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長駄文館・・・これ、昨夜の感想文為り。

                 これ、昨夜の映画感想文為り。(2/5/21)
         何処の国の映画かは不明だが、好い映画を見てネットの御利益を頂戴した。

 ストーリーとしては、貧しい家の兄弟が羊の世話を当てがわれ、未だ幼さ故に川で遊んで居る内に山羊の群れが狼達に襲われ、5~6頭が殺されて仕舞う。その責任で、母親に怒られ、父親は下の未だ5~6歳の弟を金持ちの屋敷に連れて行く。屋敷には残忍そうな牧童頭?が居て、その子は男の手伝いをさせられる。

★一切言葉が解らないので、日本流に解釈して、大事な羊を不注意の遊びの中で失って、子沢山の貧乏夫婦は子減らしの為に、金持ちの家に丁稚奉公の形で子売りをしたと想像した次第で在る。

 牧童の後に付いて、その子の乗る馬には穀物袋が幾つも載せられて在る。山地の農業の出来ない山、山の連なる世界で在る。一軒寄って、再び山を越えて行く。洞穴を住居にする大柄な初老の独り暮らし男の許に、その子は置いて行かれる。不愛想で怖い雰囲気の、その男も羊飼いで在る。

 周囲には誰も住んで居ない山中の羊飼いの生活で在る。怖く淋しい気持ちで新生活に入る次第では在るが、好奇心旺盛な子は、その内に男の罠を仕掛けて鳥、兎などを獲って、山羊の乳を搾って飲む、そんな生活の中で色んな事を学んで行く。

 洞窟の入り口にはフクロウが見張り役をして、内部には何時も火が焚かれて、火の脇には毛布代わりの獣皮が何枚も重ね置きされて居る。新参者の子供は焚火脇の地べたに獣皮を敷いて、上に羽織って寝ると云った生活スタイルで在る。男は白いイタチを飼って居て、兎の穴にイタチを入れると、中の兎が驚いて別の穴から飛び出して来る習性を利用して、穴の上に網を被せて兎を捕まえて食料として居る。山また山の自然環境で在るから、野生界の真っ只中の山羊飼いの生活で在る。時々、例の残忍そうな牧童が穀物を置いて行く。岩場には狼の巣が在って、狼達は群れで山羊を襲って来て食料として居る。

 そんな生活に慣れて、男の横で一緒に寝る様に為り、ペット兼兎獲りの相棒のイタチとも仲良くなり、男から此処での生活のノウハウを学んで居る最中、男は患って仕舞い、子供は全てをしなければ為らなくなる。好奇心旺盛な自然児の子は、空にハゲワシの集まりを見て、必死に帰って来ると、男が血を吐いて倒れている。男は幼い子に何かを言って狼の牙のブローチを形見に与えて、息を引き取る。子は男の身体を埋葬しようと棒きれで懸命に穴を掘るが、ハゲワシ達が男の躯に集まって食べ尽くして仕舞う。

 牧童が洞穴を訪ねて来たが、彼は身を隠して男の様子を窺って居た。後日、牧童は配下の男を連れて来て、山羊を連れ絶やした事の無い洞窟の焚火に小便消火して山を去って行った。

          天涯一人ぼっちに成った、少年未満の、その子の生活が始まった。

 狼の巣で生まれた一匹が、友達に為って居た。或る時、兎をワシに横取りされて追うと、大木に巣が在って、親ワシが2匹のヒナに餌を与えて居る。チクショウ、横取りされて為る物かと、必死でよじ登り巣の兎に手を伸ばした途端に、木が落ちた。大事な右手首を骨折して痛さに悲鳴を上げながらも、男から教わった骨折の手当てを施して洞窟に帰る。洞窟前の岩の上に、肉が置かれて在った。傷が癒えるまで、そんな食料置きが続いた。動ける様になって、片腕での食料調達は成功しない。川で魚獲りをするが逃げられて仕舞う。罠の守備も失敗続きで在る。

 鹿の死肉を集るハゲワシを追い立てて、背に腹は代えられぬと生の死肉に貪りしたら、食中毒を引き起こして、洞窟で吐く始末で在った。その内に、石を叩いて火を起こす事に成功して、少年は自活の生活を進めて行く。イタチを使っての兎獲り、輪っかの罠にも鳥が掛かる様に為って、何時も一緒に居る白イタチと狼との友情も出来て、子供は自然児の少年と為って居た。

 そんな或る時、あの残忍な牧童が配下を連れて、狼撃ちに遣って来た。次から次と仲間の狼達が銃で殺されて行く。瀕死の親友狼を背負って、洞窟で介護する少年の姿で在る。

       何発か浴びた銃傷も漸く癒えて回復した狼との絆は益々強く為った。

 少年は何時しか、半野生化した青年に為って居た。狼は群れのリーダーと為り、フクロウは洞窟の見張り役と為り、肩掛けした筒には白イタチが何時も一緒で在る。

 そんな或る日、あの残忍な牧童が配下と警察隊を引き連れて、山地に何かの犯人を追って来た。暫しの山狩り銃撃戦が行われて、その間に半狼化した青年も捕獲されて、町へ引き立てられて行く。残忍な牧童は、緊急な知らせで、夜道を急ぐ。狼の気配を感じて馬は嘶(いなな)き、前足を挙げてパニック状態と成り、落馬、馬は逃げて終う。銃の無い男はナイフを抜き、見えぬ正体を探そうと身構える。闇の中で狼が牙を剥いて、挙を窺いながら、距離を縮めて来る。定かでは無いが、狼は男の喉元を一撃に嚙み千切った様で、男は絶命した。

 そして、何十年かが過ぎ去って、初老の自然保護官が山地の岩場に立って、上半身裸に為って、山々に狼の遠吠えを木霊させる。男は昔を懐かしむ様に、岩場に仰向けに為って目を瞑る。其処へ何処からとも無く表われた狼が、男とスキンシップ交わして映画は終わる。

 1時45分程度の映画で在ったが、多分、こんな風なストーリーで在った。狼と人間の絆をテーマにした物語で在るが、其れと共に、ヨーロッパに於ける『農奴制』を知る思いで在った。農奴と云う言葉の響きからすると、農業専用の奴隷的従束関係を想像して終う次第で在ったが、放牧関係に於いても農奴同様なシステムが為されて居たのには驚いた。耕作地に縛られる農奴と、山羊の放牧を強いられる『牧奴制』の階層社会が機能して居た訳で在る。

 奴隷制度が無かった日本人の感覚からすると、ストーリー前半の高圧的牧童の非情さと管理=山羊の増産を至上命令として課されて居る牧奴の職務と、その手間賃としての僅かばかりの穀物の配給の冷淡さに気付かされて来る処で在った。

 王の様に君臨する金持ちの見下した事務的態度の下に、隷従をするしか無い世界。その支配者の所有物の山羊の損失は、賠償補填として『子出し』を余儀無くされ、害獣たる『狼駆除』は牧童の職責の第一で在ったと云う事で在る。

 此処まで解って来ると、何故、子供の両親、兄、主人公の弟が、育てた牛馬を競りに、見送る様に或る種の『諦観』に満ちた別れをしたのか、洞窟暮らしの初老の男が、嘗ての自分の姿を見る様に、子供に自然の中で暮らす術を教えて行ったのか、そして自分の形見として狼の牙のネックレスを与えたか、自分の躯は『鳥葬』の意味が、理解出来た次第で在る。土葬、火葬、水葬、鳥葬、風葬と風土と自然観の中から、其々の葬り方が出て来る次第でも在ろう。

 言葉は許より、字幕すら無い1時間45分の映画から知り、教わった内容の濃さは、私には大きかった。日本を除いた世界では、奴隷制の潜在文化圏と云っても好かろう。勿論、物語で在るから、イタチ、狼の寿命には疑問が発生するが、それらは飽くまでも、『枝葉末節事』でしか無い。

 自由の国・米国と云えども今回の世界金融資本のグローバリスト、ディープステート、エスタブリッシュメントの極々少数の階層に巣つくう支配体制のエゲツ無さは、歴史絵巻に繰り返し出現する『富だけ、自分達だけ、我が世の春よ、永遠なれ』の闇体制の象徴事でも在ろうか。土地所有貴族⇒上級聖界者・貴族⇒商業資本貴族⇒産業資本貴族⇒金融貴族⇒世界金融、情報貴族と形態こそ違え、絶対少数支配体制が圧倒的富と情報を操作して居る世界構造で在る。世界一体化構造が、内部圧力に耐えられなくなって来ての、中狂と米国の現状況と鳥瞰する次第で在る。

★明智光秀の最後の茶会の句と云われる『ときは今、雨が下知る 五月かな』では無いが、人類史と疫病の関係は、歴史の転換期に重奏低音の様に流れるのが、疫病との由で在る。
 政治をピープルに取り戻すのトランプ大統領の登場と、中狂発祥のコロナ疫病の事などを考えて仕舞うと、歴史と云うか、人間存在を超えた天の理に想像が行って仕舞う次第で在る。

 武漢ウィルス禍で外国人観光客を乗せた飛行機も殆ど無い昨今では在るが、外国人の目、感覚からすると、『クールジャパン』の感嘆符の連続らしいが、歴史上、奴隷制度を持たなかった縄文人の末裔達の国柄が、不思議の国にして、原初的に共感出来る『親和性』を抱く空気を嗅ぎ付けるのは、当然の印象なのだろう。

 巷では朝から晩まで、新型コロナ禍の報道で在る。ウイルスとの共存が人類の宿命との由。ウィルスとの共存は個々の免疫力と集団免疫を以って、共存して行くしか方途が無いと云うのが実情で在るそうな。仏教用語で云えば、自力本願で行くしか無い。自粛だ、ワクチン接種だと、声高に叫ぼうとも、仕方の無い処でも在る。一時、潔癖症流行りで、電車の吊革にも手を掛けない、消毒、手洗い、ウガイの励行に神経を尖らせた一時期が在った。栄養バランスの良い食事とか、母乳吸引時の雑菌感染とやらで、ミルク育てが奨励されたりで、馬鹿馬鹿しい流行が在った次第で在る。

★馬鹿垂れが、潔癖症で官能の世界・男と女のセックスが楽しめるか、市販の粒餌だけの飼い鳥は栄養バランスの悪さで早死にするのか、
 自然界には昆虫、動物でも単品食の生き物など腐る程、種重ねをして居るんじゃい。単品食ながら、其々に体内分解酵素を発達させて、その酵素作用で栄養素を作り出して普通に繁栄して居るし、病原菌が体内に侵入して来れば、白血球が集団防衛に乗り出して来る体内構造を持って対処して居る次第で在る。
 斯様にして、何事も売らんかなの商業ペースの術中に嵌まって仕舞えば、哀れなりの表層根無し草の群れに陥るだけの結果と為るのが落ちで在る。

 少しは義務教育で学んだ『常識』を働かせて、自力で考察して見るのが、人間と云う物で在ろうに。外面の化粧・ファション・アクセサリーだけで、個性が発揮出来るんかい。冗談扱いちゃ行けませんわね。

      そうそう、『付和雷同』・『烏合の衆』なんて言葉を、思い出した次第で在る。

 日本人よ、西洋、中国被れする事勿れ。日の本の国の歴史、伝統、文化、社会に自信を持つべしで在る。言葉、文化、社会体制、政体に違いが在ろうとも、人間は自然の大地から生まれた生命体で在る。原初の五感を働かせれば、自ずと好いものは好いと感じられる次第で在る。

 いやはや、何処で如何間違えて仕舞ったのか、たいてのこらさ状態で、何時に無く長駄文と相為って仕舞った物で在る。希少の訪問者方には真に申訳の立たない眼精疲労には血が居なかろうが、偶にはこんな切り口で、映画感想文を打って見るのも悪くは無かろう。

    違いまするかな。本日は無風にして、雲一つ無い日本晴れで在りまする。へへへ。


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