長駄文館・・・あじゃじぁ為り。
- 2021/06/15
- 14:00
あじゃじゃ、グッピィが・・・為り。(6/15/21)
梅雨入り宣言した途端、雨続きで在る。昨夜も音を立てての一時の雨で在った。それでも長続きせずに止んだ。今朝は青空で在った。この2、3日の天候は梅雨と云うよりも、東南アジアの雨季の感じを受ける次第で在る。全戸開放の廊下コーヒーをしながら、土手花壇の勢いを増して来たマツバボタンの爪切り移植をして見る事にする。周りの雑草を抜いて、太陽の当たりを広げて遣ると、花壇スペースが拡がった。土目は如何かなと探ると下は石だらけで在る。
まぁ、これも朝アイドリングの一つで在る。
中小の石を穿り、除去すると、ガッポリ沈み込んで仕舞った。やれやれの段では在るが、これも改善・改良の道で在る。菜園スペースからスコップで大盛りの土を入れて、10本程の挿し芽をしてジョロ散水を施して置く。今年は珍しい程のマツバボタンの当たり年と成って居るので、この際、マツバボタンの拡散、拡大をして、零れ種からの自生マツバボタンに期待してのお遊びで在る。
自然相手の一年サイクルを観察、実行して居ると、育つ年も在れば育たない年も在る。そんなサイクルの中で、吾が世の繁栄を示す物も在れば、消え入る物も出て来る。大きな目で見れば、これも自然のサイクルにして調整作用と思え無くも無い諸々の様と考えて居る昨今で在る。
今年は、少年時代にはたわわに成って居たブドウ棚では在ったが、庭に禽舎を作った時に仕末したブドウの一部が、何十年も生きて居た様で、母親介護に戻って、禽舎を取り壊した脇に、その無残な残滓を見付けて、昔ブドウの復活作戦をして3、4年の経過だろうか。
それが、独りでは季節の味として愉しめる程の房付きを示して居るから、驚きで在る。
今年は梅の裏年で寂しい処に持って来て、落実の憂き目に遭って居るし、発芽時に霜に遭って仕舞った柿は2次の芽出しで枝葉は繁茂の態では在るが、花付きの見えないのが、諦めの気分と為って居る次第で在る。
朝アイドリングの時間を終えて、小部屋の定位置に座ると。睡蓮鉢に異変でグッピィの死体の浮きで在る。まぁそれでも全滅の憂き目と為らずに済んで、ホッとする。
ラジオでは本日は28℃超えとの由。左様で在るか、やれやれ、暑く成るか。
昨日の就寝待ちに昔を思い出して『怪盗紳士・ルパン』を検索して、朗読を聴いて見た。小説の類は殆ど読まなかったが、シャーロック・ホームズとルパン、千夜一夜物語は、性に合って読んで居た物で在る。
ホームズ物とルパン物は、英と仏の国民性の違いが顕著に現われて居て、『永遠のライバル国』の印象を持って居た。謹厳実直タイプの論理のホームズに対して、粋なスタイリストのルパンの対象性はニヤニヤする好対象で在った。
時を経て、世界史では17C後半に於いて、哲学は神学の婢とされて居た自然科学を学問の地位にまで引き上げたのが、英のベーコンの帰納法、仏のデカルトの演繹法による合理主義で、それは科学革命と云われた近代思考の端緒であったそうな。
そんな次第で、ホームズの帰納法とルパンの演繹法に就いての小説スタイルに於ける国民性を再確認して置こうと思った次第で在る。私としては、ホームズ物の映画、ドラマシリーズが数多く在るので、ルパン物も映画、ドラマが在れば、それを見たいと考えてのネット検索だったのだが、生憎それが無かった次第で在る。
因みにホームズ著者のコナン・ドイル(1859~1930)とルパン著書のモーリス・ルブラン((1864~1941)は、ドイルが5歳年長で、ほぼ同じ時代に生まれ、世界を観ていた関係で在る。
仏映画には『夜の騎士道』なんて仏の巨匠ルネ・クレールの軽妙洒脱な恋愛劇を洋画コレクションとして持って居るが、きっとそんなタッチで描かれる物と思える。
ルイ14世とクムウエルの違いが、英仏の国柄の違いとして、横たわって居るらしき処が、世界史を読んだり、映画を観たりして感想として浮かぶのが『妄想癖の愉しみ』とする次第で在る。
さてさて、朝飯は何を食べると致そうか。ラジオは益々にお喋り番組と化して、歳の割には向学心は残されて居ると思うのだが、頭の足しに為らないのが面白く無い次第で在る。
手前らだけ、楽しんで居やがれ。アホ臭。飯前に、庭に息抜きを頂戴して来ると致そうか。へへへ。
正午を回れば、東山系の頭上にモクモクとした入道雲の出現で在る。さてさて、本日の暑さが始まった様で身構えたら、どんよりした梅雨空に進んで仕舞った。???
梅雨入り宣言した途端、雨続きで在る。昨夜も音を立てての一時の雨で在った。それでも長続きせずに止んだ。今朝は青空で在った。この2、3日の天候は梅雨と云うよりも、東南アジアの雨季の感じを受ける次第で在る。全戸開放の廊下コーヒーをしながら、土手花壇の勢いを増して来たマツバボタンの爪切り移植をして見る事にする。周りの雑草を抜いて、太陽の当たりを広げて遣ると、花壇スペースが拡がった。土目は如何かなと探ると下は石だらけで在る。
まぁ、これも朝アイドリングの一つで在る。
中小の石を穿り、除去すると、ガッポリ沈み込んで仕舞った。やれやれの段では在るが、これも改善・改良の道で在る。菜園スペースからスコップで大盛りの土を入れて、10本程の挿し芽をしてジョロ散水を施して置く。今年は珍しい程のマツバボタンの当たり年と成って居るので、この際、マツバボタンの拡散、拡大をして、零れ種からの自生マツバボタンに期待してのお遊びで在る。
自然相手の一年サイクルを観察、実行して居ると、育つ年も在れば育たない年も在る。そんなサイクルの中で、吾が世の繁栄を示す物も在れば、消え入る物も出て来る。大きな目で見れば、これも自然のサイクルにして調整作用と思え無くも無い諸々の様と考えて居る昨今で在る。
今年は、少年時代にはたわわに成って居たブドウ棚では在ったが、庭に禽舎を作った時に仕末したブドウの一部が、何十年も生きて居た様で、母親介護に戻って、禽舎を取り壊した脇に、その無残な残滓を見付けて、昔ブドウの復活作戦をして3、4年の経過だろうか。
それが、独りでは季節の味として愉しめる程の房付きを示して居るから、驚きで在る。
今年は梅の裏年で寂しい処に持って来て、落実の憂き目に遭って居るし、発芽時に霜に遭って仕舞った柿は2次の芽出しで枝葉は繁茂の態では在るが、花付きの見えないのが、諦めの気分と為って居る次第で在る。
朝アイドリングの時間を終えて、小部屋の定位置に座ると。睡蓮鉢に異変でグッピィの死体の浮きで在る。まぁそれでも全滅の憂き目と為らずに済んで、ホッとする。
ラジオでは本日は28℃超えとの由。左様で在るか、やれやれ、暑く成るか。
昨日の就寝待ちに昔を思い出して『怪盗紳士・ルパン』を検索して、朗読を聴いて見た。小説の類は殆ど読まなかったが、シャーロック・ホームズとルパン、千夜一夜物語は、性に合って読んで居た物で在る。
ホームズ物とルパン物は、英と仏の国民性の違いが顕著に現われて居て、『永遠のライバル国』の印象を持って居た。謹厳実直タイプの論理のホームズに対して、粋なスタイリストのルパンの対象性はニヤニヤする好対象で在った。
時を経て、世界史では17C後半に於いて、哲学は神学の婢とされて居た自然科学を学問の地位にまで引き上げたのが、英のベーコンの帰納法、仏のデカルトの演繹法による合理主義で、それは科学革命と云われた近代思考の端緒であったそうな。
そんな次第で、ホームズの帰納法とルパンの演繹法に就いての小説スタイルに於ける国民性を再確認して置こうと思った次第で在る。私としては、ホームズ物の映画、ドラマシリーズが数多く在るので、ルパン物も映画、ドラマが在れば、それを見たいと考えてのネット検索だったのだが、生憎それが無かった次第で在る。
因みにホームズ著者のコナン・ドイル(1859~1930)とルパン著書のモーリス・ルブラン((1864~1941)は、ドイルが5歳年長で、ほぼ同じ時代に生まれ、世界を観ていた関係で在る。
仏映画には『夜の騎士道』なんて仏の巨匠ルネ・クレールの軽妙洒脱な恋愛劇を洋画コレクションとして持って居るが、きっとそんなタッチで描かれる物と思える。
ルイ14世とクムウエルの違いが、英仏の国柄の違いとして、横たわって居るらしき処が、世界史を読んだり、映画を観たりして感想として浮かぶのが『妄想癖の愉しみ』とする次第で在る。
さてさて、朝飯は何を食べると致そうか。ラジオは益々にお喋り番組と化して、歳の割には向学心は残されて居ると思うのだが、頭の足しに為らないのが面白く無い次第で在る。
手前らだけ、楽しんで居やがれ。アホ臭。飯前に、庭に息抜きを頂戴して来ると致そうか。へへへ。
正午を回れば、東山系の頭上にモクモクとした入道雲の出現で在る。さてさて、本日の暑さが始まった様で身構えたら、どんよりした梅雨空に進んで仕舞った。???
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