長駄文館・・・秋落ち葉に、爺タイム為り。
- 2021/10/31
- 14:10
秋落ち葉の爺タイムをする為り。(10/31/21)
今日で10月も終わりで在るか、靄の掛かった暖かい朝で在る。小部屋から見る庭は散髪が終わったスッキリした佇まいに、山ツツジの二期咲の赤と小菊の黄、サツキの回りの薄紫の小菊の花と、色付き始めた南天の実が、動かずに朝日を待って居る様で、静寂その物で在る。
振り返れば、10月はボランティアの河川敷草刈と共に、早いタイミングで庭木の散髪をスタートさせて、残るは四畳半脇のコブシだけと為った。
芽吹き時の霜害で19個の生りだけで在った。その内の一つは枝落とし時の熟しで、梯子上で味見をして、2個は絵を描きたいと云う視も知らずの80代婆さんにで、残りの16個は熟し柿を好物とした妖怪様のお供えとして熟しを待って居る次第で在る。
散歩時では軒下、ベランダの吊るし柿も出て来て、柿簾の無い今年の寂しさと云った感で在る。尤も柿採り、皮剥き、吊るしの無い分、庭木の散髪が早くスタートした訳で在るが・・・。
本日は衆院選の投票日で在るから、飯前に国民の権利と義務をして来ると致そう。廊下から流れるクラシックのお時間の音楽の泉を聴きながら、モーニングコーヒーと煙草のショート吸いをしての灰色空の眺めをして居る。Sがそろそろ庭でのバーベキューをしないとなと云って居たので、それなりの庭の整理が出来て同級生コンビでの歳時季の一駒とも為ろうか。
世界史のお時間は別本の名著『国民の歴史』に移って、何度読んでもその力量にグイグイ惹き込まれて、歴史教科書の行間を読む上の羅針盤とさせて頂いて居る次第で在る。
私はライフワーク、物事を観る基軸としての世界史として居るから、思索には欠かせないアングルで在る。そして、言葉は一切理解出来無いが、便利なネットの時代で世界地図でマーキングした歴史地域の風景、その暮らしが映像で見られるし、外国映画などを見て居ても映画を通して、歴史の一面もお浚い出来る。
この時代にお役御免の好きな事をして居られる好環境に幸運さを感謝する次第で在る。男族の有名人の訃報ニュースでは80代が多いから、私も先は後10年位と思って居る。
人間、先の事は分らないが、健康を持続させてお呼びが掛かるまで、このペースで逝きたい物と考えて居る次第で在る。生きて居ても病人、脳障害者と為れば、一完の終わりで在る。生物としては、肉体の老衰は不可避の現実では在るが、頭だけは最後まで確りさせて置いて貰わないと困る。人畜無害の寂滅戯け道には最後まで頭の健康の維持は、一番の希望とする次第で在る。
さて、投票に行って来ると致そう。
行けば、おやおや、県会補欠、小選挙区、比例区、最高裁判事と投票の多さで在る。終了すると、区の選挙委員長さんから起立を受けての日頃の河川敷草刈のボランティアへの感謝の意を頂戴して仕舞った。私はその人を存じ上げないが、何やら、私は有名人らしい。
公民館後ろの色付いた柿は、渋柿で在る。その横には小柿の生りで在る。どちらも熟して来ると、野鳥の貴重な冬の食料と為る。帰りは土手道に出て、帰って来ると厚着をした男女の散歩姿で、何やら大きな声で喋って居る。擦り違えば、東南アジア系の外国語で在った。
西の空に僅かばかりの青空で、本日は気温の上昇が期待出来無い曇天の進みらしい。
ブログを終了させて、朝飯としようとすると、Yから電話で在る。これから買い物に出るので、先に寄るか、後で寄るかとの事で在るから、どっちでも好いぞと云うと、先に行くとの由。
本日は寒いから、電気カーペートをONとしてストーブを点火して置く。お~おい、来たぞで辛子大根のネズミ大根2、普通大根1の土付き青々と茂った葉付きで在る。
「やぁやぁ、何時も差し入れサンキュー。葉も余す処無く腹に収めて、上仏させて遣るわいね。」
「そうそう、Rの処に持って来れば、自家製野菜達も上仏出来るからな。アハハ。」
子の結婚式でモーニングの丈合わせで上京して、不在者投票を済ませて来たとの由。相変わらずコロコロシタ短躯小太りのYは元気な姿で在る。町会、ご近所さんの摩擦話をゲラゲラ笑いながら、吾が町会の同様話を披露したり、女族様の退き下ろし談義に、女房殿、天敵女殿の同席が在れば、立ち処に頭から雑巾バケツの汚水をお見舞いされて、熟年離婚の『三行半』を頂戴するのは、必至では在ろうが、障子に目、壁に耳も皆無の極彩色戯画の妄想窟で在るから、言ったもの勝ちの『自由空間』で在る。
いやはや、口から出任せ放題とは云う物の、お互い爺連の世間様への口撃は、止まる処知れずの百薬の長タイムと相成った。お互い、未だ未だ余程の事が無い限り、お呼びが掛からない事で在ろうか。ギャハハのハの秋落葉の爺タイムで在った。
今日で10月も終わりで在るか、靄の掛かった暖かい朝で在る。小部屋から見る庭は散髪が終わったスッキリした佇まいに、山ツツジの二期咲の赤と小菊の黄、サツキの回りの薄紫の小菊の花と、色付き始めた南天の実が、動かずに朝日を待って居る様で、静寂その物で在る。
振り返れば、10月はボランティアの河川敷草刈と共に、早いタイミングで庭木の散髪をスタートさせて、残るは四畳半脇のコブシだけと為った。
芽吹き時の霜害で19個の生りだけで在った。その内の一つは枝落とし時の熟しで、梯子上で味見をして、2個は絵を描きたいと云う視も知らずの80代婆さんにで、残りの16個は熟し柿を好物とした妖怪様のお供えとして熟しを待って居る次第で在る。
散歩時では軒下、ベランダの吊るし柿も出て来て、柿簾の無い今年の寂しさと云った感で在る。尤も柿採り、皮剥き、吊るしの無い分、庭木の散髪が早くスタートした訳で在るが・・・。
本日は衆院選の投票日で在るから、飯前に国民の権利と義務をして来ると致そう。廊下から流れるクラシックのお時間の音楽の泉を聴きながら、モーニングコーヒーと煙草のショート吸いをしての灰色空の眺めをして居る。Sがそろそろ庭でのバーベキューをしないとなと云って居たので、それなりの庭の整理が出来て同級生コンビでの歳時季の一駒とも為ろうか。
世界史のお時間は別本の名著『国民の歴史』に移って、何度読んでもその力量にグイグイ惹き込まれて、歴史教科書の行間を読む上の羅針盤とさせて頂いて居る次第で在る。
私はライフワーク、物事を観る基軸としての世界史として居るから、思索には欠かせないアングルで在る。そして、言葉は一切理解出来無いが、便利なネットの時代で世界地図でマーキングした歴史地域の風景、その暮らしが映像で見られるし、外国映画などを見て居ても映画を通して、歴史の一面もお浚い出来る。
この時代にお役御免の好きな事をして居られる好環境に幸運さを感謝する次第で在る。男族の有名人の訃報ニュースでは80代が多いから、私も先は後10年位と思って居る。
人間、先の事は分らないが、健康を持続させてお呼びが掛かるまで、このペースで逝きたい物と考えて居る次第で在る。生きて居ても病人、脳障害者と為れば、一完の終わりで在る。生物としては、肉体の老衰は不可避の現実では在るが、頭だけは最後まで確りさせて置いて貰わないと困る。人畜無害の寂滅戯け道には最後まで頭の健康の維持は、一番の希望とする次第で在る。
さて、投票に行って来ると致そう。
行けば、おやおや、県会補欠、小選挙区、比例区、最高裁判事と投票の多さで在る。終了すると、区の選挙委員長さんから起立を受けての日頃の河川敷草刈のボランティアへの感謝の意を頂戴して仕舞った。私はその人を存じ上げないが、何やら、私は有名人らしい。
公民館後ろの色付いた柿は、渋柿で在る。その横には小柿の生りで在る。どちらも熟して来ると、野鳥の貴重な冬の食料と為る。帰りは土手道に出て、帰って来ると厚着をした男女の散歩姿で、何やら大きな声で喋って居る。擦り違えば、東南アジア系の外国語で在った。
西の空に僅かばかりの青空で、本日は気温の上昇が期待出来無い曇天の進みらしい。
ブログを終了させて、朝飯としようとすると、Yから電話で在る。これから買い物に出るので、先に寄るか、後で寄るかとの事で在るから、どっちでも好いぞと云うと、先に行くとの由。
本日は寒いから、電気カーペートをONとしてストーブを点火して置く。お~おい、来たぞで辛子大根のネズミ大根2、普通大根1の土付き青々と茂った葉付きで在る。
「やぁやぁ、何時も差し入れサンキュー。葉も余す処無く腹に収めて、上仏させて遣るわいね。」
「そうそう、Rの処に持って来れば、自家製野菜達も上仏出来るからな。アハハ。」
子の結婚式でモーニングの丈合わせで上京して、不在者投票を済ませて来たとの由。相変わらずコロコロシタ短躯小太りのYは元気な姿で在る。町会、ご近所さんの摩擦話をゲラゲラ笑いながら、吾が町会の同様話を披露したり、女族様の退き下ろし談義に、女房殿、天敵女殿の同席が在れば、立ち処に頭から雑巾バケツの汚水をお見舞いされて、熟年離婚の『三行半』を頂戴するのは、必至では在ろうが、障子に目、壁に耳も皆無の極彩色戯画の妄想窟で在るから、言ったもの勝ちの『自由空間』で在る。
いやはや、口から出任せ放題とは云う物の、お互い爺連の世間様への口撃は、止まる処知れずの百薬の長タイムと相成った。お互い、未だ未だ余程の事が無い限り、お呼びが掛からない事で在ろうか。ギャハハのハの秋落葉の爺タイムで在った。
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