長駄文館・・・植物達も、静かに雨教養日為り。
- 2021/04/29
- 14:54
植物達も、静かに雨休養日為り。(4/29/21)
足場の悪い石垣斜面の作業は、半分以上が下半身と気分の負担と為って来る。普段使って居ない筋肉で在るから、物理的な作業量以上の疲れと為って仕舞い、嗚呼、痛い、の内股、腰、腕、肩、首の痛さ、凝りで在る。特に首の凝りが大きいのは、頭が体勢の悪さのバランスを採って居ると云う事なのだろう。早い話が、『柔軟性の衰え』を示して居る訳で在る。
そんな次第で、早目の就寝の朝と成った。予報通りの雨で本日は、風呂浸かりの休養日とする心算で在る。
Sもさぞかし、嗚呼、痛い痛い、疲れたと、猫達を相手にボヤいての雨日として居る事だろう。アハハ。
夜の風は収まっての静かな雨で在る。植物達には好いお湿りと成ろう。ラジオでは一日を通しての降りとの事。
この頃は就寝前の時代劇のお時間は、北往路欣也さんの八州見回り役のシリーズ物を観て居る。吉衛門さんの鬼平犯科帳同様に、味の在るシリーズで在る。役者が演じるのか、演技が役者を映して居るのか、役者の実在感が出て居て堪能して居る次第で在る。洋物の推理物としては、パイプのシャーロック・ホームズ、灰色の脳細胞の名探偵ポアロが思い浮かぶ処で在るが、和物の推理物は、江戸時代を舞台とした物が多い。
むっつり右門、銭形平次、人形佐吉、文吾、遠山の金さん、旗本退屈男・・・etcと、洋物の事実・合理性・実証の論理劇に対して、和物の人情・動機・正義・倫理・裁きの温情に満ちた勧善懲悪劇は、西洋文化の叙事と日本文化の叙情劇の本質的相違が在って、この歳に為ると、和物がしっくり来ると云った次第で在る。
近代西洋思想は『科学革命』と称されるベーコンの帰納法とデカルトの演繹法に基ずいての如何に主観を排して、実証に基ずく客観合理性への追求と云われて居るそうな。
一神教、科学的合理性、経済功利性の追求と為ると、私の様なヤオヨロズのお天道さん信仰と文系情緒性を嗜好する体育会系体質には、如何してもその辺りがしっくり来ない処が在って、古希坂の寂滅道程の友としては愉しめない次第で在る。へへへ。
紀州のドンファンと称された大金持ちさんが、若い孫娘の様な妻に殺害されたのニュースに、和歌山毒物カレー殺人、高齢独身爺連を結婚の罠で葬ったカマキリ婆ぁ殺人も在ったりで、バタ臭さを感じて仕舞い、世界一体化のグロバリゼーションの態で在る。金色夜叉の貫一、お宮、鬼平犯科帳の蛇苺の女の方が宜しく思う次第で在る。
Yに言わしめると、『いざと為ったら、女は怖い生き物』との由で在るから、女族に対しては距離を置いての鑑賞、観察対象に留めて置くのが、男の知恵と云った処で在ろうか。
さてさて、飯も炊けて居るから、焼き魚に澄まし汁、古沢庵、梅干し、山椒味噌の縄文食で朝飯として、風呂で筋肉解しをして終日の雨の休養日と致そう。
風呂で暖った身体に、軟膏を擦り込んで置く。一時止んだ雨は再びで、外見を逸して仕舞った。降ったり止んだりの終日の雨との由で在る。昨日は開き終いの頁捲りで在ったから、小部屋コタツで日課の頁進めをするしか無さそうで在る。
雨寒で息抜きの出来ない頁捲りは、如何してもコタツでの転寝(うたたね)に陥って仕舞う物で在る。転寝から覚めれば、風の唸りで在る。コタツで足を舐めて呉れる猫も無しで、いやはや、退屈な物では無いか。とほほ。
足場の悪い石垣斜面の作業は、半分以上が下半身と気分の負担と為って来る。普段使って居ない筋肉で在るから、物理的な作業量以上の疲れと為って仕舞い、嗚呼、痛い、の内股、腰、腕、肩、首の痛さ、凝りで在る。特に首の凝りが大きいのは、頭が体勢の悪さのバランスを採って居ると云う事なのだろう。早い話が、『柔軟性の衰え』を示して居る訳で在る。
そんな次第で、早目の就寝の朝と成った。予報通りの雨で本日は、風呂浸かりの休養日とする心算で在る。
Sもさぞかし、嗚呼、痛い痛い、疲れたと、猫達を相手にボヤいての雨日として居る事だろう。アハハ。
夜の風は収まっての静かな雨で在る。植物達には好いお湿りと成ろう。ラジオでは一日を通しての降りとの事。
この頃は就寝前の時代劇のお時間は、北往路欣也さんの八州見回り役のシリーズ物を観て居る。吉衛門さんの鬼平犯科帳同様に、味の在るシリーズで在る。役者が演じるのか、演技が役者を映して居るのか、役者の実在感が出て居て堪能して居る次第で在る。洋物の推理物としては、パイプのシャーロック・ホームズ、灰色の脳細胞の名探偵ポアロが思い浮かぶ処で在るが、和物の推理物は、江戸時代を舞台とした物が多い。
むっつり右門、銭形平次、人形佐吉、文吾、遠山の金さん、旗本退屈男・・・etcと、洋物の事実・合理性・実証の論理劇に対して、和物の人情・動機・正義・倫理・裁きの温情に満ちた勧善懲悪劇は、西洋文化の叙事と日本文化の叙情劇の本質的相違が在って、この歳に為ると、和物がしっくり来ると云った次第で在る。
近代西洋思想は『科学革命』と称されるベーコンの帰納法とデカルトの演繹法に基ずいての如何に主観を排して、実証に基ずく客観合理性への追求と云われて居るそうな。
一神教、科学的合理性、経済功利性の追求と為ると、私の様なヤオヨロズのお天道さん信仰と文系情緒性を嗜好する体育会系体質には、如何してもその辺りがしっくり来ない処が在って、古希坂の寂滅道程の友としては愉しめない次第で在る。へへへ。
紀州のドンファンと称された大金持ちさんが、若い孫娘の様な妻に殺害されたのニュースに、和歌山毒物カレー殺人、高齢独身爺連を結婚の罠で葬ったカマキリ婆ぁ殺人も在ったりで、バタ臭さを感じて仕舞い、世界一体化のグロバリゼーションの態で在る。金色夜叉の貫一、お宮、鬼平犯科帳の蛇苺の女の方が宜しく思う次第で在る。
Yに言わしめると、『いざと為ったら、女は怖い生き物』との由で在るから、女族に対しては距離を置いての鑑賞、観察対象に留めて置くのが、男の知恵と云った処で在ろうか。
さてさて、飯も炊けて居るから、焼き魚に澄まし汁、古沢庵、梅干し、山椒味噌の縄文食で朝飯として、風呂で筋肉解しをして終日の雨の休養日と致そう。
風呂で暖った身体に、軟膏を擦り込んで置く。一時止んだ雨は再びで、外見を逸して仕舞った。降ったり止んだりの終日の雨との由で在る。昨日は開き終いの頁捲りで在ったから、小部屋コタツで日課の頁進めをするしか無さそうで在る。
雨寒で息抜きの出来ない頁捲りは、如何してもコタツでの転寝(うたたね)に陥って仕舞う物で在る。転寝から覚めれば、風の唸りで在る。コタツで足を舐めて呉れる猫も無しで、いやはや、退屈な物では無いか。とほほ。
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