長駄文館・・・膨満感一掃の朝為り。
- 2021/04/03
- 11:38
膨満感一掃の朝為り。(4/3/21)
好く寝た物で在る。もう、布団の中に居るのが嫌に為って仕舞った。未だ真っ暗闇で在るが起きると致そうで、明かりを付ければ4時前で在る。
行く春で暖かく成ると、尚更の事で在る。コーヒーを入れて、小部屋定位置に入る。4時のニュースを聴いて、台所の洗い物をして来る。
昨日は焼き肉の鱈腹食いと缶ビールの昼酔いで、暫しの居眠りで在った。アルコール分も抜けて、晩飯の入る余地も無い次第で在ったから、矮性のユリの芽出しの気配もして来たので、腹こなしの意味でちょいと暗く成る前に小砂利混じりの砂採りをして来て、篩(ふるい)掛けをして見た。
悪い癖で遣り始めると、納得するまでしないと気が済まない性質で在るが、時間の都合上、息抜きタイムのお遊びとして、本日に回す事にした。
長い夜の部は、時代劇動画の貼り付けを見て居ると、美人さんの若村麻由美さんの顔が在ったので、『日本美人さん鑑賞』で観た後は、田中英道先生の長丁場の日本の古代史の連続講義が在ったので、受講する事にしたが、コマーシャルの連続で往生した。
コマーシャルスキップを出来るのが、ネット動画の便利な処なのだが、前半のコマーシャルの執拗さに内容が細切れ化されて、内容の歩留まりが低減して仕舞う『忌々しさ』を如何する事も出来ずに、調子の出て来た後半の半分は、眠って仕舞った次第で在る。
前日の詳説世界史研究の改訂版を読んで居ると、臍曲がりの私は戦後自虐史観の左捲き学者の記述の難所を辟易として通過した処で在った。それで、田中先生の国史史観を受講して、『気分直し』をする心算で在ったのだが、それがコマーシャルの多さにうんざりして、中途半端で終わって仕舞った帰来で在った。
長丁場の通読過程では、頭が好いと云うか、西洋被れ、中国被れと云うか・・・自論を押し通す為の日本史矮小のテクニックには、『冷淡無視』をせざるを得ない後味の悪い箇所が何か所か在る。
改訂版には巻末に、章毎の参考文献としての書籍紹介の頁が収録されて在る。執筆者の肩書、その参考文献などを頭の片隅に置いて、『東大学派』の想像などもして居る。
所謂、『自虐史観在りき』の記述部分は、時系列を歪曲させての持論構成部分が度を越して居る厭らしさを醸し出して居るので在る。
★おいおい、学者先生達よ、そんな処に頭の好さを発揮して、如何するんじゃい。幾ら世界史の中の日本記述で在っても、歴史相関図は時系列を追って解説して呉れなければ、歴史の客観視、公正さは構成されまいに。俺ぁ、馬鹿だけど、馬鹿なりきに真面目気質で在るから、偏っちゃ駄目だと思って、解らないながらも、それなりのアンテナを張って為るべく中道・真っ当知識を得ようと努力して居るんだけどね。
知って居る人間が知らない人間に対して、その無知・不知に付け込んで言葉・論理を弄して、恰も自論に都合好く誘導・刷り込む手法は、ナンジャラホイの態で在る。真に腹立たしい程の難所越えなので在る。
このザマを称して、四文字熟語だと『曲学阿世』、下世話な言葉だと詐欺師(さわし)と云うのだろうが、人間、何が哀しいかと云えば、ズル賢い連中に、自分の無知不知に付け込まれて、根無し草の表層漂いに誘導されて仕舞うのが、真に怖いのが世の中と云う物で在る。
『一書悉く信ずるは、書無きが如し』で在るから、無知不知人間としては、少なからずの自分軸を持とうとする為らば、『男も色々、女も色々、咲き乱れる』のでは無いが、時間の掛かる回り道、手痛い授業料払わされて行かないと経験の動物としては、道を誤って仕舞うのが、哀しい定めと云う物なので在る。『頭高体低』の様は、私の様な体育会系の体質には馴染まない部分が多と為る。とほほにして、コンニャロメの段で在る。
5時を回ると、白んで来る物で在る。便意を催して踏ん張って来ると、いやはやニラ浸しパワーか、はたまた慣れぬ肉喰いが度を越したのか???。Yを連れて来て確認させたい程の『膨満感一掃の快便の沙汰』で在る。独り暮らしを幸いに、小踊りの声で在る。そして、単細胞と云うか、ゲンキンと云うか、小腹の空きを覚えた。
ラジオによると、明日は雨との由。左様で在るか。カーテンを開けて、早朝の空を見遣れば、雲の棚引きで在る。一日は長いから、放って置いても、砂運びの結果と成ろう。メードイン・チャイナはテープ作動と成るかと思って切り替えたが、作動せずで在る。
6時に成ったら、庭観察をすると致そう。
目下、カサブランカの芽出しが続いて居る。カサブランカ3か所は離れて居るので、ミネゾの所は日当たりの具合で、未だに芽出しは無いが、他の2か所からは次々と芽出しが在る。出る処から出るべくして、出て来ると私の見守り観察も一段落して、後は成長に任せるだけで在る。ジョロ散水が、今度は主たる守り役と為る次第で在る。
田中邦衛さんの訃報で在る。老衰・享年88との由。今年は町会でも80代男性の訃報の続きで在る。年齢を聞くと、反射的に引き算をして仕舞う次第で、さてさて、『己が余命』が頭を過ぎるのも、古希坂男と云う物で在る。生まれた以上、しぁ~無い。へへへ。
本日は4時からの始めで在るから、食後はバケツ2杯の砂採りをして、薄い箇所への砂被せとする。その後は、廊下読書として、飽きて来ると庭煙草の一服を繰り返す。その時にシジューカラが居て、見遣れば口に巣材を咥えて何処ぞに飛んで行った。嗚呼、今年も儚く消えて仕舞った庭の巣箱2個と云う事で在る。電線の上ではキセキレイの鳴きが好く聞こえる。
11時を回れば、昨日同様の夏日の様相と成って来た。さてさて、午前中にもう一踏ん張りの頁進めをして置くと致そう。
好く寝た物で在る。もう、布団の中に居るのが嫌に為って仕舞った。未だ真っ暗闇で在るが起きると致そうで、明かりを付ければ4時前で在る。
行く春で暖かく成ると、尚更の事で在る。コーヒーを入れて、小部屋定位置に入る。4時のニュースを聴いて、台所の洗い物をして来る。
昨日は焼き肉の鱈腹食いと缶ビールの昼酔いで、暫しの居眠りで在った。アルコール分も抜けて、晩飯の入る余地も無い次第で在ったから、矮性のユリの芽出しの気配もして来たので、腹こなしの意味でちょいと暗く成る前に小砂利混じりの砂採りをして来て、篩(ふるい)掛けをして見た。
悪い癖で遣り始めると、納得するまでしないと気が済まない性質で在るが、時間の都合上、息抜きタイムのお遊びとして、本日に回す事にした。
長い夜の部は、時代劇動画の貼り付けを見て居ると、美人さんの若村麻由美さんの顔が在ったので、『日本美人さん鑑賞』で観た後は、田中英道先生の長丁場の日本の古代史の連続講義が在ったので、受講する事にしたが、コマーシャルの連続で往生した。
コマーシャルスキップを出来るのが、ネット動画の便利な処なのだが、前半のコマーシャルの執拗さに内容が細切れ化されて、内容の歩留まりが低減して仕舞う『忌々しさ』を如何する事も出来ずに、調子の出て来た後半の半分は、眠って仕舞った次第で在る。
前日の詳説世界史研究の改訂版を読んで居ると、臍曲がりの私は戦後自虐史観の左捲き学者の記述の難所を辟易として通過した処で在った。それで、田中先生の国史史観を受講して、『気分直し』をする心算で在ったのだが、それがコマーシャルの多さにうんざりして、中途半端で終わって仕舞った帰来で在った。
長丁場の通読過程では、頭が好いと云うか、西洋被れ、中国被れと云うか・・・自論を押し通す為の日本史矮小のテクニックには、『冷淡無視』をせざるを得ない後味の悪い箇所が何か所か在る。
改訂版には巻末に、章毎の参考文献としての書籍紹介の頁が収録されて在る。執筆者の肩書、その参考文献などを頭の片隅に置いて、『東大学派』の想像などもして居る。
所謂、『自虐史観在りき』の記述部分は、時系列を歪曲させての持論構成部分が度を越して居る厭らしさを醸し出して居るので在る。
★おいおい、学者先生達よ、そんな処に頭の好さを発揮して、如何するんじゃい。幾ら世界史の中の日本記述で在っても、歴史相関図は時系列を追って解説して呉れなければ、歴史の客観視、公正さは構成されまいに。俺ぁ、馬鹿だけど、馬鹿なりきに真面目気質で在るから、偏っちゃ駄目だと思って、解らないながらも、それなりのアンテナを張って為るべく中道・真っ当知識を得ようと努力して居るんだけどね。
知って居る人間が知らない人間に対して、その無知・不知に付け込んで言葉・論理を弄して、恰も自論に都合好く誘導・刷り込む手法は、ナンジャラホイの態で在る。真に腹立たしい程の難所越えなので在る。
このザマを称して、四文字熟語だと『曲学阿世』、下世話な言葉だと詐欺師(さわし)と云うのだろうが、人間、何が哀しいかと云えば、ズル賢い連中に、自分の無知不知に付け込まれて、根無し草の表層漂いに誘導されて仕舞うのが、真に怖いのが世の中と云う物で在る。
『一書悉く信ずるは、書無きが如し』で在るから、無知不知人間としては、少なからずの自分軸を持とうとする為らば、『男も色々、女も色々、咲き乱れる』のでは無いが、時間の掛かる回り道、手痛い授業料払わされて行かないと経験の動物としては、道を誤って仕舞うのが、哀しい定めと云う物なので在る。『頭高体低』の様は、私の様な体育会系の体質には馴染まない部分が多と為る。とほほにして、コンニャロメの段で在る。
5時を回ると、白んで来る物で在る。便意を催して踏ん張って来ると、いやはやニラ浸しパワーか、はたまた慣れぬ肉喰いが度を越したのか???。Yを連れて来て確認させたい程の『膨満感一掃の快便の沙汰』で在る。独り暮らしを幸いに、小踊りの声で在る。そして、単細胞と云うか、ゲンキンと云うか、小腹の空きを覚えた。
ラジオによると、明日は雨との由。左様で在るか。カーテンを開けて、早朝の空を見遣れば、雲の棚引きで在る。一日は長いから、放って置いても、砂運びの結果と成ろう。メードイン・チャイナはテープ作動と成るかと思って切り替えたが、作動せずで在る。
6時に成ったら、庭観察をすると致そう。
目下、カサブランカの芽出しが続いて居る。カサブランカ3か所は離れて居るので、ミネゾの所は日当たりの具合で、未だに芽出しは無いが、他の2か所からは次々と芽出しが在る。出る処から出るべくして、出て来ると私の見守り観察も一段落して、後は成長に任せるだけで在る。ジョロ散水が、今度は主たる守り役と為る次第で在る。
田中邦衛さんの訃報で在る。老衰・享年88との由。今年は町会でも80代男性の訃報の続きで在る。年齢を聞くと、反射的に引き算をして仕舞う次第で、さてさて、『己が余命』が頭を過ぎるのも、古希坂男と云う物で在る。生まれた以上、しぁ~無い。へへへ。
本日は4時からの始めで在るから、食後はバケツ2杯の砂採りをして、薄い箇所への砂被せとする。その後は、廊下読書として、飽きて来ると庭煙草の一服を繰り返す。その時にシジューカラが居て、見遣れば口に巣材を咥えて何処ぞに飛んで行った。嗚呼、今年も儚く消えて仕舞った庭の巣箱2個と云う事で在る。電線の上ではキセキレイの鳴きが好く聞こえる。
11時を回れば、昨日同様の夏日の様相と成って来た。さてさて、午前中にもう一踏ん張りの頁進めをして置くと致そう。
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