長駄文館・・・想い、心は千の風に乗って為り。
- 2021/08/25
- 11:43
想い、心は、千の風に乗って為り。(8/25/21)
庭サンダルに雨溜まりで、昨夜も少し降った様で在る。曇天の蒸し暑さに風のそよぎの朝で在る。農作物には大事な時期で在ろうから、雨の潤いが在ったとしても、日照不足で不良と成らねば好いのだが。自然相手の第一次産業は、何かと大変で在る。中狂、北朝鮮の事情は中々報道されないが、天候不良の影響は大きいと見た方が妥当と云う物で在ろうか。
昨日のネットニュースには松本で変異株の職場クラスターが発生したとの由で、全員が陽性反応を示したそうな。人付き合いの無い日々で在るから、それに対する雑情報は入って来ないが、娑婆では専ら話題に為って居るのだろう。
昨夜は動画に凶弾に倒れた中村哲医師の母校九州大学での『悼む会』の貼り付けを見付けて、その後嘗ての記者クラブでの先生の会見の模様が関連貼り付けされて在り、都合3時間近くを感涙に咽びながら拝聴した次第で在る。
現地スタッフの『師』を偲ぶビデオメッセージの数々を観て、現地では『聖人』と称せられて居たとの由。記者クラブでの先生のアフガニスタンの現状に就いての話は、マスメディア報道では絶対に知りえない現地の生情報に満ちた内容で在った。
人々の細々とした旧来の生活、イスラムの生活、タリバンの本質、電気は精ぜいが3%位で、それも停電の連続で、嘗ての自給自足生活は地球温暖化に因って万年雪の大洪水と、急峻な川の流れは、洪水の後は乾燥の大地として、砂漠化が深刻な進みを見せて居るそうな。
其れを淡々と語る中村先生の姿で在る。血筋に花と龍の玉井金五郎、その息子の日野葦平と居られる。『人は一代にして生まれず』の、一本の凛とした『侠気の体現者』の存在感充分のお人柄で在る。
5千、6千mの万年雪に覆われた高地の谷毎の土着の生活は、殆どが農業の自給自足経済で、土地が荒廃して砂漠化すれば、男達は金を得る出稼ぎの傭兵(政府軍・タリバン軍)と為らざるを得ないのが実情との由。
過酷な自然環境下での営々として築かれて来た『自給自足の土着文化』は、人一倍の土地、故郷に執着するので、土地さえ蘇れば、誰も武器を捨て、農具を取る事を至上の喜びとする生活文化と云う。古来統一された国家と云う物は存在せずに、緩い連合の態で、それは点と点を結ぶ国家の仕組みで、統一法は神と生活の隅々まで決められた生活法・イスラム法で在ると云う。
幸い、私は世界史を趣味のライフワークとして居るから、六信・五行のイスラムのコーランの教え、ウラマーの指導する社会体制、トルコの世界史登場、発展の原動力に為った傭兵、奴隷兵の歴史俯瞰も、それなりに知識として知ってる。
従って現地の映像、話を聞いてると、それらが具体的に結び合って理解されて来る。便利な時代で、世界地図と異った鮮明映像で地理とその中で営まれて居る生活実態を観る事が出来る。
正に『百聞は一見に如かず』のネット動画の有難さと云う処で在る。
本来なら、こんな好動画を一緒に観て、欧米中心の白人史観、白人側報道を『鵜呑み』を恥じて、第3の権力マスゴミの裏面を焙り出して『大人の教養観』を交えたい次第なのだが、友に恵まれないのが、現実の切無さと云う物で在る。
まぁ、9月に入ったら補助作業で宇都宮のSさん宅の屋根のペンキ塗り同行が在るとの由で在るから、往復の車中での兄弟話の一つに為る事で在ろう。
これは多分に妖怪様の血筋なのだろうが、他界するまで多方面に向学心を失わなかったご母堂さんは、何かと私に質問をして来て、応えて遣ると目を細めてニコニコ顔で聴いて居た物で在る。
そんな血筋なのだろうが、私も多方面に自然と好奇心が及んで、自分の持って居る範囲内であれこれと、相関関係、因果関係を整理、夢想するのが好きな性向で在る。
弟も何かと質問して呉れるから、会話に退屈し無いから有難い兄弟話が出来る次第で在る。
早逝して仕舞った一番仲の好かった三兄は、兄貴と云う立場と性格上で、命令口調で質問して、試験官の様な振りをして、合格点を出す物の『脅し文句』が、「おい、R坊、こう遣って答えられるのは誰のお陰だ。解ってるな。学生で勉強するのが、お前の仕事だ。時々、試験して試して遣るからな。」で、妖怪様に言わせると、子供の中で一番性格が親父に似て居たそうな。
膵臓癌で、親父もそうで在ったが、上京して見舞いに行くと、仲の好かった兄弟で頼りにして呉れて居たので、水差しの水も咽て呑み込めない程に衰えた姿で在った。
「馬鹿野郎。Gちゃん、口内が乾くんだろう。少しは頭を使え。飲もうとするな。この馬鹿野郎。口にさ、含んで少しずつ呑み込むんだよ。」
「おっ、そうか。やっぱり、お前は頭が良いわ。そうだ、これが好い。」
遺憾いかん、その時のシーンが蘇って、涙が込み上がって来て仕舞った。人間の寿命は有現の定めで、仕方の無い事で在る。生きて居る者は、『千の風に為って』では無いが、先逝って仕舞った者を思い出す事が、一番の『供養』と為る。
ラジオでは、長野の代表校の試合が始まった。時折の風に風鈴が鳴り、薄日の射しと成って来た。
庭サンダルに雨溜まりで、昨夜も少し降った様で在る。曇天の蒸し暑さに風のそよぎの朝で在る。農作物には大事な時期で在ろうから、雨の潤いが在ったとしても、日照不足で不良と成らねば好いのだが。自然相手の第一次産業は、何かと大変で在る。中狂、北朝鮮の事情は中々報道されないが、天候不良の影響は大きいと見た方が妥当と云う物で在ろうか。
昨日のネットニュースには松本で変異株の職場クラスターが発生したとの由で、全員が陽性反応を示したそうな。人付き合いの無い日々で在るから、それに対する雑情報は入って来ないが、娑婆では専ら話題に為って居るのだろう。
昨夜は動画に凶弾に倒れた中村哲医師の母校九州大学での『悼む会』の貼り付けを見付けて、その後嘗ての記者クラブでの先生の会見の模様が関連貼り付けされて在り、都合3時間近くを感涙に咽びながら拝聴した次第で在る。
現地スタッフの『師』を偲ぶビデオメッセージの数々を観て、現地では『聖人』と称せられて居たとの由。記者クラブでの先生のアフガニスタンの現状に就いての話は、マスメディア報道では絶対に知りえない現地の生情報に満ちた内容で在った。
人々の細々とした旧来の生活、イスラムの生活、タリバンの本質、電気は精ぜいが3%位で、それも停電の連続で、嘗ての自給自足生活は地球温暖化に因って万年雪の大洪水と、急峻な川の流れは、洪水の後は乾燥の大地として、砂漠化が深刻な進みを見せて居るそうな。
其れを淡々と語る中村先生の姿で在る。血筋に花と龍の玉井金五郎、その息子の日野葦平と居られる。『人は一代にして生まれず』の、一本の凛とした『侠気の体現者』の存在感充分のお人柄で在る。
5千、6千mの万年雪に覆われた高地の谷毎の土着の生活は、殆どが農業の自給自足経済で、土地が荒廃して砂漠化すれば、男達は金を得る出稼ぎの傭兵(政府軍・タリバン軍)と為らざるを得ないのが実情との由。
過酷な自然環境下での営々として築かれて来た『自給自足の土着文化』は、人一倍の土地、故郷に執着するので、土地さえ蘇れば、誰も武器を捨て、農具を取る事を至上の喜びとする生活文化と云う。古来統一された国家と云う物は存在せずに、緩い連合の態で、それは点と点を結ぶ国家の仕組みで、統一法は神と生活の隅々まで決められた生活法・イスラム法で在ると云う。
幸い、私は世界史を趣味のライフワークとして居るから、六信・五行のイスラムのコーランの教え、ウラマーの指導する社会体制、トルコの世界史登場、発展の原動力に為った傭兵、奴隷兵の歴史俯瞰も、それなりに知識として知ってる。
従って現地の映像、話を聞いてると、それらが具体的に結び合って理解されて来る。便利な時代で、世界地図と異った鮮明映像で地理とその中で営まれて居る生活実態を観る事が出来る。
正に『百聞は一見に如かず』のネット動画の有難さと云う処で在る。
本来なら、こんな好動画を一緒に観て、欧米中心の白人史観、白人側報道を『鵜呑み』を恥じて、第3の権力マスゴミの裏面を焙り出して『大人の教養観』を交えたい次第なのだが、友に恵まれないのが、現実の切無さと云う物で在る。
まぁ、9月に入ったら補助作業で宇都宮のSさん宅の屋根のペンキ塗り同行が在るとの由で在るから、往復の車中での兄弟話の一つに為る事で在ろう。
これは多分に妖怪様の血筋なのだろうが、他界するまで多方面に向学心を失わなかったご母堂さんは、何かと私に質問をして来て、応えて遣ると目を細めてニコニコ顔で聴いて居た物で在る。
そんな血筋なのだろうが、私も多方面に自然と好奇心が及んで、自分の持って居る範囲内であれこれと、相関関係、因果関係を整理、夢想するのが好きな性向で在る。
弟も何かと質問して呉れるから、会話に退屈し無いから有難い兄弟話が出来る次第で在る。
早逝して仕舞った一番仲の好かった三兄は、兄貴と云う立場と性格上で、命令口調で質問して、試験官の様な振りをして、合格点を出す物の『脅し文句』が、「おい、R坊、こう遣って答えられるのは誰のお陰だ。解ってるな。学生で勉強するのが、お前の仕事だ。時々、試験して試して遣るからな。」で、妖怪様に言わせると、子供の中で一番性格が親父に似て居たそうな。
膵臓癌で、親父もそうで在ったが、上京して見舞いに行くと、仲の好かった兄弟で頼りにして呉れて居たので、水差しの水も咽て呑み込めない程に衰えた姿で在った。
「馬鹿野郎。Gちゃん、口内が乾くんだろう。少しは頭を使え。飲もうとするな。この馬鹿野郎。口にさ、含んで少しずつ呑み込むんだよ。」
「おっ、そうか。やっぱり、お前は頭が良いわ。そうだ、これが好い。」
遺憾いかん、その時のシーンが蘇って、涙が込み上がって来て仕舞った。人間の寿命は有現の定めで、仕方の無い事で在る。生きて居る者は、『千の風に為って』では無いが、先逝って仕舞った者を思い出す事が、一番の『供養』と為る。
ラジオでは、長野の代表校の試合が始まった。時折の風に風鈴が鳴り、薄日の射しと成って来た。
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