』と云って良かろう。
現役時代は人気イメージ優先で在っただろうから、一面ばかりが先行発信されて居る物だが、表に出ない、語られない部分にこそ、大事で本質的な物が横たわって居るのが、人間の本質で在ろう。現役(選手時代、解説者時代、指導者時代)を離れて、自分の信条・心情を反芻しながら、野球人生を語り合う愉しみの時代に入った人の話を伺えるのは、有難い事で在る。
個人が手軽に発信出来る、好い意味での恵まれた時代で在る。組織が作る物と個人の作る物が同居する時代で在る。これまた、愉しみのネット社会と云う事に為ろうか。
娑婆は三連休の筈で在るが、個人業者で在る。工事音が始まって来た。働かずば、仕事は回って行かず、飯も食えぬのが現実娑婆で在る。さてさて、朝飯にして、ブログ打ちは中断の段と致そう。へへへ。
工事音も11時を回る頃には止み、本日の工事は終了した様で在る。
半袖では肌寒い、時折の微風に薄い青空の陽入りで在る。昼は仏壇の生菓子を失敬して、済ますと致そう。午後のタイムは、昼寝導入剤として、廊下での頁捲りをすれば好かろう。
瞼の重みに横に為りに行く。ウトウトとして居ると、足に蚊の痒み、耳に雨蛙の声で在る。掻いて居ても、痒みは収まらない。起き上がって塗薬をすれば、成程、雨蛙が鳴く筈で在る。雲の増す空では無いか。
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