長駄文館・・・無風の晴天為り。
- 2021/11/19
- 14:08
無風の晴天為り。(11/19/21)
昨日は主本に書き込みを入れようとしたら、漢字が書けない。字引代わりにPC出ししての書き写しの情けなさで在る。遺憾いかん・・・字は読めるが書けないPC頼りの体たらく振りが日常化して居る。若者がスマホ、スマホに転落して居るのを、批判出来ない醜態で在る。
戯けでは在るが、馬鹿では無いの『自負心喪失』の態で在る。人間、恥に気付いたら、反省と修正をして置かなければ、素直さの欠落にして筋は保たれない次第で在る。
本日は雲一つない晴天にして、明日は弟とのドライブ日で在るから、主本を読みながらの字書きをして、反省日とするべしで在る。
今朝の夢見は、そんな事は口に出した覚えは無いが女に踏み込まれて、アジャジァの対応策に大わらわの処に、弟が約束だ飯を食いに行こうの連れ出しで『渡りに船』の脱出が出来た次第で在った。夢の出処は多分に、共にKKイニシャル母子に纏わるネット見から来て居るのは、明らかな次第で在った。兎角、神世の時代から男女間のゴシップは興味を増すジャンルで在るから、漢字は忘れても有る事無い事の妄想遊びと為って来るのだろう。
サラリーマン時代の先輩さんからも、母親側の新情報を頂戴して、騙される男側の戒めとした次第で在る。声色、表情名人のYに掛かって仕舞うと、即興のゴシップライブに及んで仕舞うので、畏れ多い領域ながら『抱腹舌笑』と為って仕舞う。そんなYの罵詈雑言を拝聴して居ると、私の生活は極彩色の戯画廊に棲み付く妄想権化親父の様と散々に扱き下されて居るのだが、何の事は無い。Yの方が天賦の才能の持ち主と云う事で在る。
いやはや、学業の方が奮わなかったのも、道理と頷ける次第で在った。
昨日は精読の息抜きに、庭に溜め置いた枝から葉を扱いて、枝葉を分離させて葉を妖怪様の牡丹部分に押し込んで置いた。上の方は乾燥が進んで落ちたが、下の方は未だ水分が残って居て、暫くの乾燥を必要とする。陽の在る内の散歩として居るが、他のジョービタキとの遭遇を期待しながらの観察歩きをして居るのだが、不思議な事に其れなりの集団で渡って来る筈なのだが、一羽たりとも見えぬ次第で在る。
無風の晴天に陽を浴びた廊下の真紅のアザレアの艶やかさは、中々に品が在る。庭の二期咲きと成った山ツツジの花は、春と違って大した花持ちの長さと成って居る。この処、シジューカラの番は一向に姿を見せないし、猫も姿を見せない。今年は軒下の柿簾が無いので、蜜吸いの昆虫達も集まらない。
さてさて、飯も炊けて腹も空いて来たから、飯後は風呂に浸かって、血の巡りを好くして、サンルームの廊下での自書きを入れての反省日と致しましょうかね。好天続きで、大根の天日干しも順調の運びで在るし、昨日の枝移動も在るし、息抜きの外気吸いには申し分の無い雰囲気で在る。
風呂上がり、再度の全戸開放。
廊下の日差しに、ラジオ朗読をBGMに茶を飲む。
無風晴天に通う外気の暖かさ為り。
洗濯機回り、初冬に飛ぶ虫達と晴天を分かち合う為り。
河川敷からは昨日に続き、園児らの声響く為り。
何を不足とするか、言う事無し。
吾は廊下に座布団敷き、暫しのお勉強タイムを開始する為り。
昨日は主本に書き込みを入れようとしたら、漢字が書けない。字引代わりにPC出ししての書き写しの情けなさで在る。遺憾いかん・・・字は読めるが書けないPC頼りの体たらく振りが日常化して居る。若者がスマホ、スマホに転落して居るのを、批判出来ない醜態で在る。
戯けでは在るが、馬鹿では無いの『自負心喪失』の態で在る。人間、恥に気付いたら、反省と修正をして置かなければ、素直さの欠落にして筋は保たれない次第で在る。
本日は雲一つない晴天にして、明日は弟とのドライブ日で在るから、主本を読みながらの字書きをして、反省日とするべしで在る。
今朝の夢見は、そんな事は口に出した覚えは無いが女に踏み込まれて、アジャジァの対応策に大わらわの処に、弟が約束だ飯を食いに行こうの連れ出しで『渡りに船』の脱出が出来た次第で在った。夢の出処は多分に、共にKKイニシャル母子に纏わるネット見から来て居るのは、明らかな次第で在った。兎角、神世の時代から男女間のゴシップは興味を増すジャンルで在るから、漢字は忘れても有る事無い事の妄想遊びと為って来るのだろう。
サラリーマン時代の先輩さんからも、母親側の新情報を頂戴して、騙される男側の戒めとした次第で在る。声色、表情名人のYに掛かって仕舞うと、即興のゴシップライブに及んで仕舞うので、畏れ多い領域ながら『抱腹舌笑』と為って仕舞う。そんなYの罵詈雑言を拝聴して居ると、私の生活は極彩色の戯画廊に棲み付く妄想権化親父の様と散々に扱き下されて居るのだが、何の事は無い。Yの方が天賦の才能の持ち主と云う事で在る。
いやはや、学業の方が奮わなかったのも、道理と頷ける次第で在った。
昨日は精読の息抜きに、庭に溜め置いた枝から葉を扱いて、枝葉を分離させて葉を妖怪様の牡丹部分に押し込んで置いた。上の方は乾燥が進んで落ちたが、下の方は未だ水分が残って居て、暫くの乾燥を必要とする。陽の在る内の散歩として居るが、他のジョービタキとの遭遇を期待しながらの観察歩きをして居るのだが、不思議な事に其れなりの集団で渡って来る筈なのだが、一羽たりとも見えぬ次第で在る。
無風の晴天に陽を浴びた廊下の真紅のアザレアの艶やかさは、中々に品が在る。庭の二期咲きと成った山ツツジの花は、春と違って大した花持ちの長さと成って居る。この処、シジューカラの番は一向に姿を見せないし、猫も姿を見せない。今年は軒下の柿簾が無いので、蜜吸いの昆虫達も集まらない。
さてさて、飯も炊けて腹も空いて来たから、飯後は風呂に浸かって、血の巡りを好くして、サンルームの廊下での自書きを入れての反省日と致しましょうかね。好天続きで、大根の天日干しも順調の運びで在るし、昨日の枝移動も在るし、息抜きの外気吸いには申し分の無い雰囲気で在る。
風呂上がり、再度の全戸開放。
廊下の日差しに、ラジオ朗読をBGMに茶を飲む。
無風晴天に通う外気の暖かさ為り。
洗濯機回り、初冬に飛ぶ虫達と晴天を分かち合う為り。
河川敷からは昨日に続き、園児らの声響く為り。
何を不足とするか、言う事無し。
吾は廊下に座布団敷き、暫しのお勉強タイムを開始する為り。
スポンサーサイト