長駄文館・・・珍味・古沢庵の一本干し為り。
- 2021/04/25
- 13:40
珍味・古沢庵の一本干し連想為り。(4/25/21)
(その1)珍味・古沢庵の一本干しを作る為り。
いやいや、これは暑い。紛れも無く夏日の沙汰で在る。庭で帽子を被って、大笊の古沢庵干し中の揉み解しをして居ると、土手から下りて来たご近所さんから、「Rさん、今日は何をして居るの?」声掛けを頂戴して仕舞った。
「あいあい、遣る事ぁ無ぇから、『珍味・古沢庵の一本干し』を作ってるだいね。」
「ええっ、そんなの有るの。初めて聞いたわ。ああ、そう。漬け物容器が2つ出てたわ。何時もマメで感心しちゃう。男の人なのに女以上ね。」
「だって、そりぁ、しょ~が無ぇせ。貧乏人の甲斐性無しだから、『雌雄同体』で遣って行かなくちゃ為らんだけの事さね。余程、前世の行いが悪かって事で、困ったもんせ。」
「またまた、笑わせて貰っちゃって、流石に巧い事を言うもんだわ。今年も苺の花盛りで。向こうの山ツツジも満開じゃないの。綺麗だわ。」
「女っ気の無ぇのを、お天道さんが不憫に思し召して、せめてもの『花の潤い』を付けて下さってるって寸法さね。ちょいとした眺めずらい。あい。」
陽気の好さで家にも早々は居れずに、つい足が外に向かって仕舞うのが人間と云うもので在る。気が済んだ様で「またね」の声掛けで、中断散歩に帰って行った。
幾ら冬の保存食の沢庵漬けでも春が進めば、酸味が回って『大量処分の憂き目』を見る。土用の三日三晩の梅干し保存に、ヒントを得ての古沢庵の一本干しへの応用策で在る。干し物に付き物の『解し工程』は、吊るし柿、大根干しで覚えた要領で在る。アハハ。
毎日が日曜日のフリー&マイペースの日常の友は、創意工夫の応用遊びと為る次第で、其れなりに時間と日が進んで行く物で在るから、独りで居ても退屈を覚えないから有り難い物で在る。
(その2)
昨夜は偶には缶ビールでも飲んで、動画見で『早寝』をすると致そうかで、手作りチャーシューを摘みとした次第で在る。途中で映画は面白味も無いので、PC、OFFで寝て仕舞った。
明けて、朝は廊下鳥に催促はされるが、未だ起きずで頁捲り部分の反芻時間を採った。
さてさて、起きると居たそうで、障子を開ければ、今を盛りの山ツツジの朱花と幼緑の鮮やかなコントラストで在る。全戸開放をして、廊下でのコーヒー&煙草の一服を付ける。一服付けた処で、庭に下りる。
土手花壇のマツバボタンの挿し芽観察をして、ジョロ散水をたっぷり施して、目下の重点個所へのジョロ散水配りを始める。牡丹に直近するミネゾの中には抱卵中のキジバトが居るから、イエロー警告音を発せられるが、悪さはしないから、安心せよの続行とする。
庭を共有する次第で在るから、お互い不可侵の人間界、自然界の『結界』を守りながらのお付き合いが、その常識内利用法で在る。ジョロ散水の配りに株分け移植のサクラソウ達も花茎が立って来たから、一安心で在る。
朝アイドリングを終えて、午前の部の定位置小部屋入りして、ラジオのクラシックのお時間聴きとする。珍味・古沢庵の一本干しの試食感想に、煙草のショート吸いをすれば、以下の連想と相成った。
オスマン・トルコの諺に『魚は頭から腐る』と云うのが在るそうな。魚を常食として来た日本人で在るから、私としては『魚は臓物から腐る』の次第で、魚は臓物を除去して、日干し、燻製、塩漬けにすべしの感想で在る。
臍曲がり穿(うが)った観方をすれば、身分・階級の支配、被支配の社会体制観だと、絶対多数を占める人間への配慮が欠如した体制下では全てが上次第の考えと為るのだろう。
然しながら、思い浮かぶ歴史感想からすると、一万数千年に及ぶ縄文の悠久の精神の揺籃期の中で、国譲り神話を持つ天皇の下、一君万民の司、司の役割分担で社会体制を造り上げて来た日本社会は、或る意味では『民は宝思想』で、民原を根底に置いて居ると観るべきで在ろう。
民の生活は、『生活の知恵の集合体』とも為ろう。従って経験知から、魚は臓物の腹から腐る事を知って居る『民の集合体』で在るが故に、一君万民の協働観が醸成されて来た国では無かったのだろうか・・・そんな思いを持つ次第で在る。
凡夫匹夫の脳味噌で在るから、難しい事は分らないが、マルクスの唯物史観の基本は階級史観で、古代奴隷制⇒中世封建制⇒近代資本主義制で、来るべき時代は共産主義との提唱だったそうな。
思うに、奴隷は征服によって齎される『支配者の戦利品思想』で在る。国は侵略によって誕生するの思考と、国譲り誕生観とは対極の思考方で在る。侵略は飽くまで支配と被支配の敵対関係にして、少数支配者が被支配層に『苛斂誅求』を強いる体制に為り立つ構図で在る。従って、その体制では反乱・打倒・革命の胚芽を内蔵して居る。一方、国譲りの思考は、親和・同和の過程を経て協働の道を拓く物なのだろう。
魚の生命体の根源は腹の臓器に依拠するので在るから、生命の根源体を殺す様で在っては、『森羅万象の理に背く蛮行』と云え様に。腹の臓器を蔑(ないがし)ろにする思考は、一神教にしろ、矢張り唯物史観・階級闘争史観に向かわざるを得ないのかも知れぬ。
暇で在るから、暇に飽かせて『魚は頭から腐る』と『魚は腹から腐る』の片や遊牧民族、片や島国日本の農耕民族の思考ベクトルの違いに、遊ぶのも一興と云う物で在る。
一時は曇り空の肌寒さでは在ったが、お天道さんが照って来た。雨を心配して、干し上がった小沢庵の方をタッパ収納した際に、味見をすると、『珍味・古沢庵の一本干し』は中々の物で在る。
ラジオ討論をBGMとして居れば、コロナコロナの踊りでは在るが、それで居て東京五輪は開催すると云うので在るから、政治と云う世界は真にチグハグな業界と云うより他無しで在る。子供科学相談で質問を受けたら、大人は何と応えるのだろうか。
立憲民主党に公明党の立候補者の二人で在るからして、申し訳ないが、本日の補欠選挙は、投票拒否とすると致そう。気真面目ばかりでも世の中、宜しく無かろう。へへへ。
(その1)珍味・古沢庵の一本干しを作る為り。
いやいや、これは暑い。紛れも無く夏日の沙汰で在る。庭で帽子を被って、大笊の古沢庵干し中の揉み解しをして居ると、土手から下りて来たご近所さんから、「Rさん、今日は何をして居るの?」声掛けを頂戴して仕舞った。
「あいあい、遣る事ぁ無ぇから、『珍味・古沢庵の一本干し』を作ってるだいね。」
「ええっ、そんなの有るの。初めて聞いたわ。ああ、そう。漬け物容器が2つ出てたわ。何時もマメで感心しちゃう。男の人なのに女以上ね。」
「だって、そりぁ、しょ~が無ぇせ。貧乏人の甲斐性無しだから、『雌雄同体』で遣って行かなくちゃ為らんだけの事さね。余程、前世の行いが悪かって事で、困ったもんせ。」
「またまた、笑わせて貰っちゃって、流石に巧い事を言うもんだわ。今年も苺の花盛りで。向こうの山ツツジも満開じゃないの。綺麗だわ。」
「女っ気の無ぇのを、お天道さんが不憫に思し召して、せめてもの『花の潤い』を付けて下さってるって寸法さね。ちょいとした眺めずらい。あい。」
陽気の好さで家にも早々は居れずに、つい足が外に向かって仕舞うのが人間と云うもので在る。気が済んだ様で「またね」の声掛けで、中断散歩に帰って行った。
幾ら冬の保存食の沢庵漬けでも春が進めば、酸味が回って『大量処分の憂き目』を見る。土用の三日三晩の梅干し保存に、ヒントを得ての古沢庵の一本干しへの応用策で在る。干し物に付き物の『解し工程』は、吊るし柿、大根干しで覚えた要領で在る。アハハ。
毎日が日曜日のフリー&マイペースの日常の友は、創意工夫の応用遊びと為る次第で、其れなりに時間と日が進んで行く物で在るから、独りで居ても退屈を覚えないから有り難い物で在る。
(その2)
昨夜は偶には缶ビールでも飲んで、動画見で『早寝』をすると致そうかで、手作りチャーシューを摘みとした次第で在る。途中で映画は面白味も無いので、PC、OFFで寝て仕舞った。
明けて、朝は廊下鳥に催促はされるが、未だ起きずで頁捲り部分の反芻時間を採った。
さてさて、起きると居たそうで、障子を開ければ、今を盛りの山ツツジの朱花と幼緑の鮮やかなコントラストで在る。全戸開放をして、廊下でのコーヒー&煙草の一服を付ける。一服付けた処で、庭に下りる。
土手花壇のマツバボタンの挿し芽観察をして、ジョロ散水をたっぷり施して、目下の重点個所へのジョロ散水配りを始める。牡丹に直近するミネゾの中には抱卵中のキジバトが居るから、イエロー警告音を発せられるが、悪さはしないから、安心せよの続行とする。
庭を共有する次第で在るから、お互い不可侵の人間界、自然界の『結界』を守りながらのお付き合いが、その常識内利用法で在る。ジョロ散水の配りに株分け移植のサクラソウ達も花茎が立って来たから、一安心で在る。
朝アイドリングを終えて、午前の部の定位置小部屋入りして、ラジオのクラシックのお時間聴きとする。珍味・古沢庵の一本干しの試食感想に、煙草のショート吸いをすれば、以下の連想と相成った。
オスマン・トルコの諺に『魚は頭から腐る』と云うのが在るそうな。魚を常食として来た日本人で在るから、私としては『魚は臓物から腐る』の次第で、魚は臓物を除去して、日干し、燻製、塩漬けにすべしの感想で在る。
臍曲がり穿(うが)った観方をすれば、身分・階級の支配、被支配の社会体制観だと、絶対多数を占める人間への配慮が欠如した体制下では全てが上次第の考えと為るのだろう。
然しながら、思い浮かぶ歴史感想からすると、一万数千年に及ぶ縄文の悠久の精神の揺籃期の中で、国譲り神話を持つ天皇の下、一君万民の司、司の役割分担で社会体制を造り上げて来た日本社会は、或る意味では『民は宝思想』で、民原を根底に置いて居ると観るべきで在ろう。
民の生活は、『生活の知恵の集合体』とも為ろう。従って経験知から、魚は臓物の腹から腐る事を知って居る『民の集合体』で在るが故に、一君万民の協働観が醸成されて来た国では無かったのだろうか・・・そんな思いを持つ次第で在る。
凡夫匹夫の脳味噌で在るから、難しい事は分らないが、マルクスの唯物史観の基本は階級史観で、古代奴隷制⇒中世封建制⇒近代資本主義制で、来るべき時代は共産主義との提唱だったそうな。
思うに、奴隷は征服によって齎される『支配者の戦利品思想』で在る。国は侵略によって誕生するの思考と、国譲り誕生観とは対極の思考方で在る。侵略は飽くまで支配と被支配の敵対関係にして、少数支配者が被支配層に『苛斂誅求』を強いる体制に為り立つ構図で在る。従って、その体制では反乱・打倒・革命の胚芽を内蔵して居る。一方、国譲りの思考は、親和・同和の過程を経て協働の道を拓く物なのだろう。
魚の生命体の根源は腹の臓器に依拠するので在るから、生命の根源体を殺す様で在っては、『森羅万象の理に背く蛮行』と云え様に。腹の臓器を蔑(ないがし)ろにする思考は、一神教にしろ、矢張り唯物史観・階級闘争史観に向かわざるを得ないのかも知れぬ。
暇で在るから、暇に飽かせて『魚は頭から腐る』と『魚は腹から腐る』の片や遊牧民族、片や島国日本の農耕民族の思考ベクトルの違いに、遊ぶのも一興と云う物で在る。
一時は曇り空の肌寒さでは在ったが、お天道さんが照って来た。雨を心配して、干し上がった小沢庵の方をタッパ収納した際に、味見をすると、『珍味・古沢庵の一本干し』は中々の物で在る。
ラジオ討論をBGMとして居れば、コロナコロナの踊りでは在るが、それで居て東京五輪は開催すると云うので在るから、政治と云う世界は真にチグハグな業界と云うより他無しで在る。子供科学相談で質問を受けたら、大人は何と応えるのだろうか。
立憲民主党に公明党の立候補者の二人で在るからして、申し訳ないが、本日の補欠選挙は、投票拒否とすると致そう。気真面目ばかりでも世の中、宜しく無かろう。へへへ。
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