長駄文館・・・思い出し笑いに声出すも、
- 2020/12/25
- 14:45
思い出し笑いに声出すも、愉しみの内為り。(12/25/20)
昨日の二度寝仕切り直しで、まぁまぁの挽回が出来ての、午後、夜で在った。明日の忘年会土産の弟に対する米大統領選への徒然の感想文綴り20頁に、戯画を見繕ってハーフサイズで6枚入れて、一綴りとして置く。
何かと社長同士の話の中に米大統領選が話題に為れば、深層の観立ての材料とも為って、箔が付くと云う物で在る。それも、二本線の嗜みとも為る。ギャハハ!!
恒例の『夢奇譚第37部・・・パンデミックス下、慰労会の巻き』も、18頁のメモリー入れも出来たし、世界史備忘録の米国史の項にも、現在に通じるDS絡みの加筆も入った。二度寝の仕切り直し効果は、絶大で在った次第で在る。
調子に乗って夜更かしをしたら、元も子もなく成る。同じ愚は犯したく無い。通常の就寝時間帯では大人しく布団入りをする。映画のシーンなどを思い出して、一人を幸いに声を出して笑い転げて居た次第で在る。
映画には脇役の名演技と云う物が在る。ワンシーン、ワン台詞、ワン表情で、主役を喰って仕舞う記憶に残る俳優さん達が居る。そんな俳優さん達の顔、表情が浮かび、動いて、スムーズに眠りに就けた。
朝、トイレに立つと、外は雨で在った。この時季で在るから、またまた雪に成るのかなと起きる気にも為らず、温い布団の中で頭だけを出した蓑虫親父の朝アイドリングの時間とした。
登場人物は、『特技・声色使い』と目付きで話すTとYのあの時、その時のシーンで在る。
私に向かっては、兎に角、変態とか無類の好色性、歩く性豪、男根・・・etcと『罵詈雑言の限り』を尽くす。私は好事、美人美形に憧れる素直さで、観察・観賞に精出して居るだけの男にも拘わらずで在る。子供数もT、Y同様に男女一人ずつの団塊世代の平均値で在る。従ってフェイク評と云うか、単なる言い掛かりの類でしか無いのだが、人の口に戸を指すのが困難と云うのが、娑婆通例の沙汰なので在る。
被害者の私からすると、二人は相当な色好みの秘めたる性向の持主と断定しても好かろう。其処へ行けば、私なんぞは真に単純明快為る『素直に明るく行きましょうの健気さ』と云う物で在る。
私も小心者ながら、罵詈雑言に対しては名誉に賭けて、野郎共の思い込みに『反論』する次第では在るが、『鏡を見て、胸に手を当てて見ろ。そんな白々しい言い逃れが、俺の前で出来るのか。目撃者の目は、誤魔化せんのじゃい。この穢(けが)れ物めが。それ以上語卓を並べると、精神病棟送りだぞ。腐れ縁だから、偶には顔を出して遣るから、鉄格子の中で反省の日々を送りやがれ。ったく、反省心欠落の見本だぜや。』とケンもホロロに一蹴されて仕舞う。
真に世間は、冷淡にして薄情の極みでしか無いので在る。
然しながら、世間様から誰も相手にして呉れない、『悲哀の海の住人』とも為れば、重ねて来た齢の箇所箇所に刻まれし、積片を振り返り、腹を抱えて笑いを放出するのも、人生の些か為る『褒美』と云う物で在ろう。
「あ~ら、しょ~お、ありがとさんね~。」とTが澄ました顔で、笑って御座る。
さてさて、雨は降らぬ方向で在る。朝飯にして、風呂入り、洗濯をして、在るか否かは分らぬが、チョイと自転車で行って来ると致そうか。
昨日の二度寝仕切り直しで、まぁまぁの挽回が出来ての、午後、夜で在った。明日の忘年会土産の弟に対する米大統領選への徒然の感想文綴り20頁に、戯画を見繕ってハーフサイズで6枚入れて、一綴りとして置く。
何かと社長同士の話の中に米大統領選が話題に為れば、深層の観立ての材料とも為って、箔が付くと云う物で在る。それも、二本線の嗜みとも為る。ギャハハ!!
恒例の『夢奇譚第37部・・・パンデミックス下、慰労会の巻き』も、18頁のメモリー入れも出来たし、世界史備忘録の米国史の項にも、現在に通じるDS絡みの加筆も入った。二度寝の仕切り直し効果は、絶大で在った次第で在る。
調子に乗って夜更かしをしたら、元も子もなく成る。同じ愚は犯したく無い。通常の就寝時間帯では大人しく布団入りをする。映画のシーンなどを思い出して、一人を幸いに声を出して笑い転げて居た次第で在る。
映画には脇役の名演技と云う物が在る。ワンシーン、ワン台詞、ワン表情で、主役を喰って仕舞う記憶に残る俳優さん達が居る。そんな俳優さん達の顔、表情が浮かび、動いて、スムーズに眠りに就けた。
朝、トイレに立つと、外は雨で在った。この時季で在るから、またまた雪に成るのかなと起きる気にも為らず、温い布団の中で頭だけを出した蓑虫親父の朝アイドリングの時間とした。
登場人物は、『特技・声色使い』と目付きで話すTとYのあの時、その時のシーンで在る。
私に向かっては、兎に角、変態とか無類の好色性、歩く性豪、男根・・・etcと『罵詈雑言の限り』を尽くす。私は好事、美人美形に憧れる素直さで、観察・観賞に精出して居るだけの男にも拘わらずで在る。子供数もT、Y同様に男女一人ずつの団塊世代の平均値で在る。従ってフェイク評と云うか、単なる言い掛かりの類でしか無いのだが、人の口に戸を指すのが困難と云うのが、娑婆通例の沙汰なので在る。
被害者の私からすると、二人は相当な色好みの秘めたる性向の持主と断定しても好かろう。其処へ行けば、私なんぞは真に単純明快為る『素直に明るく行きましょうの健気さ』と云う物で在る。
私も小心者ながら、罵詈雑言に対しては名誉に賭けて、野郎共の思い込みに『反論』する次第では在るが、『鏡を見て、胸に手を当てて見ろ。そんな白々しい言い逃れが、俺の前で出来るのか。目撃者の目は、誤魔化せんのじゃい。この穢(けが)れ物めが。それ以上語卓を並べると、精神病棟送りだぞ。腐れ縁だから、偶には顔を出して遣るから、鉄格子の中で反省の日々を送りやがれ。ったく、反省心欠落の見本だぜや。』とケンもホロロに一蹴されて仕舞う。
真に世間は、冷淡にして薄情の極みでしか無いので在る。
然しながら、世間様から誰も相手にして呉れない、『悲哀の海の住人』とも為れば、重ねて来た齢の箇所箇所に刻まれし、積片を振り返り、腹を抱えて笑いを放出するのも、人生の些か為る『褒美』と云う物で在ろう。
「あ~ら、しょ~お、ありがとさんね~。」とTが澄ました顔で、笑って御座る。
さてさて、雨は降らぬ方向で在る。朝飯にして、風呂入り、洗濯をして、在るか否かは分らぬが、チョイと自転車で行って来ると致そうか。
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