長駄文館・・・誕生月は、幸運を運ぶ為り。
- 2020/10/02
- 14:04
誕生月は、幸運を運ぶ為り。(10/2/20)
昨日のブログでは大袈裟に面白く、天敵女の形容詞に四文字熟語のフグサイテンを思い出し、どんな漢字だったのかと国語辞書を引くが出て来ない。
私の記憶の中では明確で正しい漢字は、漠然としながらも在るのだが、駄目で在る。
フグ、サイテンと2分割して、その部分を丹念に捜しはするが、目的が果たせずに断念した次第で在る。
然しながら、詮無き古希坂の身と諦めながらも・・・面白くない事、夥(おびただ)しい気分で在った。若い頃、読んだ小説の中にその四文字熟語が在って、見て字の如くで『表意文字・漢字の威力』を目の当たりにして、頭に深くインプットしたのだったのだが、普段使用されない四文字熟語とは、何時しか加齢の淵に漠然とした字体、読みの残滓の燻(くすぶ)りの痕跡を止めながらも、消え去る運命に在るのだろうの結論で『ギブアップ』の態で在った。
明けて本日は起きて、全戸開放をしてのモーニングコーヒー飲みとする。解凍した具沢山のスパゲティソースでスパゲティを茹でての晩飯が、殊の外、美味かったので、残りの半分を朝飯として、飯炊きは夕方にする事にした。
『食いしん坊』にとっては、手作り料理は面白い物で在る。工夫と味付け次第で三流食材が、自分好み味で出来上がって来る処が、手料理の面白さで在る。親しかったT、M氏に言わせると、こんな美味い物を自炊して、自分の好きな事をして居る日々だから、元気で艶々して居る筈だと呆れ顔をされて居た物で在る。
然しながら、時にはとんでもない事に為って、こんな物は人間様の食うに値せず。こんな物を作った者の顔が見たいの酷い結果とも為る。
まぁ、それはそれとして、人間の『学習能力の結果』とも為って、次に繋がる次第でも在り、これ即ち、何事も経験知・経験値の踏ん張りにも通じる処でも在る。食材、手間の無駄遣いも物質的損失も、めげずば経験と云う無形の次なる有形への『転化・展開剤』として有効を齎すもので在る。詰まりは、『失敗の積み重ねが学習』と云う範疇なので在る。
朝飯のスパゲティを食べながら、待てよ、『PC検索』と云う手も在ると閃いて、早速、PCを立ち上げて、フグサイテンの敵と入れて見ると、不俱載天と出て来た。これこれこの字で在る。いやはや、世はPC様々の御威力では無いか。
昨日の10/15高齢者講習&普通講習⇒免許証交付と云い、フグサイテンと云い、10月は私の誕生月と云う『幸運さ』と云うか、墓は在っても生前と同様に、この家で暮らす気配の妖怪様の守護霊振りなのかも知れぬ。
朝食後はこんな事を打って居ると、眩しかった朝日も上に位置して、何時の間にか通勤通学帯も去った朝の静けさと成って居る。
トイレ、歯磨き、洗顔を済ませて、さてさて、本日は何を致そうかで在る。活字読みは一応一冊読み終えた次第で在るから、パスする事にしてボチボチの時間送りで好かろう。
無風快晴のお天気さんで在るから、老眼鏡と劇画本を持って河川敷ベンチに胡坐を掻いての独り日光浴として居ると、工事の休憩時間で、土手で大きな声での話と成って来たもので在る。
こりぁ堪らんの態で、逃げ歩きをして家に帰って来た。仕込んで置いた煮魚二種のタッパを持って来て、廊下で缶ビールを開けて飲む。冷蔵庫で冷えた味の沁み込んだ煮魚の美味さに、ニヤリとほくそ笑んだ次第で在る。
酒飲みで無いから、缶ビール一つを飲めば気持ち好く為って、瞼が重く成って来る。少し横に為って、アルコール分を飛ばして来ると致そう。
昨日のブログでは大袈裟に面白く、天敵女の形容詞に四文字熟語のフグサイテンを思い出し、どんな漢字だったのかと国語辞書を引くが出て来ない。
私の記憶の中では明確で正しい漢字は、漠然としながらも在るのだが、駄目で在る。
フグ、サイテンと2分割して、その部分を丹念に捜しはするが、目的が果たせずに断念した次第で在る。
然しながら、詮無き古希坂の身と諦めながらも・・・面白くない事、夥(おびただ)しい気分で在った。若い頃、読んだ小説の中にその四文字熟語が在って、見て字の如くで『表意文字・漢字の威力』を目の当たりにして、頭に深くインプットしたのだったのだが、普段使用されない四文字熟語とは、何時しか加齢の淵に漠然とした字体、読みの残滓の燻(くすぶ)りの痕跡を止めながらも、消え去る運命に在るのだろうの結論で『ギブアップ』の態で在った。
明けて本日は起きて、全戸開放をしてのモーニングコーヒー飲みとする。解凍した具沢山のスパゲティソースでスパゲティを茹でての晩飯が、殊の外、美味かったので、残りの半分を朝飯として、飯炊きは夕方にする事にした。
『食いしん坊』にとっては、手作り料理は面白い物で在る。工夫と味付け次第で三流食材が、自分好み味で出来上がって来る処が、手料理の面白さで在る。親しかったT、M氏に言わせると、こんな美味い物を自炊して、自分の好きな事をして居る日々だから、元気で艶々して居る筈だと呆れ顔をされて居た物で在る。
然しながら、時にはとんでもない事に為って、こんな物は人間様の食うに値せず。こんな物を作った者の顔が見たいの酷い結果とも為る。
まぁ、それはそれとして、人間の『学習能力の結果』とも為って、次に繋がる次第でも在り、これ即ち、何事も経験知・経験値の踏ん張りにも通じる処でも在る。食材、手間の無駄遣いも物質的損失も、めげずば経験と云う無形の次なる有形への『転化・展開剤』として有効を齎すもので在る。詰まりは、『失敗の積み重ねが学習』と云う範疇なので在る。
朝飯のスパゲティを食べながら、待てよ、『PC検索』と云う手も在ると閃いて、早速、PCを立ち上げて、フグサイテンの敵と入れて見ると、不俱載天と出て来た。これこれこの字で在る。いやはや、世はPC様々の御威力では無いか。
昨日の10/15高齢者講習&普通講習⇒免許証交付と云い、フグサイテンと云い、10月は私の誕生月と云う『幸運さ』と云うか、墓は在っても生前と同様に、この家で暮らす気配の妖怪様の守護霊振りなのかも知れぬ。
朝食後はこんな事を打って居ると、眩しかった朝日も上に位置して、何時の間にか通勤通学帯も去った朝の静けさと成って居る。
トイレ、歯磨き、洗顔を済ませて、さてさて、本日は何を致そうかで在る。活字読みは一応一冊読み終えた次第で在るから、パスする事にしてボチボチの時間送りで好かろう。
無風快晴のお天気さんで在るから、老眼鏡と劇画本を持って河川敷ベンチに胡坐を掻いての独り日光浴として居ると、工事の休憩時間で、土手で大きな声での話と成って来たもので在る。
こりぁ堪らんの態で、逃げ歩きをして家に帰って来た。仕込んで置いた煮魚二種のタッパを持って来て、廊下で缶ビールを開けて飲む。冷蔵庫で冷えた味の沁み込んだ煮魚の美味さに、ニヤリとほくそ笑んだ次第で在る。
酒飲みで無いから、缶ビール一つを飲めば気持ち好く為って、瞼が重く成って来る。少し横に為って、アルコール分を飛ばして来ると致そう。
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