長駄文館・・・落ち葉の始まりに、柿の色付き為り。
- 2020/09/29
- 12:26
落ち葉の始まりに、柿の色付き為り。(9/29/20)
朝に成ったか、起きるか。昨日は国勢調査の配り物の集計も済んだとの由で、Sが久し振りに顔を出してくれた。これからコンビニでコーヒーを買って行くと云う最初の電話では、これから葬式と云う事で空振り。帰って来て少し横に為って居ると、ピンポンが鳴って、おっ居るじゃんかで、何時もの同級生同士のゆったりした話が出来た。
Sは育ちが好いから、物腰が柔らかく、相手との距離間を保つ大様(鷹揚)の様は、フィーリングが好くマッチする次第で在る。深入りせずにすんなり交わす人間関係の対応術は、大いに参考とさせて貰って居る処で在る。尤も、それが出来ない私にして、見習えないのが、私の大欠点、不徳と反省する次第で在る。へへへ。
Tの口癖が、『しぁ~無い。』『あ~ら、しょうお。』で在り、Sの口癖が、『やれやれ。』で在る。一方、私の口癖が『馬鹿野郎、何を扱きぁがる。俺ぁ騙され無ぇぞ。』で在るから、★達観視の処世術と★無頼漢の処世術の大差が出て来る次第で在る。
尤も、森の石松の馬鹿は死んでも治らないの『浪花節の故事』も在る次第で在るから、一切苦にしない処を、私の個性として居る。口の悪いYに云わせると、私は『馬耳東風の長生き派』との由。性格・生き方は、人其々で在るから、致し方が無いのが、人間娑婆模様で在る。へへへ。
自生する長芋の黄葉、百日紅、柿の落ち葉が、目立つ様に成って来たもので在る。朝のアイドリングに庭に出れば、愈々もって柿が色付いて来たものでは無いか。ひんやりしたトマトを口に、9月も本日を入れて2日で在る。『時は留まるを知らず』では在るが、時の流れの早さに、遺憾いかんの、吾は何を標(のこ)したかの『心無げ』の次第で在る。いやはや、困った物で在る。
黄ばんだワイシャツの襟を見て、昨日は漂白剤に浸け込んで置いた白物の洗濯して、ハンガーに並べ吊るして居る。脱水無しの吊るしで在るから、朝日を浴びてポタポタと水が滴り落ちて居る。乾いて見なければ漂白剤効果は解らぬが、見た処、大分黄ばみは取れている感じで在る。
勤めを終えて見れば、普段は白物ワイシャツは着ない。昨日の様に黒を着なければ為らない段に為ると、焦って仕舞うのが『ロートル男寡の哀しさ』と云う物で在る。
黒靴にワックスを塗って靴磨きをしたり、黒靴下を探したりの、ネクタイの締め方は如何だったものやらと、鏡を見ながらの『社会復帰』の段で在る。
女房殿の穴に、アハハとした次第で在る。
朝の寒さもお天道さんの陽入りで、暖かく成って来た。古代オリエントはメソポタミアとエジプト。西洋はギリシァ、ローマとの由。頁進めもオリエント、ギリシャが済んで、本日からはローマの章で在る。教科書で云えば本の2章程の記述に過ぎないが、300頁にも及ぶ一冊本で在る。大人の教養本の体裁と為って居るから、或る種の歴史エピソードの構成と為って居る。従って、歴史の時系列を念頭に置く覚え込みを強いられる物でも無い。そんな肩の凝りが無い処が、廊下の日向読みに適した書物で在る。
さてさて、腹も空いて来たから、朝飯と致そう。ナス、ピーマンを炒めて、野菜補給をして置くと致そうか。
『秋茄子は、嫁に食わすな』と云われるだけ在って、夏の茄子よりも甘みが濃いのには驚いた次第で在る。茄子の甘味を知るには焼き茄子が一番の様で在る。息抜きに庭に出れば、柿が半分食べられて居る。庭の生り物の味見役は、ヒヨドリで在る。ヒヨドリに後れを取っては、管理者としての面目が立たない。色の好い処を一つ毟り取ると、何んと柔らかいでは無いか。ゴマの入った硬い実に反して、渋柿の様な果実の感触で在るが、何んと甘いから驚き桃の木で在る。周辺の硬い実を採ろうと思ったが、色からするとまだ早い。
年々早まる傾向に在る柿の実で在り、愕然としながらも、このままで推移すれば、去年同様の釈然としない吊るし柿の出来と成りそうで在る。11月初めの収穫で気温の低下による干しの期間を経ての吊るし柿でなければ、熟成の甘味が出て来ない。時期が早過ぎると、甘露の熟成が早乾きでまろやかさに到達出来ないのが、この2年の経験知で在る。
今朝の冷え込みに、キリギリスが2匹、命を閉じた。残るのは雌1匹のみと成った。
毒亜圏・宗主国の中狂武漢ウィルスに始まって、未曾有の長雨中の長江、淮河の洪水・冠水、旱魃、バッタ被害、台風の中国直進、小中華の朝鮮半島直進、サンマの不漁と相次ぐ東アジアの天変地異の様で在る。きっと天のお怒りは、一党独裁の中狂、一族独裁の北朝鮮、事大主義韓国の宿痾の象徴首を天に差し出さぬ限りは、『お怒りの解除』とは為らぬのだろう。
ふと、天照大神の岩戸お隠れの故事を思い出した次第で在る。へへへ。
朝に成ったか、起きるか。昨日は国勢調査の配り物の集計も済んだとの由で、Sが久し振りに顔を出してくれた。これからコンビニでコーヒーを買って行くと云う最初の電話では、これから葬式と云う事で空振り。帰って来て少し横に為って居ると、ピンポンが鳴って、おっ居るじゃんかで、何時もの同級生同士のゆったりした話が出来た。
Sは育ちが好いから、物腰が柔らかく、相手との距離間を保つ大様(鷹揚)の様は、フィーリングが好くマッチする次第で在る。深入りせずにすんなり交わす人間関係の対応術は、大いに参考とさせて貰って居る処で在る。尤も、それが出来ない私にして、見習えないのが、私の大欠点、不徳と反省する次第で在る。へへへ。
Tの口癖が、『しぁ~無い。』『あ~ら、しょうお。』で在り、Sの口癖が、『やれやれ。』で在る。一方、私の口癖が『馬鹿野郎、何を扱きぁがる。俺ぁ騙され無ぇぞ。』で在るから、★達観視の処世術と★無頼漢の処世術の大差が出て来る次第で在る。
尤も、森の石松の馬鹿は死んでも治らないの『浪花節の故事』も在る次第で在るから、一切苦にしない処を、私の個性として居る。口の悪いYに云わせると、私は『馬耳東風の長生き派』との由。性格・生き方は、人其々で在るから、致し方が無いのが、人間娑婆模様で在る。へへへ。
自生する長芋の黄葉、百日紅、柿の落ち葉が、目立つ様に成って来たもので在る。朝のアイドリングに庭に出れば、愈々もって柿が色付いて来たものでは無いか。ひんやりしたトマトを口に、9月も本日を入れて2日で在る。『時は留まるを知らず』では在るが、時の流れの早さに、遺憾いかんの、吾は何を標(のこ)したかの『心無げ』の次第で在る。いやはや、困った物で在る。
黄ばんだワイシャツの襟を見て、昨日は漂白剤に浸け込んで置いた白物の洗濯して、ハンガーに並べ吊るして居る。脱水無しの吊るしで在るから、朝日を浴びてポタポタと水が滴り落ちて居る。乾いて見なければ漂白剤効果は解らぬが、見た処、大分黄ばみは取れている感じで在る。
勤めを終えて見れば、普段は白物ワイシャツは着ない。昨日の様に黒を着なければ為らない段に為ると、焦って仕舞うのが『ロートル男寡の哀しさ』と云う物で在る。
黒靴にワックスを塗って靴磨きをしたり、黒靴下を探したりの、ネクタイの締め方は如何だったものやらと、鏡を見ながらの『社会復帰』の段で在る。
女房殿の穴に、アハハとした次第で在る。
朝の寒さもお天道さんの陽入りで、暖かく成って来た。古代オリエントはメソポタミアとエジプト。西洋はギリシァ、ローマとの由。頁進めもオリエント、ギリシャが済んで、本日からはローマの章で在る。教科書で云えば本の2章程の記述に過ぎないが、300頁にも及ぶ一冊本で在る。大人の教養本の体裁と為って居るから、或る種の歴史エピソードの構成と為って居る。従って、歴史の時系列を念頭に置く覚え込みを強いられる物でも無い。そんな肩の凝りが無い処が、廊下の日向読みに適した書物で在る。
さてさて、腹も空いて来たから、朝飯と致そう。ナス、ピーマンを炒めて、野菜補給をして置くと致そうか。
『秋茄子は、嫁に食わすな』と云われるだけ在って、夏の茄子よりも甘みが濃いのには驚いた次第で在る。茄子の甘味を知るには焼き茄子が一番の様で在る。息抜きに庭に出れば、柿が半分食べられて居る。庭の生り物の味見役は、ヒヨドリで在る。ヒヨドリに後れを取っては、管理者としての面目が立たない。色の好い処を一つ毟り取ると、何んと柔らかいでは無いか。ゴマの入った硬い実に反して、渋柿の様な果実の感触で在るが、何んと甘いから驚き桃の木で在る。周辺の硬い実を採ろうと思ったが、色からするとまだ早い。
年々早まる傾向に在る柿の実で在り、愕然としながらも、このままで推移すれば、去年同様の釈然としない吊るし柿の出来と成りそうで在る。11月初めの収穫で気温の低下による干しの期間を経ての吊るし柿でなければ、熟成の甘味が出て来ない。時期が早過ぎると、甘露の熟成が早乾きでまろやかさに到達出来ないのが、この2年の経験知で在る。
今朝の冷え込みに、キリギリスが2匹、命を閉じた。残るのは雌1匹のみと成った。
毒亜圏・宗主国の中狂武漢ウィルスに始まって、未曾有の長雨中の長江、淮河の洪水・冠水、旱魃、バッタ被害、台風の中国直進、小中華の朝鮮半島直進、サンマの不漁と相次ぐ東アジアの天変地異の様で在る。きっと天のお怒りは、一党独裁の中狂、一族独裁の北朝鮮、事大主義韓国の宿痾の象徴首を天に差し出さぬ限りは、『お怒りの解除』とは為らぬのだろう。
ふと、天照大神の岩戸お隠れの故事を思い出した次第で在る。へへへ。
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