長駄文館・・・晴れ間の広がりに・・・。
- 2021/03/09
- 13:10
晴れ間の広がりに、何をすると致そうか為り。(3/9/21)
9時を回って少し薄日が差して来たが、些か寒い。寒いより暖かい方が好いから、それを期待したい物で在る。ブロンソンさんは日本史が得意で在るから、世界史と日本史のキャッチボールも出来るから話しが拡がる次第でも在るし、美大出で在るから私の戯画に就いても、色々感想を云って呉れるから、それがまた話しが弾む次第で在る。
私のブログは安否確認の態で、倅夫婦が読んで呉れて居る。嫁さんに聞くと、話のレベルが合うから、月に一度の集金訪問を楽しみにして居る様子が好く伝わって来るとの由で在る。お互い、無くては為らない関係なんだわの感想で在る。ブロンソンさんも漸く歳のお陰で、家業を楽しみながら出来る様に為ったとの事で、お互い歳で在るから、何時まで元気で居られるかで、生活を楽しむ中で生きて行かねば損だとの事。
パン屋を営む中学の女同級生の言では無いが、『Rちゃん、折角、此処まで生きて来たんだから、死んだら損だよ。長生きをして楽しまなきぁ勿体無いからね。』とか、Tの言では、『退職後こそが、第2の人生だ。一生で一番好いステージのスタートなんだから、何事も選択権は自分に在る。仕事絡みの付き合いは、さっぱり整理してさ。自由に遣ってさ。愉しむのが一番さ。』
真にそう思う古希坂住人の日々で在る。変な話では在るが、物臭者の私には独り暮らしが、好い方向に展開して居る。親分無しの子分無しのDIYで遣って行かねば為らないから、それなりの規則正しい生活をして行かないと、事は収まら無く為って来るから動かざるを得ない結果と為る。それが好い意味でのフットワークの好さが身に着いて来て居る。
人間とは習慣性の動物で在るから、一定の生活習慣のリズムさえ付ければ、後は考えずに『習慣惰性』に乗って行けば、事は進むだけの事で在る。
人間、栓無き事を考える事は、エネルギーの浪費で在る。習慣とは自分に合った物への適合でも在ろうから、『水は高きより、低きを求めて流れる』で、自然と馴染んで行く流れなのだろう。『好きこそ、物の上手為れ』『好きこそ、長続きの元』に在る通りで、無理は止そうぜ、身体に悪いも、真実事なので在るから、馴染む事に依る違和感の無さが、習慣行動にマッチィングして居ると云う事なのだろう。
『蓼喰う虫も、好き好き』、『捨てる神在れば、拾う神在り』で、これまた、生物の多様性と云うのが、現実娑婆の倣いなので在るから、それも好しで在る。
さてさて、中国製ラジカセのテープは不作動ながら、好い具合に晴れ間の広がりと成って来た。朝飯後は風呂で血流を好くして、庭掃きでもして見ると致そうか。
浴後はバケツに枝切り木端を拾い集めて、焚き火処分とする。黙々と立ち昇る煙幕から火が赤い舌を見せるや、メラメラ、パチパチと火勢が立ち上がる。火付けは歳を取っても止められない人類故郷の『郷愁』でも在る。小さな焚き火処分で在るから、火盗改の出張(でばり)も無い次第で在る。
さてさて、洗濯物を干して、午後の部に移行させて、別本を読み終えて置くと致そうか。
9時を回って少し薄日が差して来たが、些か寒い。寒いより暖かい方が好いから、それを期待したい物で在る。ブロンソンさんは日本史が得意で在るから、世界史と日本史のキャッチボールも出来るから話しが拡がる次第でも在るし、美大出で在るから私の戯画に就いても、色々感想を云って呉れるから、それがまた話しが弾む次第で在る。
私のブログは安否確認の態で、倅夫婦が読んで呉れて居る。嫁さんに聞くと、話のレベルが合うから、月に一度の集金訪問を楽しみにして居る様子が好く伝わって来るとの由で在る。お互い、無くては為らない関係なんだわの感想で在る。ブロンソンさんも漸く歳のお陰で、家業を楽しみながら出来る様に為ったとの事で、お互い歳で在るから、何時まで元気で居られるかで、生活を楽しむ中で生きて行かねば損だとの事。
パン屋を営む中学の女同級生の言では無いが、『Rちゃん、折角、此処まで生きて来たんだから、死んだら損だよ。長生きをして楽しまなきぁ勿体無いからね。』とか、Tの言では、『退職後こそが、第2の人生だ。一生で一番好いステージのスタートなんだから、何事も選択権は自分に在る。仕事絡みの付き合いは、さっぱり整理してさ。自由に遣ってさ。愉しむのが一番さ。』
真にそう思う古希坂住人の日々で在る。変な話では在るが、物臭者の私には独り暮らしが、好い方向に展開して居る。親分無しの子分無しのDIYで遣って行かねば為らないから、それなりの規則正しい生活をして行かないと、事は収まら無く為って来るから動かざるを得ない結果と為る。それが好い意味でのフットワークの好さが身に着いて来て居る。
人間とは習慣性の動物で在るから、一定の生活習慣のリズムさえ付ければ、後は考えずに『習慣惰性』に乗って行けば、事は進むだけの事で在る。
人間、栓無き事を考える事は、エネルギーの浪費で在る。習慣とは自分に合った物への適合でも在ろうから、『水は高きより、低きを求めて流れる』で、自然と馴染んで行く流れなのだろう。『好きこそ、物の上手為れ』『好きこそ、長続きの元』に在る通りで、無理は止そうぜ、身体に悪いも、真実事なので在るから、馴染む事に依る違和感の無さが、習慣行動にマッチィングして居ると云う事なのだろう。
『蓼喰う虫も、好き好き』、『捨てる神在れば、拾う神在り』で、これまた、生物の多様性と云うのが、現実娑婆の倣いなので在るから、それも好しで在る。
さてさて、中国製ラジカセのテープは不作動ながら、好い具合に晴れ間の広がりと成って来た。朝飯後は風呂で血流を好くして、庭掃きでもして見ると致そうか。
浴後はバケツに枝切り木端を拾い集めて、焚き火処分とする。黙々と立ち昇る煙幕から火が赤い舌を見せるや、メラメラ、パチパチと火勢が立ち上がる。火付けは歳を取っても止められない人類故郷の『郷愁』でも在る。小さな焚き火処分で在るから、火盗改の出張(でばり)も無い次第で在る。
さてさて、洗濯物を干して、午後の部に移行させて、別本を読み終えて置くと致そうか。
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