長駄文館・・・期待薄の進み為り。
- 2021/02/27
- 15:22
期待出来そうな朝では在ったが。(2/27/21)
昨日はお天道さん不在の冬日の寒さで在ったが、本日は僅かに雲の破片が在るだけの快晴のお天道さんの輝きで在る。如何やら、昨日の分まで期待出来そうな朝で在る。時節柄、目の痒みと鼻水では在るが、小部屋に差し込む陽の光が、気持ちが好い次第で在る。
今朝は珍しい人の夢を見て、おやおやの感じでノホホンの気分で在った。庭の芽吹きもこれで、縮み込んで居た蓑虫の顔出しから脱して、お天道さんにリラックスも出来様と云う物で在る。
さてさて、私は早目の飯として身体伸ばしをすると致そうか。何は無くとも、お天道さんの輝きで在る。
それが妙に成って、白い小虫と思いきや、そうでは無く白い物の浮遊事で在る。そうこうして居る内に薄らとした白雲の広がりと成って来て、気温低下の段と成って来た。
いやはや、これで期待値は一気の下向では無いか。然しながら本日土曜日で在るから、ラジオに切り替える。昨日と比べると、手が冷たくないだけ良天と云う物なのだろう。
昨日は災難続きで顔を出せないYの愚痴話に、付き合わされての長電話で在った。二度在る事は三度有るで、稲掛けのぎっくり腰に始まって、難聴、眼精疲労、コロナ禁足令、腱損傷、足の引き攣りと散々な月日を送って居るとの由。
普通は三度目の正直で、潮目が変わるのが人生行路の筈なのだが、失敗が次の吉を生まない処が、YのYたる所以なのだろう。私の爪の垢の煎じ薬を飲まして遣るのが、せめてもの『人の道』かも知れぬ。自力本願と他力本願の生き方の違いの乖離をマザマザと知らされた次第で在る。ギャハハ。
★以下は昨夜の就寝前の一文で在る。
Yの電話では、暖かく成って来たので梅の剪定などの軽作業を2日程したら、災難続きで今度は足が痛くて上がらなく成って通院中との由。ギックリ腰、腱の損傷などで、医者の言を守って安静中に3kgの体重増で、そろそろ春の始動と動いたら、このざまで情け無し、不甲斐無さとの由で在る。痛み止めの薬効果で、漸く車の運転が出来る様に為ったと云うから、驚きで在る。
いやはや、何をや云わんかで在る。何でもかんでも、医者に頼るから、『虚弱体質』に陥るんじゃ無いかと云うより他ない。人間スポーツをして居たり、仕事をして居れば怪我とは無関係では居れない。
怪我、痛い処が在っても、我慢して騙し騙しに身体と付き合って行く『鍛えタイプ』の私とは、別次元のタイプらしい。怪我、古傷、病気をすれば、経験知として身体の限度がそれなりに分かって来て、無理を防止しようとの思いが働くのが、人間の持つ『学習効果』と云う物で在ろうに。
痛いのは誰も替わっては呉れないし、心身のハンディキャプを負えば、生活、仕事に支障が出てノルマ達成が出来なく為って仕舞い、損をするの自分自身で在ろうに。こんな『単純明快な因果関係の整理』が出来ないのは、『愚の骨頂』とアドバイスをして置いた次第で在る。
禅寺で座禅を組むより、コナン・ドイルのシャーロックホームズの小説、ドラマ、映画を読んだり、観たりする方が、容易に『費用対効果の実効性』が確保されると思う次第で在る。
いやはや、Yの話を聞いて居ると、論語、漢詩、座禅以前に、『己が意識革命」をする必要が在る。私は『戯け』では在るが、内面は慎重タイプの学習効果を積み重ねて居るタイプで在る。へへへ。
まぁ、電話の冒頭でこんな話はRにしか言えないと云って居たから、一応は、自分の身から出た『体たらくの自覚』は持って居るらしい。
近い内に顔を出すとの由で在るから、Yの『頓珍漢人生』を篤と拝聴する事に居たそう。
それにしても、今夜は久し振りに津々と冷える。9時を回って湯たんぽ2つを入れて在る寝床では在るが、布団の中での蓑虫を決め込むには、些か早過ぎる次第で在る。
気分転換に庭に出ると、寒い事夥しく、遺憾いかんのコタツ戻りで落語を聴く次第で在る。無理をしないのが古希坂を過ぎた常識人の生活で在る。へへへ。
昨日はお天道さん不在の冬日の寒さで在ったが、本日は僅かに雲の破片が在るだけの快晴のお天道さんの輝きで在る。如何やら、昨日の分まで期待出来そうな朝で在る。時節柄、目の痒みと鼻水では在るが、小部屋に差し込む陽の光が、気持ちが好い次第で在る。
今朝は珍しい人の夢を見て、おやおやの感じでノホホンの気分で在った。庭の芽吹きもこれで、縮み込んで居た蓑虫の顔出しから脱して、お天道さんにリラックスも出来様と云う物で在る。
さてさて、私は早目の飯として身体伸ばしをすると致そうか。何は無くとも、お天道さんの輝きで在る。
それが妙に成って、白い小虫と思いきや、そうでは無く白い物の浮遊事で在る。そうこうして居る内に薄らとした白雲の広がりと成って来て、気温低下の段と成って来た。
いやはや、これで期待値は一気の下向では無いか。然しながら本日土曜日で在るから、ラジオに切り替える。昨日と比べると、手が冷たくないだけ良天と云う物なのだろう。
昨日は災難続きで顔を出せないYの愚痴話に、付き合わされての長電話で在った。二度在る事は三度有るで、稲掛けのぎっくり腰に始まって、難聴、眼精疲労、コロナ禁足令、腱損傷、足の引き攣りと散々な月日を送って居るとの由。
普通は三度目の正直で、潮目が変わるのが人生行路の筈なのだが、失敗が次の吉を生まない処が、YのYたる所以なのだろう。私の爪の垢の煎じ薬を飲まして遣るのが、せめてもの『人の道』かも知れぬ。自力本願と他力本願の生き方の違いの乖離をマザマザと知らされた次第で在る。ギャハハ。
★以下は昨夜の就寝前の一文で在る。
Yの電話では、暖かく成って来たので梅の剪定などの軽作業を2日程したら、災難続きで今度は足が痛くて上がらなく成って通院中との由。ギックリ腰、腱の損傷などで、医者の言を守って安静中に3kgの体重増で、そろそろ春の始動と動いたら、このざまで情け無し、不甲斐無さとの由で在る。痛み止めの薬効果で、漸く車の運転が出来る様に為ったと云うから、驚きで在る。
いやはや、何をや云わんかで在る。何でもかんでも、医者に頼るから、『虚弱体質』に陥るんじゃ無いかと云うより他ない。人間スポーツをして居たり、仕事をして居れば怪我とは無関係では居れない。
怪我、痛い処が在っても、我慢して騙し騙しに身体と付き合って行く『鍛えタイプ』の私とは、別次元のタイプらしい。怪我、古傷、病気をすれば、経験知として身体の限度がそれなりに分かって来て、無理を防止しようとの思いが働くのが、人間の持つ『学習効果』と云う物で在ろうに。
痛いのは誰も替わっては呉れないし、心身のハンディキャプを負えば、生活、仕事に支障が出てノルマ達成が出来なく為って仕舞い、損をするの自分自身で在ろうに。こんな『単純明快な因果関係の整理』が出来ないのは、『愚の骨頂』とアドバイスをして置いた次第で在る。
禅寺で座禅を組むより、コナン・ドイルのシャーロックホームズの小説、ドラマ、映画を読んだり、観たりする方が、容易に『費用対効果の実効性』が確保されると思う次第で在る。
いやはや、Yの話を聞いて居ると、論語、漢詩、座禅以前に、『己が意識革命」をする必要が在る。私は『戯け』では在るが、内面は慎重タイプの学習効果を積み重ねて居るタイプで在る。へへへ。
まぁ、電話の冒頭でこんな話はRにしか言えないと云って居たから、一応は、自分の身から出た『体たらくの自覚』は持って居るらしい。
近い内に顔を出すとの由で在るから、Yの『頓珍漢人生』を篤と拝聴する事に居たそう。
それにしても、今夜は久し振りに津々と冷える。9時を回って湯たんぽ2つを入れて在る寝床では在るが、布団の中での蓑虫を決め込むには、些か早過ぎる次第で在る。
気分転換に庭に出ると、寒い事夥しく、遺憾いかんのコタツ戻りで落語を聴く次第で在る。無理をしないのが古希坂を過ぎた常識人の生活で在る。へへへ。
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