長駄文館・・・これ、朝アイドリング打ち為り。
- 2021/08/07
- 13:52
これ、朝アイドリング打ち為り。(8/7/21)
昨日の庭の草抜きは30分程、足りなかった。本日の夕刻作業とするべしで在る。生い茂った草叢退治時にはキリギリスの気配は全く無かったが、夜には山ツツジの辺りで複数が鳴いて居た。
明けて本日。まぁ、それにしても、連日の猛暑で水槽の蒸発の早い事で在る。補給水配りに行くと金髪、黒髪美人・美形さん達の写真に朝日が当たって、にこやかにほほ笑んで居る。私にも其れなりに、好い時代が在ったと云う事で在る。
朝のひんやりした空気も、お天道さんが差し込んで来ると、嗚呼、今日も猛暑日と成ろうのやれやれ感で在る。
夏野菜も暑さに中断と云うか、盛りを越したと云うか、未収穫とし、出来損ないの小キュウリを間引きに3個毟って、キリギリスの餌替えとすると致そう。トマトは、未だ冷蔵庫に在るからしてパス。ミツバを採って汁物の具とする。小玉スイカは未だ一つの実付きで在るが、大きく成って熟しの段階に入って居る。
本日は洗濯からスタートで在る。洗濯物を干して、暑く成らない内に水汲みに行く。バケツ一杯が、蒸発量が活発に成ると、概ね補給水2回分で在る。河川敷を歩けば、11日が同級生ボランティアの3度目の草刈で在るから、今年の草の生育は記録的と云う物で在る。去年から流れが遠のいて仕舞ったので、葦の中を川の半分まで行かねば為らない。この暑さで在るから、流る水の冷たさが何とも心地好い。
現在8時で在る。朝アイドリングとしては短いが、それを考えるとホース散水、ジョロ散水の配りは、結構な時間を要すもので在る。当然、朝飯が入るまでには大分間が在る。扇風機に蚊取り線香を焚いての食前打ちとする。
日本語の大分間(だいぶま)が在るは、機械読みすると(オオイタカン)が在ると読まれて仕舞うので、何時もオヨヨとして居る次第で、機械は繹算には滅法強いが、感情感覚が無いから文学的側面が取り残されて居る次第で在る。
子供の頃は丸暗記主体の文系脳は、理系頭に及ばないと云われて居た物だが、原理・公理を『公式』として画一的効率的に計算方式を組み立てて、物事の『解』を求める理系脳回路には、子供時分から余り重きを置いて来なかった次第で在る。多種多様を旨とする文系には、ダイブもオオイタも大分の漢字表記をして読む方が、前後に応じて『読み分け』をする。一方、統一解を旨とする理系脳は画一的にオオイタと『定義付け』る。
推理小説手法で云えば、英ベーコン先生の帰納法的合理主義手法に根差した英コナン・ドイルの『シャーロック・ホームズ』と仏デカルト先生の演繹的合理手法を用いた仏モーリス・ルブランの『怪盗紳士・ルパン』との対照が思い浮かぶ次第で在る。
ホームズは、地道な検証の積み重ねで、推理して行き、一方ルパンは軽妙洒脱さを売り物とする演繹的エンターテーメント性の高い読み物で在る。片や写実性の文章、片や浪漫的文章で進む人気小説で在る。書は体を現わすの形容も在る次第で、文化は国民、国家を現わすで英仏の対照が、こんな処にも自然湧水として流れて居るのだろう。
人間とは会話を持って楽しむ物で在るから、その分野は複雑怪奇の個性の領域で在って、杓子定規な公式で解を求めるべき物では無かろう思いが先行して居たし、文武両道では無いが、対象領域毎に、文系、理系手法の双方応用をして行くのが『筋』と考えて居る次第で在る。
暑気を攪拌する様に、ミンミンゼミの合唱が始まって来た9時で在る。朝アイドリングで打ち始めた本日分ブログも、まぁまぁの字数と成って来た。朝飯の用意をして朝食とすると致しましょうかね。もう二畳小部屋は居るに不適当な暑さ、と成って仕舞いましたがね。
そう云えば昨日の夕刻、久し振りにウザーラさんが四畳半をに面した通りを歩いて行かれた。何か表情が硬くて、情緒面での不安定さを物語って居る様で吃驚した次第で在った。
午前中は風の通りの好い開放六畳で昼まで、お勉強タイムとして、昼寝タイムには録音テープの片面45分を聴きながら少し寝た。オーバータイムと思いきや、時間はそれほど経過して居なかった。
昨日の庭の草抜きは30分程、足りなかった。本日の夕刻作業とするべしで在る。生い茂った草叢退治時にはキリギリスの気配は全く無かったが、夜には山ツツジの辺りで複数が鳴いて居た。
明けて本日。まぁ、それにしても、連日の猛暑で水槽の蒸発の早い事で在る。補給水配りに行くと金髪、黒髪美人・美形さん達の写真に朝日が当たって、にこやかにほほ笑んで居る。私にも其れなりに、好い時代が在ったと云う事で在る。
朝のひんやりした空気も、お天道さんが差し込んで来ると、嗚呼、今日も猛暑日と成ろうのやれやれ感で在る。
夏野菜も暑さに中断と云うか、盛りを越したと云うか、未収穫とし、出来損ないの小キュウリを間引きに3個毟って、キリギリスの餌替えとすると致そう。トマトは、未だ冷蔵庫に在るからしてパス。ミツバを採って汁物の具とする。小玉スイカは未だ一つの実付きで在るが、大きく成って熟しの段階に入って居る。
本日は洗濯からスタートで在る。洗濯物を干して、暑く成らない内に水汲みに行く。バケツ一杯が、蒸発量が活発に成ると、概ね補給水2回分で在る。河川敷を歩けば、11日が同級生ボランティアの3度目の草刈で在るから、今年の草の生育は記録的と云う物で在る。去年から流れが遠のいて仕舞ったので、葦の中を川の半分まで行かねば為らない。この暑さで在るから、流る水の冷たさが何とも心地好い。
現在8時で在る。朝アイドリングとしては短いが、それを考えるとホース散水、ジョロ散水の配りは、結構な時間を要すもので在る。当然、朝飯が入るまでには大分間が在る。扇風機に蚊取り線香を焚いての食前打ちとする。
日本語の大分間(だいぶま)が在るは、機械読みすると(オオイタカン)が在ると読まれて仕舞うので、何時もオヨヨとして居る次第で、機械は繹算には滅法強いが、感情感覚が無いから文学的側面が取り残されて居る次第で在る。
子供の頃は丸暗記主体の文系脳は、理系頭に及ばないと云われて居た物だが、原理・公理を『公式』として画一的効率的に計算方式を組み立てて、物事の『解』を求める理系脳回路には、子供時分から余り重きを置いて来なかった次第で在る。多種多様を旨とする文系には、ダイブもオオイタも大分の漢字表記をして読む方が、前後に応じて『読み分け』をする。一方、統一解を旨とする理系脳は画一的にオオイタと『定義付け』る。
推理小説手法で云えば、英ベーコン先生の帰納法的合理主義手法に根差した英コナン・ドイルの『シャーロック・ホームズ』と仏デカルト先生の演繹的合理手法を用いた仏モーリス・ルブランの『怪盗紳士・ルパン』との対照が思い浮かぶ次第で在る。
ホームズは、地道な検証の積み重ねで、推理して行き、一方ルパンは軽妙洒脱さを売り物とする演繹的エンターテーメント性の高い読み物で在る。片や写実性の文章、片や浪漫的文章で進む人気小説で在る。書は体を現わすの形容も在る次第で、文化は国民、国家を現わすで英仏の対照が、こんな処にも自然湧水として流れて居るのだろう。
人間とは会話を持って楽しむ物で在るから、その分野は複雑怪奇の個性の領域で在って、杓子定規な公式で解を求めるべき物では無かろう思いが先行して居たし、文武両道では無いが、対象領域毎に、文系、理系手法の双方応用をして行くのが『筋』と考えて居る次第で在る。
暑気を攪拌する様に、ミンミンゼミの合唱が始まって来た9時で在る。朝アイドリングで打ち始めた本日分ブログも、まぁまぁの字数と成って来た。朝飯の用意をして朝食とすると致しましょうかね。もう二畳小部屋は居るに不適当な暑さ、と成って仕舞いましたがね。
そう云えば昨日の夕刻、久し振りにウザーラさんが四畳半をに面した通りを歩いて行かれた。何か表情が硬くて、情緒面での不安定さを物語って居る様で吃驚した次第で在った。
午前中は風の通りの好い開放六畳で昼まで、お勉強タイムとして、昼寝タイムには録音テープの片面45分を聴きながら少し寝た。オーバータイムと思いきや、時間はそれほど経過して居なかった。
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