長駄文館・・・本日は、余裕のスタート為り。
- 2020/12/03
- 12:02
本日は、余裕のスタート為り。(12/3/20)
ああ、寒く成ったもんだ。この数日は、起床助走のバッコン腹筋体操をしない事には起きる気に為らない。未だ未だ冬の入り口で在るから、頭だけ出しての蓑虫人間に成る訳にも行かず、困った物で在る。
小部屋入りしてカレンダーを見れば木曜日で在るから、通常ゴミは休みで在る。庭の干し台も片付いた次第で在るから、冬に弱いアザレアの鉢植えを廊下に取り込むと致そう。花期を越したタダ同然の処分価格で、『不憫』と思って3鉢を買って来て、前に庭植えをして失敗した前例に懲りて、冬越しには廊下置きをして3年経過して居る。それが順調に、大きく成って居る次第で在る。
土の在ると云うか、土と共に四季を過ごす生活は、私の性格に合って居るらしい。大量の庭落ち葉をプールして、春先の体力、根性測定の倣いとして重いバケツ運びで、川砂と混ぜての土作りも歳時記化して10数年の経過で在る。
当初は川原同様の石コロだらけの土目が、黒々、ホクホクの度合を増して家庭菜園の遊びにも供して呉れて居る。
明日は妖怪様の月命日で在るが、『植物は手を掛ければ、応えて呉れる』の言葉を成程と実感して居る次第で在る。
家庭菜園とは云うが、そもそもの始まりが放って置けば雑草に占拠されるだけの不始末で在るから、運動、目、気分の保養で、庭手入れを始めたのが、その動機で在る。苺ジャム、梅干し、吊るし柿作りも、妖怪様の代理行動として始めたのが、遣って居る内に自分の仕事と為って行った。そんな妖怪様からの自然なバトンタッチの流れで在った。
ソフトランディングと云う好い言葉が在るが、好いタイミングで介護生活をする羽目に為って、妖怪様の指導の下に男業から主夫業にシフトして行った次第で在る。
妖怪様の言葉を転用すれば、ナマクラ男も手を掛ければ、太鼓腹も凹み、DIYが身に付けばフットワークの相乗効果で『体力・気力の長持ち効果』が出て来るの実感で在る。産んで育てて貰い、古希坂独居暮らしのレールを敷いて呉れた妖怪様の恩と見守りには、感謝の段で在る。アハハ。
倅ファミリー、弟にして見れば、親父の味、お袋の味、知人・友人にして見れば、昔ながらの味の提供者として喜ばれて居る昨今で在る。
健康な肉体に健康な精神宿るでは無いが、此の侭、ピンピンコロリの戯けの寂滅道で行きたい物と考えて居る次第で在る。廊下サッシの陽の反射が眩しく成って来た。東の空には、雲一つない青空の浮かびで在る。
さてさて、炊飯器をONとしてトイレに行って来るか、水も蒸発で大分目減りして来たか、序に補給水をグッピィ達に配って来ると致そう。サバの煮付けは脂が載って居て美味かったから、さぞかし熱々の飯にはマッチするだろう。
ヨッコラセ。身体共にスッキリして居るから、朝飯までの待ち時間を西尾大先生の哲学的国民の歴史の朝受講で前倒しで頁捲りと致そうか。良書は何度通読しても、勉強に為る。
如何やら、本日は余裕のスタートで在る。へへへ。
何しろ、読書耐性の無い男で在るから、Yに月変わりの安否確認電話をするが出無い。為らばと思い、少しの外気吸いで歩き始めて居ると、雲一つない無風のお天道さんで在る。歩き始めは寒かったが、歩いて居る内に体が暖まって来た。
鳥の声に主を探せば、採る人の無い柿の熟しにメジロの啄みで在る。キセキレイの姿は無いが、セグロセキレイの姿で在る。女鳥羽川にセグロセキレイ、中禅寺湖に白セキレイで在る。川原に冬鳥ウォッチングで、前倒し散歩に向かう。
曜日、時間から解放された気の向くまま、足の向くまま散歩は実に気分が好い。ついつい、朝飯前の長歩きをして帰って来た次第で在る。朝飯を食べれば11時で在る。またまた、稚魚達の数が増えて居る。いやはや、気ままな暮らしと云う物で在る。
日差し受けて、睡蓮鉢世界は水草の光合成の小さな気泡の立ち昇りに、表層を泳ぐグッピィ達の動きで在る。人間現役時代を真面目に勤めあげて、柵解放後の余生を愉しむには足るを知っての日課と健康維持が、宝の有効利用と云う事なのだろう。振り返れば、私も好い方向に成長したと云う物で在る。へへへ。
ああ、寒く成ったもんだ。この数日は、起床助走のバッコン腹筋体操をしない事には起きる気に為らない。未だ未だ冬の入り口で在るから、頭だけ出しての蓑虫人間に成る訳にも行かず、困った物で在る。
小部屋入りしてカレンダーを見れば木曜日で在るから、通常ゴミは休みで在る。庭の干し台も片付いた次第で在るから、冬に弱いアザレアの鉢植えを廊下に取り込むと致そう。花期を越したタダ同然の処分価格で、『不憫』と思って3鉢を買って来て、前に庭植えをして失敗した前例に懲りて、冬越しには廊下置きをして3年経過して居る。それが順調に、大きく成って居る次第で在る。
土の在ると云うか、土と共に四季を過ごす生活は、私の性格に合って居るらしい。大量の庭落ち葉をプールして、春先の体力、根性測定の倣いとして重いバケツ運びで、川砂と混ぜての土作りも歳時記化して10数年の経過で在る。
当初は川原同様の石コロだらけの土目が、黒々、ホクホクの度合を増して家庭菜園の遊びにも供して呉れて居る。
明日は妖怪様の月命日で在るが、『植物は手を掛ければ、応えて呉れる』の言葉を成程と実感して居る次第で在る。
家庭菜園とは云うが、そもそもの始まりが放って置けば雑草に占拠されるだけの不始末で在るから、運動、目、気分の保養で、庭手入れを始めたのが、その動機で在る。苺ジャム、梅干し、吊るし柿作りも、妖怪様の代理行動として始めたのが、遣って居る内に自分の仕事と為って行った。そんな妖怪様からの自然なバトンタッチの流れで在った。
ソフトランディングと云う好い言葉が在るが、好いタイミングで介護生活をする羽目に為って、妖怪様の指導の下に男業から主夫業にシフトして行った次第で在る。
妖怪様の言葉を転用すれば、ナマクラ男も手を掛ければ、太鼓腹も凹み、DIYが身に付けばフットワークの相乗効果で『体力・気力の長持ち効果』が出て来るの実感で在る。産んで育てて貰い、古希坂独居暮らしのレールを敷いて呉れた妖怪様の恩と見守りには、感謝の段で在る。アハハ。
倅ファミリー、弟にして見れば、親父の味、お袋の味、知人・友人にして見れば、昔ながらの味の提供者として喜ばれて居る昨今で在る。
健康な肉体に健康な精神宿るでは無いが、此の侭、ピンピンコロリの戯けの寂滅道で行きたい物と考えて居る次第で在る。廊下サッシの陽の反射が眩しく成って来た。東の空には、雲一つない青空の浮かびで在る。
さてさて、炊飯器をONとしてトイレに行って来るか、水も蒸発で大分目減りして来たか、序に補給水をグッピィ達に配って来ると致そう。サバの煮付けは脂が載って居て美味かったから、さぞかし熱々の飯にはマッチするだろう。
ヨッコラセ。身体共にスッキリして居るから、朝飯までの待ち時間を西尾大先生の哲学的国民の歴史の朝受講で前倒しで頁捲りと致そうか。良書は何度通読しても、勉強に為る。
如何やら、本日は余裕のスタートで在る。へへへ。
何しろ、読書耐性の無い男で在るから、Yに月変わりの安否確認電話をするが出無い。為らばと思い、少しの外気吸いで歩き始めて居ると、雲一つない無風のお天道さんで在る。歩き始めは寒かったが、歩いて居る内に体が暖まって来た。
鳥の声に主を探せば、採る人の無い柿の熟しにメジロの啄みで在る。キセキレイの姿は無いが、セグロセキレイの姿で在る。女鳥羽川にセグロセキレイ、中禅寺湖に白セキレイで在る。川原に冬鳥ウォッチングで、前倒し散歩に向かう。
曜日、時間から解放された気の向くまま、足の向くまま散歩は実に気分が好い。ついつい、朝飯前の長歩きをして帰って来た次第で在る。朝飯を食べれば11時で在る。またまた、稚魚達の数が増えて居る。いやはや、気ままな暮らしと云う物で在る。
日差し受けて、睡蓮鉢世界は水草の光合成の小さな気泡の立ち昇りに、表層を泳ぐグッピィ達の動きで在る。人間現役時代を真面目に勤めあげて、柵解放後の余生を愉しむには足るを知っての日課と健康維持が、宝の有効利用と云う事なのだろう。振り返れば、私も好い方向に成長したと云う物で在る。へへへ。
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