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長駄文館・・・何日かぶりの全戸開放為り。&世界史備忘録

               何日振りかの全戸開放をする為り。(7/10/21)
 昨夜は就寝前の動画クリックの折に、久し振りにロシア女性のユーチューバーさん漁りをして居ると、その中にイラン美人さんとのお仲間トークが在った。日本生まれの日本育ちのベリーダンサーとの由で在った。

 その前に若者の世界旅との由でイラン編が在ったので、イランの風景、都市を世界史参考として見たのだが、彼等に歴史的素養が皆無過ぎて、単なる自己主張動画で期待外れの段だった。

 そんな次第で世界史を動かして来たペルシャに敬意を表して、日本生まれの日本育ちの彼女から、イランの雰囲気を頂戴しようと思った次第で在る。
 彼女は普通に日本の公立校教育を受けて社会人に為って居て、家庭ではペルシャ語を話して居るとの由で、母国に行っても言葉の不自由は無いとの事。そんな彼女の語る処に依ると、日本の4倍の国土で、首都テヘランが実家との事で、多民族国家の歴史で、彼女の顔がペルシャ人のベーシックと言って居た。
 東西南北では、東に行けばアフガニスタンで東洋系、西に行けばアゼルバイジャン系、南に行けばアラブ系の風貌との由。文字はアラビア文字では在るが、ペルシャ語との由。

 彼女がイラン人を使わずペルシャ人と自称する処にイラン人の歴史的民族の誇りを感じて、世界史のお浚いと為った。短い動画だったが、本日の備忘録に欠落して居たペルシャ史を打ち足して置こうと、頭の整理をしながらの就寝と相成った次第で在る。
 兎角、横文字・カタカナ文字を多投するのを知識教養の尺度と勘違いして居る日本人感覚に対して、私は母国語の訓練が足りないと忌々しく思って居る古希坂男で在る。イラン人と云わずにペルシャ人と名乗る若い彼女の矜持(きょうじ)が天晴では無いか。カタカナ文字のアイデンティティなんて響きよりも、矜持の言葉の響きの方が余程、凛として居るでは無いか。

 前にYから電話で出し抜けに『ノルマン・コンクエスト』って何だと聞かれて、ノルマンはヴァイキングでコンクエストは征服で、英のノルマン朝の誕生さね。英のノルマン征服(ノルマン・コンクエスト)って、日本語表記をして呉れりゃ、電話代も掛からんのに、日本の『変照り』共は、横文字カタカナを使わないと気が収まらないとさ。俺ぁ日本人だから、横文字カタカナは頭の徒労だいね。と答えた事が在った。

 知識人・教養人と表現して呉れれば、世のインテリさん達も、私の様な下衆人間が、変照り何て『誤訳の憂き目』にも遭わず物なのに・・・精神の矜持を失うのは、国民の自傷行為と云う事が解らないのは、嘆かわしい次第では無いか。ペルシアはイラン人にとって、アケメネス朝ペルシャに始まる『高貴な言葉』なのだろう。

 さてと、雨の無い朝で在る。庭回りをして、キュウリ、トマトを捥いで庭食べとする。美味い。雨の気配では在るが、インゲンを一握り採って、朝飯に緑を添えると致そう。

 小部屋に蚊取り線香を点けて、朝飯前の本日分ブログ打ちをして置くと致そうか。飯後は、備忘録に欠落して居たペルシャ史を纏める宿題が出て来て仕舞った。此処まで中指に任せて打ち進めて来た処、お天道さんの陽入りと成って来た。さぁ、何日振りかの全戸開放と致そうか。へへへ。

 玄関に簾を掛けての風の通り街を確保して、六畳戯画廊のPCを立ち上げて備忘録作成に取り掛かる。面倒と思いきや、予想外で早く打てたので吃驚で在る。終わって気付けば、本日土曜の大人のお時間では在ったが、ラジオを付けずに集中して遣って居た結果だったらしい。アハハ。

 以下、纏めて見ると、昨日のイラン女性では無いが、自分をペルシア人と誇る訳で在る。その昔、シルクロードを伝わって来た西方の人達を中国では胡人として総称して、音楽、踊りも流行ったそうな。『胡舞』と呼ばれた踊りは、ベリーダンス、ジプシーダンス、フラメンコダンスの原型とも為って、世界に伝播して行ったのだろう。

                   世界史備忘録・・・ペルシア・イラン史
アケメネス朝ペルシャ(BC550~BC330)最初のオリエント統一国家てアッシリア滅後の4王国分立(リディア、メデイア、新バビロニア、エジプト)のリデイアから独立、滅ぼし、メデイア、新バビロニア、エジプトを征服して、全オリエントを統一。対ギリシャのペルシャ戦争。多民族国家故の融和的寛容性が特徴。セム語、ハム語、印欧語族

                  アレキサンダー、ヘレニズム帝国。

セレウコス朝のイラン系遊牧民のパルティア(BC248~AC224)独立して、ペルシャ復興へ。

ササン朝ペルシア(224~651)、イラン系農耕民が建国。首都セパハーン(後のイスファハン)対ビザンツ帝国。対イスラム。ペルシャの復活

                イスラム支配期とトルコの西進期。
アラブ帝国⇒イスラム帝国への脱皮と共にアラブとペルシャの国風の違い。アラブのスンニ派、イランのシーア派

セルジュークトルコ(1038~1194)シル川下流域から興り、バクダツドを支配する。対ビザンツ帝国、対十字軍
ホラズム朝(1077~1231)アル川流域から興り、セルジューク朝に替わり、イラン、アフガニスタンを支配。

              ホラムズ朝モンゴルに敗れ、モンゴル帝国支配へ。
                       モンゴル帝国衰退

                  モンゴル後継のチィムール
ティムール後継のサファヴィ朝、ルガール帝国ヘ。サファヴィー朝首都イスファハンは16C世界の半分、イランの真珠と呼ばれて、イランイスラム文化の中心。ムガール帝国はタージマハルでインドイスラム文化の中心。

オスマントルコ帝国(1299~1922)ビザンツ帝国滅ぼし、ウイーン包囲の超大国と為る。

                 帝国時代の英国支配期 19~20C
             第二次大戦後の独立で、イラン、インド、東西パキスタン。



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