長駄文館・・・何かと音の続き為り。
- 2021/09/24
- 14:54
本日は、何かと音の連続為り。(9/24/21)
今日は金曜日か、曜日を間違えて居た。日、曜日に雑な性質で在るから、これではロビンソン・クルソーには為れないし、記録係りにも為れない。話しをして居ると、時々、何年の時などと時の記憶の鮮明な人に遭遇して、付いて行けない事がしばしば在る。私にとっては月日など過去の溜まりの様な感覚で、同列の物で記憶のスイッチが入らない性質で在る。
ラジオでは中国とイスラエルの経済的歴史関係の深さと、仲の悪い中東でのイスラエル関係で、八方美人の経済優先主義がコンテナ港を巡っての米中の軋轢に発展して居るとの解説は好い知識と為った。
コンテナ港と云えば、中狂最大のコンテナ港の荷役を扱う会社が『コロナロックアウト』と為り、世界の物流がストップした為に、海運通い箱のコンテナが不足して、海為らず陸上物流もパンクして、運賃の高騰と流通を麻痺させて居るとの由。
その具体例を宇都宮のSが注文した船体が6か月以上も届かず、商売に為らないとボヤいて居た。『風が吹けば、桶屋が儲かる』では無いが、物流・海運の逼迫状況で、大儲けして居るのが『コロナワクチン製造会社』と『コンテナ製造会社』と云うので在るから、驚きで在る。
斯様にしてニュースも周辺に関連して居ると、総体と個々の関係が連結されて、具体的に理解出来るから、世界、経済の一体化が理解出来る次第で在る。
さてさて、睡蓮鉢にも陽が差して来て、グッピィ達も水面をゆるゆる泳ぎ始めて居る。餌を捲いて、キリギリスにも陽当てをして鳴きを聴いてから、私も朝飯の用意をすると致そう。
おやおや、通勤通学帯が去れば、ご近所から工事音の始まりで在る。朝飯後はラジオを聴きながらの朝風呂にのんびり浸かって、一日をスタートさせると致そう。何かと雑音は遣る気を削ぐもので在る。
この処、アゼルバイジャンの中年男性の野趣溢れる手っ久利利用理の動画を見て居るる羊を解体して肉料理、川で魚を捕まえての野外料理、水力による小麦の粉曳き、手作りの窯で焼くパン、それらを子供に振舞う動画で在る。
アゼルバイジャンは、カスピ海に面するカフカフ山脈が伸びる国で在る。趣味の世界絡みの地図が頭に入って居るから、彼の顔、招かれる子供達の顔、彼が暮らす山の風景などを見るのが、その主目的で在る。彼の顔付はアラブぽい、そして羊飼いの甥の顔はペルシャ(イラン)の顔で在る。相当なアラブ、イランの混同する遊牧の地なので在ろう。本では地名は歴史の履歴書と云う表現も使われて居る次第で、其処に暮らす人々の顔付も、歴史の履歴書なのだろうし、料理の具材、調理法もまた、民族歴史の履歴書の一端を現わして居て、好い勉強に為って居る次第で在る。
一度私はウクライナの生意気ライオン娘のナターシャに、日本人には見えずアゼルバイジャン人に似て居ると言って、アゼルバイジャンのニックネームを頂戴して居た。彼女の中のアゼルバイジャンの位置付けは、如何な物で在るかは不明な処では在ったが、それなりの興味を持って居た次第で在る。
歴史を辿れば、エジプトのハム族、メソポタミアのセム族、其処に侵入して来たのが印欧語族、シルクロードのソグド商人はイラン系と中東、中央アジアに掛けては、農耕民、遊牧民の違いは在れ、人種が入り混じり、混血化した地域で在る事には違い在るまい。甥同士で在っても、片やイラン系、片やアラブ系と云うのが、その間の顔の違いに現われて居るのが、面白い処で在る。四界を海で隔たれて居る日本と、陸続きの大陸との違いは、殊更、流行りのランドパワー、シーパワーの地政学の言葉を使わ無くとも、『百聞は一見に如かず』の納得さと云う物で在る。
水道も無く、川から水を引いて居る生活は、自給自足的に野菜を作っての燃料は気に頼って居る生活で在る。森の一部と見える野菜植えが興味を引く処にして、インゲンの利用法は豆として居るので、専らサヤ食べを常識として居る私の食生活とは次元の違いで在るし、トマト、ピーマンの多投には面食らうと同時に、肉主体の料理には欠かせない食材らしい。
スイカも面白い、スイカはウオーターメロンと云われて居るだけ在って、肉主体の料理に在っては、口直し、水替わりの食べ方で在る。別の動画を見ると、大量に採れるスイカは冬のジュース、皮はシップ漬けにして、冬の保存食として各家庭で瓶詰をして貯蔵するとの由。牛乳はバター、チーズ、肉は塩漬け、燻製、腸詰めと保存食の改良に努めた結果で、それが人類の一大発展の機動力と為った次第で在る。
ジャガイモ、トウモロコシ、トマト、カボチャ、ピーマン、唐辛子、ピーナッツ、マカオ豆・・・etcと西洋人が新大陸で得た食材の効用は格段に大きい。若し、これらが無かったら、人類の食卓は貧弱だったのだろうし、此処までの繁栄は望めなかったに違い無かろう。
昼はパン食とする。本日は程良い気温で在るから、洗濯物を干した後は、買い物を我慢して、キリギリスの声をBGMに少し廊下読書をして、頁進めの貯金をして置くと致そう。
今日は金曜日か、曜日を間違えて居た。日、曜日に雑な性質で在るから、これではロビンソン・クルソーには為れないし、記録係りにも為れない。話しをして居ると、時々、何年の時などと時の記憶の鮮明な人に遭遇して、付いて行けない事がしばしば在る。私にとっては月日など過去の溜まりの様な感覚で、同列の物で記憶のスイッチが入らない性質で在る。
ラジオでは中国とイスラエルの経済的歴史関係の深さと、仲の悪い中東でのイスラエル関係で、八方美人の経済優先主義がコンテナ港を巡っての米中の軋轢に発展して居るとの解説は好い知識と為った。
コンテナ港と云えば、中狂最大のコンテナ港の荷役を扱う会社が『コロナロックアウト』と為り、世界の物流がストップした為に、海運通い箱のコンテナが不足して、海為らず陸上物流もパンクして、運賃の高騰と流通を麻痺させて居るとの由。
その具体例を宇都宮のSが注文した船体が6か月以上も届かず、商売に為らないとボヤいて居た。『風が吹けば、桶屋が儲かる』では無いが、物流・海運の逼迫状況で、大儲けして居るのが『コロナワクチン製造会社』と『コンテナ製造会社』と云うので在るから、驚きで在る。
斯様にしてニュースも周辺に関連して居ると、総体と個々の関係が連結されて、具体的に理解出来るから、世界、経済の一体化が理解出来る次第で在る。
さてさて、睡蓮鉢にも陽が差して来て、グッピィ達も水面をゆるゆる泳ぎ始めて居る。餌を捲いて、キリギリスにも陽当てをして鳴きを聴いてから、私も朝飯の用意をすると致そう。
おやおや、通勤通学帯が去れば、ご近所から工事音の始まりで在る。朝飯後はラジオを聴きながらの朝風呂にのんびり浸かって、一日をスタートさせると致そう。何かと雑音は遣る気を削ぐもので在る。
この処、アゼルバイジャンの中年男性の野趣溢れる手っ久利利用理の動画を見て居るる羊を解体して肉料理、川で魚を捕まえての野外料理、水力による小麦の粉曳き、手作りの窯で焼くパン、それらを子供に振舞う動画で在る。
アゼルバイジャンは、カスピ海に面するカフカフ山脈が伸びる国で在る。趣味の世界絡みの地図が頭に入って居るから、彼の顔、招かれる子供達の顔、彼が暮らす山の風景などを見るのが、その主目的で在る。彼の顔付はアラブぽい、そして羊飼いの甥の顔はペルシャ(イラン)の顔で在る。相当なアラブ、イランの混同する遊牧の地なので在ろう。本では地名は歴史の履歴書と云う表現も使われて居る次第で、其処に暮らす人々の顔付も、歴史の履歴書なのだろうし、料理の具材、調理法もまた、民族歴史の履歴書の一端を現わして居て、好い勉強に為って居る次第で在る。
一度私はウクライナの生意気ライオン娘のナターシャに、日本人には見えずアゼルバイジャン人に似て居ると言って、アゼルバイジャンのニックネームを頂戴して居た。彼女の中のアゼルバイジャンの位置付けは、如何な物で在るかは不明な処では在ったが、それなりの興味を持って居た次第で在る。
歴史を辿れば、エジプトのハム族、メソポタミアのセム族、其処に侵入して来たのが印欧語族、シルクロードのソグド商人はイラン系と中東、中央アジアに掛けては、農耕民、遊牧民の違いは在れ、人種が入り混じり、混血化した地域で在る事には違い在るまい。甥同士で在っても、片やイラン系、片やアラブ系と云うのが、その間の顔の違いに現われて居るのが、面白い処で在る。四界を海で隔たれて居る日本と、陸続きの大陸との違いは、殊更、流行りのランドパワー、シーパワーの地政学の言葉を使わ無くとも、『百聞は一見に如かず』の納得さと云う物で在る。
水道も無く、川から水を引いて居る生活は、自給自足的に野菜を作っての燃料は気に頼って居る生活で在る。森の一部と見える野菜植えが興味を引く処にして、インゲンの利用法は豆として居るので、専らサヤ食べを常識として居る私の食生活とは次元の違いで在るし、トマト、ピーマンの多投には面食らうと同時に、肉主体の料理には欠かせない食材らしい。
スイカも面白い、スイカはウオーターメロンと云われて居るだけ在って、肉主体の料理に在っては、口直し、水替わりの食べ方で在る。別の動画を見ると、大量に採れるスイカは冬のジュース、皮はシップ漬けにして、冬の保存食として各家庭で瓶詰をして貯蔵するとの由。牛乳はバター、チーズ、肉は塩漬け、燻製、腸詰めと保存食の改良に努めた結果で、それが人類の一大発展の機動力と為った次第で在る。
ジャガイモ、トウモロコシ、トマト、カボチャ、ピーマン、唐辛子、ピーナッツ、マカオ豆・・・etcと西洋人が新大陸で得た食材の効用は格段に大きい。若し、これらが無かったら、人類の食卓は貧弱だったのだろうし、此処までの繁栄は望めなかったに違い無かろう。
昼はパン食とする。本日は程良い気温で在るから、洗濯物を干した後は、買い物を我慢して、キリギリスの声をBGMに少し廊下読書をして、頁進めの貯金をして置くと致そう。
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