長駄文館・・・朝のウォーミングアップをした為り。
- 2021/11/20
- 11:54
朝のウォーミングアップ後は、下り坂のお天気さん為り。(11/20/21)
今朝は久し振りの曇天で在る。6時台の起床で何時もより1時間強の起床で在る。昨日は古希坂親父にしては、真面目な反省に立っての『書き込みお勉強タイム』としたので、些か疲れて仕舞い、早目の就寝と成って仕舞った。お勉強タイムり息抜きに枝葉の整理をしたり、風呂浸かり、洗濯、落ち葉掃きなどをしての身体動かしも挟んで置いたので、其れなりのバランスが採れて居た。
晩飯後は『時間よ止まれ』の渥美清、小林圭樹、市原悦子のドラマスペシャルが秀逸で、それがお勉強タイムのご褒美と為った次第で在る。特に小林圭樹の重厚にして、凄味、人情味を兼ね備えた演技、その行間を支える様な市原の演技が、渥美の執拗な時効目前に迫った刑事と上手く重ね合って居た。三人の共通性は満州引き揚げ孤児が心の中に負った人生の深い闇の部分で在った。こう云った作品はどんなに名作で在ろうと、その時代を体験して来ないと生まれて来ない。原作、脚色、監督、俳優陣とドラマを構成する『時代の体験感性』と云う物が、共有化されて居ないと生まれて来ない秀作の一本と云っても好かろう。
近時、すっかりアンチョコと為り下がった瓦版のKKゴシップの連写を見るに付けて、『嗚呼、昭和は遠く去りにけり』の日本人の精神の劣化振りを『情け無し』と感じる次第で在る。一時、おもてなし、寄り添う、共感なんて語感の響きの好さに流行った言葉が在ったが、感性が廃れて来れば、それは一過性のフィーリング用語として使用頻度を亡くして行く言の葉の示しだけで在る。
興味の無い周りからは、歴史を過去と見るだけで、何処がそんなに面白いのかと敬遠されて仕舞うのが『落ち』では在るが、私としては読めば読む程に、知れば知る程に、人類の足跡史は記述されて居ない行間に、含蓄を含む脳内散策の糧と為って、過去現在未来を参照する記述とも為る。従って脳味噌が呆けるまでは、この儘のペースで時間割の地位を占める事で在ろう。
さてさて、時間は早いが少し息抜きタイムをして来ると致そうか。
庭の整理が出来て来ると、相対比較で取り残し部分が、浮き上がって来る物で在る。ムラサキツユ草は、根の張る多年草の厄介物で在る。植性の衰えて居る間に、根を掘り起こして整理をして置くべしで在る。剣スコで掘り起こして、土を払えば、地は石コロだらけの中身で在る。その凹みに川砂を補充して置くかで、バケツを持って川に下りれば、殆ど採り尽くした箇所の奥に其れなりの堆積を見付け、バケツ2杯を落ち葉被せの砂の上に補充出来て、春の土目の厚さと為ろう。放置すれば雑草に占拠されるのみ為れど、花の種を蒔けば、その成長を愉しむ手が雑草の引き抜きとも為る。こんな事をして居る内に、エンジンが掛かって仕舞い、落ち葉掻き、掃きをして好い朝のウォーミングアップタイムと相成った。
本日は弟とのドライブ話が在る。何処まで遠征するかは不明だが、内容の濃い話で弾む事で在ろう。場合によっては陸船での一泊が在るのかも知れぬが、男兄弟の番から体質で在るから、事前に如何のこうのと云った『下らなさ不要』の、出た処の気分次第行動を好しとして居る処が、リラックス出来る次第なので在る。
Tもそうで在ったが、兄貴の親友なら間違いが無い俺の先輩だと言って、弟とも親交の深かった二本線気質で在った。そんな関係の中で、仲の好かった亡三兄の親友だった、車の解体修理屋のH先輩とは、好い話が出来る数少ない知己を得て居る次第で在る。
筋の通った個性派は表情豊かで、話の中身も人生の年輪が刻まれて居て、得る処大で在るから有難い物で在る。皆さん、小林圭樹さん並の貫禄在る実在感が、私の鑑賞対象と為って居るから『貴重種の範疇』と云った次第で在る。
9時近くに成ると、お天気さんは完全に曇天と成り、大分寒い空気と成って来た。無風曇天に、物干しの洗濯物、干し台に並ぶ大根とその上のカサカサした楓の紅葉が寒々と見えて来るから、困った物で在る。そんな庭の佇まいに、朝のウォーミングアップは好いタイミングで在った。
本日土曜日にして、ラジオは大人の時間帯で在る。さてさて、腹も空いて来たから飯として、本日分ブログの字数も頃合いと成って来た次第で在るから、弟が来るまでの時間をコタツ読書とすると致そう。
今朝は久し振りの曇天で在る。6時台の起床で何時もより1時間強の起床で在る。昨日は古希坂親父にしては、真面目な反省に立っての『書き込みお勉強タイム』としたので、些か疲れて仕舞い、早目の就寝と成って仕舞った。お勉強タイムり息抜きに枝葉の整理をしたり、風呂浸かり、洗濯、落ち葉掃きなどをしての身体動かしも挟んで置いたので、其れなりのバランスが採れて居た。
晩飯後は『時間よ止まれ』の渥美清、小林圭樹、市原悦子のドラマスペシャルが秀逸で、それがお勉強タイムのご褒美と為った次第で在る。特に小林圭樹の重厚にして、凄味、人情味を兼ね備えた演技、その行間を支える様な市原の演技が、渥美の執拗な時効目前に迫った刑事と上手く重ね合って居た。三人の共通性は満州引き揚げ孤児が心の中に負った人生の深い闇の部分で在った。こう云った作品はどんなに名作で在ろうと、その時代を体験して来ないと生まれて来ない。原作、脚色、監督、俳優陣とドラマを構成する『時代の体験感性』と云う物が、共有化されて居ないと生まれて来ない秀作の一本と云っても好かろう。
近時、すっかりアンチョコと為り下がった瓦版のKKゴシップの連写を見るに付けて、『嗚呼、昭和は遠く去りにけり』の日本人の精神の劣化振りを『情け無し』と感じる次第で在る。一時、おもてなし、寄り添う、共感なんて語感の響きの好さに流行った言葉が在ったが、感性が廃れて来れば、それは一過性のフィーリング用語として使用頻度を亡くして行く言の葉の示しだけで在る。
興味の無い周りからは、歴史を過去と見るだけで、何処がそんなに面白いのかと敬遠されて仕舞うのが『落ち』では在るが、私としては読めば読む程に、知れば知る程に、人類の足跡史は記述されて居ない行間に、含蓄を含む脳内散策の糧と為って、過去現在未来を参照する記述とも為る。従って脳味噌が呆けるまでは、この儘のペースで時間割の地位を占める事で在ろう。
さてさて、時間は早いが少し息抜きタイムをして来ると致そうか。
庭の整理が出来て来ると、相対比較で取り残し部分が、浮き上がって来る物で在る。ムラサキツユ草は、根の張る多年草の厄介物で在る。植性の衰えて居る間に、根を掘り起こして整理をして置くべしで在る。剣スコで掘り起こして、土を払えば、地は石コロだらけの中身で在る。その凹みに川砂を補充して置くかで、バケツを持って川に下りれば、殆ど採り尽くした箇所の奥に其れなりの堆積を見付け、バケツ2杯を落ち葉被せの砂の上に補充出来て、春の土目の厚さと為ろう。放置すれば雑草に占拠されるのみ為れど、花の種を蒔けば、その成長を愉しむ手が雑草の引き抜きとも為る。こんな事をして居る内に、エンジンが掛かって仕舞い、落ち葉掻き、掃きをして好い朝のウォーミングアップタイムと相成った。
本日は弟とのドライブ話が在る。何処まで遠征するかは不明だが、内容の濃い話で弾む事で在ろう。場合によっては陸船での一泊が在るのかも知れぬが、男兄弟の番から体質で在るから、事前に如何のこうのと云った『下らなさ不要』の、出た処の気分次第行動を好しとして居る処が、リラックス出来る次第なので在る。
Tもそうで在ったが、兄貴の親友なら間違いが無い俺の先輩だと言って、弟とも親交の深かった二本線気質で在った。そんな関係の中で、仲の好かった亡三兄の親友だった、車の解体修理屋のH先輩とは、好い話が出来る数少ない知己を得て居る次第で在る。
筋の通った個性派は表情豊かで、話の中身も人生の年輪が刻まれて居て、得る処大で在るから有難い物で在る。皆さん、小林圭樹さん並の貫禄在る実在感が、私の鑑賞対象と為って居るから『貴重種の範疇』と云った次第で在る。
9時近くに成ると、お天気さんは完全に曇天と成り、大分寒い空気と成って来た。無風曇天に、物干しの洗濯物、干し台に並ぶ大根とその上のカサカサした楓の紅葉が寒々と見えて来るから、困った物で在る。そんな庭の佇まいに、朝のウォーミングアップは好いタイミングで在った。
本日土曜日にして、ラジオは大人の時間帯で在る。さてさて、腹も空いて来たから飯として、本日分ブログの字数も頃合いと成って来た次第で在るから、弟が来るまでの時間をコタツ読書とすると致そう。
スポンサーサイト