長駄文館・・・無風快晴の気持ちの好さ為り。
- 2021/02/19
- 13:53
無風快晴の気持ちの好さ為り。(2/19/21)
いやはや、何日振りかの雲一つない爽快な青空では無いか。ゴミ出しに行けば、アルプスさんの正面は白銀の常念岳の輝きで在る。早速、全戸開放、布団出しで履き掃除をして回る。それにしても、埃の沈澱と云う物には脅かされる次第で在る。飯も炊けて、風呂の追い炊きも入れて置いたから、このまま、朝散歩に向かいたい気には為るが、未だ空気は寒い。暫く全戸開放を続けて、補給水を配って置くと致そう。
昨夜はバート・ランカスターとジィーン・ピータースのお気に入り西部劇アパッチの貼りが在ったので、それを観て居た。私のランカスター・コレクションの一本なので、何回も親しんで居る映画で在る。そんな次第で字幕無しでも、どんな事が話されて居るかは大体把握して居る。主演、脇がしっかりして居ると、演技から思いが伝わって来るで、表情と語気のテンポ、強さで、映画鑑賞が好く出来た。
この映画を最初に観たのは、大学生時代の白黒テレビで在った。その当時、昼の時間帯で名画劇場の様な再映物を流して居た。インディアンを主人公にした映画は珍しかった。
時代はカラー、ビデオ、DVDの時代に成って、私の名画コレクションが始まった次第で在る。それでも中々、アパッチが発売され無くて、待ちに待った一本で在った。私の周りには映画好きが居無くて、夜を徹しての映画共有感をキャチボール出来ないのが、寂しい次第で在る。
映画の主軸はインディアン男女の愛情物語で在る。当然、演技力とアクション力にランカスターの真骨頂が在るから、精悍な顔立ちとテキパキとした運動能力で、戦士マサイ生き方が貫かれた西部劇で在る。
そのマサイに惚れ抜いたのが飲んだくれ裏切り酋長の娘を演じるジィーン・ピータースで在る。単身戦士マサイを追う一途な娘心の献身と女性の男に対する諭しが、男女の愛情物語と為って居る。私も新婚時代のシーンなどを、何回も思い出しながら、頷いて観て居た次第でも在った。
二人とも、キリッとした美男・美女で在る。最後のコーン畑での腹に受けた銃弾を堪えての死闘のクライマックス時、赤ん坊の産声が響いて、隠れ家に入るマサイの姿とコーン畑を騎兵隊が囲んで居る。マサイに温情的な隊長は作戦終結を指令する。
余談では在るが騎兵隊斥候役で、チャールズ・ブロンソンが出演して居る。ゲイリー・クーパー&バート・ランカスターの『ベラクルス』でも、ブロンソンが出演して居る。ビックスターの登角時の映画に遭遇する事も、映画鑑賞の楽しさの一つでも在る。
久し振りに秀作を観ての就寝で在った。そんな次第で今朝の夢見は、中学時代、高校時代、大学時代、社会人時代の愉しい面々が、集った拡大同級会の構成だった。こんな現実離れした拡大同級会は夢で無ければ出て来ない代物で在る。夢の出所、反芻をしながら、何で外人が出て来ないのか?と、不思議な思いがする次第で在る。
さてさて、飯にして入浴でスッキリした処で、ブラブラ散歩をして来てから、午後の部を始めると致しましょうかね。
春めいて来ると、河川敷にはツグミの姿が散見されて来る。彼等にはどんな習性が在るのか、殆ど姿を見せないのが春めいて来ると河川敷に集まって来て、彼等の北帰行時には河川敷の主と成る。多分餌の関係なのだろうと思われる。川面の反射熱の暖かさに、下に足を伸ばして居ると、川面に寸胴短躯の重い飛びを見る。逆光では在るが、そのシルエットはカワガラスの物で在る。こんな下にまでカワガラスが来て居ようとは思わなかった。立ち止まって行方を追って居ると、光を受けてのコバルト・ブルーの体色は、カワセミで在る。いや~、本当に久し振りの遭遇で在る。
夢と云い、カワセミとの遭遇と云い、バート・ランカスターの御利益で在る。気持ちの好い散歩をして来て、家に入るのは未だ勿体無いので、河川敷ベンチに仰向けに為って、足腰重視のバッコン体操を軽くしての家入りとした。橋の下の日陰には氷が残るも、無風快晴の盆地の周囲は春霞のうらうらした気持ち好さで在る。
摂取と消費のバランスを考えれば、古希坂親父の昼は、金時豆と茹で卵で好かろう。
いやはや、何日振りかの雲一つない爽快な青空では無いか。ゴミ出しに行けば、アルプスさんの正面は白銀の常念岳の輝きで在る。早速、全戸開放、布団出しで履き掃除をして回る。それにしても、埃の沈澱と云う物には脅かされる次第で在る。飯も炊けて、風呂の追い炊きも入れて置いたから、このまま、朝散歩に向かいたい気には為るが、未だ空気は寒い。暫く全戸開放を続けて、補給水を配って置くと致そう。
昨夜はバート・ランカスターとジィーン・ピータースのお気に入り西部劇アパッチの貼りが在ったので、それを観て居た。私のランカスター・コレクションの一本なので、何回も親しんで居る映画で在る。そんな次第で字幕無しでも、どんな事が話されて居るかは大体把握して居る。主演、脇がしっかりして居ると、演技から思いが伝わって来るで、表情と語気のテンポ、強さで、映画鑑賞が好く出来た。
この映画を最初に観たのは、大学生時代の白黒テレビで在った。その当時、昼の時間帯で名画劇場の様な再映物を流して居た。インディアンを主人公にした映画は珍しかった。
時代はカラー、ビデオ、DVDの時代に成って、私の名画コレクションが始まった次第で在る。それでも中々、アパッチが発売され無くて、待ちに待った一本で在った。私の周りには映画好きが居無くて、夜を徹しての映画共有感をキャチボール出来ないのが、寂しい次第で在る。
映画の主軸はインディアン男女の愛情物語で在る。当然、演技力とアクション力にランカスターの真骨頂が在るから、精悍な顔立ちとテキパキとした運動能力で、戦士マサイ生き方が貫かれた西部劇で在る。
そのマサイに惚れ抜いたのが飲んだくれ裏切り酋長の娘を演じるジィーン・ピータースで在る。単身戦士マサイを追う一途な娘心の献身と女性の男に対する諭しが、男女の愛情物語と為って居る。私も新婚時代のシーンなどを、何回も思い出しながら、頷いて観て居た次第でも在った。
二人とも、キリッとした美男・美女で在る。最後のコーン畑での腹に受けた銃弾を堪えての死闘のクライマックス時、赤ん坊の産声が響いて、隠れ家に入るマサイの姿とコーン畑を騎兵隊が囲んで居る。マサイに温情的な隊長は作戦終結を指令する。
余談では在るが騎兵隊斥候役で、チャールズ・ブロンソンが出演して居る。ゲイリー・クーパー&バート・ランカスターの『ベラクルス』でも、ブロンソンが出演して居る。ビックスターの登角時の映画に遭遇する事も、映画鑑賞の楽しさの一つでも在る。
久し振りに秀作を観ての就寝で在った。そんな次第で今朝の夢見は、中学時代、高校時代、大学時代、社会人時代の愉しい面々が、集った拡大同級会の構成だった。こんな現実離れした拡大同級会は夢で無ければ出て来ない代物で在る。夢の出所、反芻をしながら、何で外人が出て来ないのか?と、不思議な思いがする次第で在る。
さてさて、飯にして入浴でスッキリした処で、ブラブラ散歩をして来てから、午後の部を始めると致しましょうかね。
春めいて来ると、河川敷にはツグミの姿が散見されて来る。彼等にはどんな習性が在るのか、殆ど姿を見せないのが春めいて来ると河川敷に集まって来て、彼等の北帰行時には河川敷の主と成る。多分餌の関係なのだろうと思われる。川面の反射熱の暖かさに、下に足を伸ばして居ると、川面に寸胴短躯の重い飛びを見る。逆光では在るが、そのシルエットはカワガラスの物で在る。こんな下にまでカワガラスが来て居ようとは思わなかった。立ち止まって行方を追って居ると、光を受けてのコバルト・ブルーの体色は、カワセミで在る。いや~、本当に久し振りの遭遇で在る。
夢と云い、カワセミとの遭遇と云い、バート・ランカスターの御利益で在る。気持ちの好い散歩をして来て、家に入るのは未だ勿体無いので、河川敷ベンチに仰向けに為って、足腰重視のバッコン体操を軽くしての家入りとした。橋の下の日陰には氷が残るも、無風快晴の盆地の周囲は春霞のうらうらした気持ち好さで在る。
摂取と消費のバランスを考えれば、古希坂親父の昼は、金時豆と茹で卵で好かろう。
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