長駄文館・・・犬にも輝ける時も在るそうな。
- 2021/03/04
- 13:06
ドック・ハズ・ヒイズデイズと云うそう為り。(3/4/21)
5時を回ったか。悪くは無い。昨日の丑三つ時より好い。トイレに行って起床とする。半纏を上に着込んで小部屋入りして、コタツをONとして、先ずはコーヒーの一杯とする。
昨日は雛祭り、雛祭りの連呼で在ったから、偶にはエンジンを掛けるかで美鈴湖までドライブする心算が工事で通行止めで、途中での中信平を眺望しただけで、個人スーパーで買い物を済ませて帰って来た。そんな次第で、収りが悪く散歩をして来て、家の回りの大きく成ったら事の雑草を草掻きで根ごと退治をして居ると、同班の奥さんが手を振って大きな事で元気だった~の声掛けで在るから、辛うじて生きて居たわねと返事をした次第で在る。一応、男寡の独り暮らしで在るから、ご近所さんは安否確認をして下さる次第で在る。
何かと気を掛けて頂いて居るので、元気な内は独り暮らしも然程悪くは無いのかも知れない。へへへ。
それをチョコチョコとして、蕾を膨らませた梅の木を見れば、シロハラが一羽止まって居るでは無いか。今冬は姿を見なかったので、暖冬で里に下りて来なかったのかなと思って居たのだが、姿を見ると何と無くホッとする物で在る。庭を回れば、日当たりの好い地面には芍薬の紅芽がポツンポツンと顔を出して居るでは無いか。これも嬉しい発見で在る。ボタン⇒芍薬の花順で在るからして、枝に紅芽を出した牡丹に、地表に顔を出した芍薬で在る。成程、弥生三月雛祭りの感がした次第で在った。
廊下鳥も朝告げの声を発して居る。妖怪様の月命日で在るから、仏壇に供え物をして、灯明、線香、チィ~ンの南無阿弥陀仏のご挨拶をして来ると致そう。
毎日が日曜日の古希坂住人の進みで、すっかり鈍感に堕した生活ながら、知らず知らずの内に季節は巡って行く物で在る。
仏間から漂って来る線香佑の匂いに、中学時、英語の授業でドック・ハズ・ヒィズデイズ何てフレーズが在った事を思い出した。犬にも犬の好い時代が在る⇒誰にも好い時だが在ると訳するそうで在ったが、私も人間の端くれで在るから、其れなりの輝いて居た時代が在ったのだろうかと『自問自答』して見る次第で在る。
毛無し、女無し、金無し、止めが甲斐性無しの人畜無害の古希坂住人の現在が、一番の好い時と、自分を慰めて居る次第なのだが、他人の家の芝生よりも、足るを知るの自然体の方が、内部の不協和音に煩わされずに、居心地が好いので在るから、得な性格と云う物で在ろうか。
何事も比較願望・欲求が強過ぎると、煩悩に苛まれると云うのが仏法の訓えとの由。方法論の解脱過程は心身ともに叶わぬ次第では在るが、現世凡夫の道は、『総べからず、物は考え様一つで、明るくも為れば暗くも為る。』の匹夫、鬼門に近寄らずで他との距離間の保持とすべき処なのだろう。へへへ。
本日は高い所の雲の棚引きで在る。山端にお天道さんの日の出の眩しさと成って来た。睡蓮鉢からは湯気の立ち昇りで在る。さてさて、本日はどんな日の進みと為る物やら。終わって見なければ分らない次第で在る。さて、朝飯と致しまする。
気温の上昇と共に、全戸開放、布団干し、掃き掃除とし、小童子が来たら庭バーベキューの薪ストックに枝切りを始めたが、切れない手鋸で在る。家の中にいたのでは罰が当たる暖かさで在るから、ヤスリで刃立ての練習とする。切れ味だけを確かめて、ボチボチ切って行けば好かろう。少しはする事を残して置くのが、暇人の知恵と云う物で在る。一応、動き序で在るから、例年のキュウリ、トマトスペースの落ち葉被せと地均しをして置く。
春に向かって、大方が片付いて来た次第で、すっきりとして来た物で在る。廊下でお茶と煙草の一服を燻らせる。明日は再び気温低下との由で在るから、暖かい内は廊下タイムで時間を過ごせば好い。
5時を回ったか。悪くは無い。昨日の丑三つ時より好い。トイレに行って起床とする。半纏を上に着込んで小部屋入りして、コタツをONとして、先ずはコーヒーの一杯とする。
昨日は雛祭り、雛祭りの連呼で在ったから、偶にはエンジンを掛けるかで美鈴湖までドライブする心算が工事で通行止めで、途中での中信平を眺望しただけで、個人スーパーで買い物を済ませて帰って来た。そんな次第で、収りが悪く散歩をして来て、家の回りの大きく成ったら事の雑草を草掻きで根ごと退治をして居ると、同班の奥さんが手を振って大きな事で元気だった~の声掛けで在るから、辛うじて生きて居たわねと返事をした次第で在る。一応、男寡の独り暮らしで在るから、ご近所さんは安否確認をして下さる次第で在る。
何かと気を掛けて頂いて居るので、元気な内は独り暮らしも然程悪くは無いのかも知れない。へへへ。
それをチョコチョコとして、蕾を膨らませた梅の木を見れば、シロハラが一羽止まって居るでは無いか。今冬は姿を見なかったので、暖冬で里に下りて来なかったのかなと思って居たのだが、姿を見ると何と無くホッとする物で在る。庭を回れば、日当たりの好い地面には芍薬の紅芽がポツンポツンと顔を出して居るでは無いか。これも嬉しい発見で在る。ボタン⇒芍薬の花順で在るからして、枝に紅芽を出した牡丹に、地表に顔を出した芍薬で在る。成程、弥生三月雛祭りの感がした次第で在った。
廊下鳥も朝告げの声を発して居る。妖怪様の月命日で在るから、仏壇に供え物をして、灯明、線香、チィ~ンの南無阿弥陀仏のご挨拶をして来ると致そう。
毎日が日曜日の古希坂住人の進みで、すっかり鈍感に堕した生活ながら、知らず知らずの内に季節は巡って行く物で在る。
仏間から漂って来る線香佑の匂いに、中学時、英語の授業でドック・ハズ・ヒィズデイズ何てフレーズが在った事を思い出した。犬にも犬の好い時代が在る⇒誰にも好い時だが在ると訳するそうで在ったが、私も人間の端くれで在るから、其れなりの輝いて居た時代が在ったのだろうかと『自問自答』して見る次第で在る。
毛無し、女無し、金無し、止めが甲斐性無しの人畜無害の古希坂住人の現在が、一番の好い時と、自分を慰めて居る次第なのだが、他人の家の芝生よりも、足るを知るの自然体の方が、内部の不協和音に煩わされずに、居心地が好いので在るから、得な性格と云う物で在ろうか。
何事も比較願望・欲求が強過ぎると、煩悩に苛まれると云うのが仏法の訓えとの由。方法論の解脱過程は心身ともに叶わぬ次第では在るが、現世凡夫の道は、『総べからず、物は考え様一つで、明るくも為れば暗くも為る。』の匹夫、鬼門に近寄らずで他との距離間の保持とすべき処なのだろう。へへへ。
本日は高い所の雲の棚引きで在る。山端にお天道さんの日の出の眩しさと成って来た。睡蓮鉢からは湯気の立ち昇りで在る。さてさて、本日はどんな日の進みと為る物やら。終わって見なければ分らない次第で在る。さて、朝飯と致しまする。
気温の上昇と共に、全戸開放、布団干し、掃き掃除とし、小童子が来たら庭バーベキューの薪ストックに枝切りを始めたが、切れない手鋸で在る。家の中にいたのでは罰が当たる暖かさで在るから、ヤスリで刃立ての練習とする。切れ味だけを確かめて、ボチボチ切って行けば好かろう。少しはする事を残して置くのが、暇人の知恵と云う物で在る。一応、動き序で在るから、例年のキュウリ、トマトスペースの落ち葉被せと地均しをして置く。
春に向かって、大方が片付いて来た次第で、すっきりとして来た物で在る。廊下でお茶と煙草の一服を燻らせる。明日は再び気温低下との由で在るから、暖かい内は廊下タイムで時間を過ごせば好い。
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