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長駄文館・・・動かずば、お天道さんの罰が当たる好天為り。

                動かずば、罰が当たる好天為り。(11/3/21)
 快晴の朝で在る。ゴミ出しは未だ好いから、台所の洗い物をして、自転車を出して全戸開放の空気の一掃、小部屋入りして、モーニングコーヒーとする。余りの快晴振りに土手に出て、会館回りの欅、桜、銀杏の紅葉、黄葉、西の空に掛かる刷毛雲、アルプスの冠雪のコントラスト、河川敷の草刈のスッキリ感に散歩気分と為ったが、土手の大欅の落ち葉の溜まりを見れば、嗚呼、始まったかの諦めで在る。竹箒を持って来ての落ち葉掃きをして、菜園の落ち葉溜めに掃き込んで置く。本日は、文化の日の旗日で在る。

 昨日は鳴かず終いのキリギリスは案の定、死んで仕舞った。好く付き合って呉れて、有り難かったお別れで在る。お天気も好いし、とうとう始まった落ち葉の攻勢で在る。朝飯前の一仕事で、四畳半脇のコブシの枝落としをすると致そう。

 心友Tの言葉では無いが、遣る事が在ると云うのは有難い事だから、歳を考えて愉しみとしてボチボチして行くのが、歳の効さ。R見たいに一気呵成は、モード替えをして行くのが、歳の歩みだぜ。

 昨日の悪態三昧の金持ち親父の『寂しい寂しい、疲れた。死にたい死にたい』の醜態振りと比較すると、胃癌、膵臓癌を患っての体力の衰退も在ったのだろうが、出来る範囲の事を探して、体力と相談しながら、する事を見付けて自分を保つ・・・口には出さなかったが、そんな残された日々を送って居たのだろうと解って来た次第で在る。

 就学前に父親を亡くした所為で在ろうが、人の生死には或る種の諦観が形成されて行った様で、死んだからと云って、小説、映画、歌の世界の様な慟哭も落胆も然程無く、生死の関係無く、人は心の中に住み続ける。生物で在る以上、別離は不可避の理で在るから、それに拘るのは余り意味の無い事で、仕方が無いとして居る。要は心に生き続ける者との対話が維持出来て居れば、生死に拘る必要は無いし、宗教にのめり込む必要も無いと考えて居る次第で在る。

 動かずば、お天道さんの罰が当たる好天で在る。さて、9時で在るか。区切りで在るから、炊飯器ONとして、コブシの枝落とし作業を開始すると致そう。へへへ。

 朝飯をササッと済ませて、脚立、手ノコ、剪定鋏とそのビック版を出しての、今年の枝伸びの全カット作業とする。一年掛けての葉で在るから、葉を粗末に扱う事は出来ない。落葉の始まった葉は、付け根を軽く押せば簡単に外れる。枝から葉を落して、葉は土に還元すべしで在る。面倒だが、本日分作業としては時間は要するだろうが、体に負担は掛からない。
 ラジオの立川談志の落語特集を聴きながらの、気分の好い外仕事とする。葉は下のツツジ、サツキなどの防寒、腐葉土としてギュウギュウの押し込めとし、枝は腰掛けてのカットをして剪定ゴミの大袋詰めとする。作業終了と為れば、1時半で在る。いやはや、疲れたが、親分無しの子分無しのマイリズムで出来るのは、私の性に合って居る。脚立、手道具を片付ければ、上も下もスッキリの応えで、運動細胞としては達成感の気分で在る。

 子供は親が居ても居なくても、育つでは無いが、仕事は一人でも遣った分、応えて呉れる物で在る。人間、遣る事が在れば、詮無き事も考えずに身体を動かせば、時間は過ぎて行く物で在る。達成感は一面疲労感でも在るから、昼は食べれそうも無いから、リンゴを入れて置けば好かろう。役員会の後、5時半から公民館で弁当でのボランティア慰労会をして呉れるそうな。これも町会お付き合いの内で在るから、素直に受けるべしで在る。へへへ。


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