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長駄文館・・・うだうだと為り。

               世の中、立場の違いで争うばかり為り。(1/26/22)
 車が走り出したか。今日も朝が来たかで在る。古希坂に入ると締まりが緩んで、尿意が我慢出来ずに、ウカウカ温い布団の中での夢現の時が過ごせないのが忌々しい限りで在る。締りの無さは水道の蛇口を捻ると、条件反射で一物の根元を抑え込んで、トイレに走る次第で在るから、情け無しの次第で在る。そんな間一髪の失禁が、抑えられる男族の体の仕組みに有難さを感じて居る。

  私は女では無いし、残念ながらそれを聞く相手も居ないから、加齢期の女族のトイレ事情は大変と想像して居る次第でも在る。

 ラジオ、ネットニュースでは、ロシアのウクライナ侵攻の悪辛さに非難轟々の様で在る。丁度、教養人の世界史・上の古代ローマの属州に対する傍若無人な苛斂誅求の裏エピソードの章に差し掛かって居るので、ロシア皇帝プーチンさんは、古代帝国ローマの将軍、政治家、皇帝達の悪辣非道さとダブって仕舞う次第で在る。学校の教科書には精々が奴隷剣闘士のスパルタクスの反乱位しか記述されて居ないが、属州に於いては何回も大規模な反乱が繰り返されて居たそうな。

 丁度、国会会期中で日本の脆弱な防衛に対する法整備の不備に、維新を中心に国防問題が提起されて居る。政治、軍事、経済、企業、私人とて、状況に際して『合従連衡策』を以って、対処して行くのが生理と云う物で在る。善隣外交、同盟外交、集団安全保障、資本・技術提携、企業合同、独占寡占に対する制限策の独禁法、拒否権保有国の常任理事国、非常任理事国制・・・etcと共存の平和則は経験値による策としては在るが、有事の際には中々にタイムリーな対処力を発揮出来無いのが、人間界の哀しさ、限界と云う物で在る。

 寛一、お宮の金の切れ目は縁の切れ目では無いが、強国・盛国とて、奢る平氏、久しからずやで、世の栄枯衰退は、一門、国も生物体で在るから、パックス・ロマーナ、パックス・イスラミーナ、パックス・モンゴル、パックス・ブリタニカ、パッサクス・アメリカ・・・etcと絶えず君臨する強国・盛国の流動性は避けて通れないのが生物界の潮流で在る。

 然しながら合従連衡の策とて、自国の防衛を丸投げしては自立自尊の誇りも活力も維持出来ないのが基本体で在る。前にロシア、ウクライナを大阪城の外堀、内堀に例えて打った次第では在るが、権謀術作の仕手戦、実力行使の過程を傍観視して居ても、国家指導者の舵取りは常人のレベルでは無い。個人的にはあーだこーだと云えるが、国家指導者の動機、状況判断、突破力、結果責任と為れば、刻々と変動する状況に如何に対処指揮を取るかの連続なのだろう。

     一線を越えれば、座して衰国を目するか、衰退ベクトルを阻止する挙を選択するか。

 天の利、地の利、人の利の天地人の『成功の三位一体』の訓えが大和思想には在る。武人には常在戦場、政治(まつりごと)には民意を聞いて改良・改革する平時の策も、有事に於ける民意を束ねて指導する策も在る。

 ラジオのニュースを聴いて居ると、国際連盟、国際連合と其々に殆ど功を奏して来なかった国際機関の足並みが揃って来て、第二次世界大戦後の連合国会議の大目玉5大国の拒否権の終焉を迎えるターニングポイントを示す契機に為りそうな流れと為って来た模様で在る。
何事も根底は同じで、『○○の平和』と云う体制も其れほどの期間が保障されて居る訳では無い。第二次大戦終了後77年の経過で在る。国際連合の耐用年数も終焉の時を迎えての寡頭政治から加盟国連合の民主連合への端境期に突入するメイキングエポックに為るかの注視をさせて貰って居る次第で在る。

私はお人好しにして、気弱なスローモウなアメーバー、カメレオンな人間で在るから、識者、専門家諸氏のお話を聴いて居ると、立場による強調構文的な主張対立劇場を観る思いで、実際問題、この言い分に一理在り。反論を聴けば、こちらにも一理在りで、どちらに与して好いのか、頭が整理出来なく成って仕舞う『貧脳』を恥じ入る構図と為って仕舞う次第で在る。

然しながら、お役御免の毎日が日曜日の古希坂独り暮らし住人の身に為って、つくづく思う事が在る。

人類の履歴書に世界史在り、日本人の履歴書に日本史在り、個人に履歴書在りで、古希坂辺りに進んで来ないと、人間その物の性、習性を理解して行く期間に在り付けないと云う事で在る。
整理・理解の道具としては、世界史・日本史・自分史の三態を比較考慮して行かないと、見えて来ない事ばかりと思うと同時に、自分史を応用する事で、歴史教科書に書かれて居ない行間を自分史の類体験を以って読める様に為って来る次第で、自問自答力が備わって来る思いで在る。

番組の許容される時間の都合なのだろうか、総じて歴史を通史として観る観点、視点の薄い専門家、評論家、ジャーナリストの顔触れが多過ぎて、余り触手が伸びないのが現実と云った感想なので在る。

加えて、底辺貧民の古希坂住人で在るから、殆どがDIYの日常下に在る。従って其れなりの自弁の不自由さは在るが、それ以上の気儘さの自由度が在る訳で、世界史、日本史、御時世問題への摘み食いが出来て、言いたい放題の気楽さが在る。

この気楽さの基は、其れなりに真面目に生きて来た『歳重ねの恩恵』と云う物で在る。

分業化、細分化、特化されて、核家族化、個室、古器化された現代文明で在るから、何事も表向きの個性ばかりが強調される根無し表層の世相が蔓延るだけ。そんな無味乾燥のキャチコピーが、躍るだけの中身の薄い人間模様の連鎖で在る。

 日本昔話には年寄りの持つ知恵がしばしば語られて居た次第で、年寄りの人生訓が顧みられない世の風潮は、世界の衰国、亡国に繋がる人類の衰退期を暗示して居るのかも知れない。

 ラインの効率・精度を上げる為には、単一工、全体のバランスを取るには、多能工の配置も必要で、云って見れば単一工は特化人間、多能工は全体人間の違いで、分析には特化人間、総合判断には全体人間の視点、調整力が求められるのは個別と全体の立場の違いから来る人材配置の基本で在ろう。
 兎角、専門職には1+1=2の舌鋒の鋭さは在るが、総合策としての求心力、一丸と為っての発信力と云う突破力には往々にして組織力を阻害する要素も付き物と為って来る。

 そんな風に考えると、私は日本人で在るから『和を以って尊し』とするに傾いて仕舞う次第で在る。

 急がば回れ、エベレスト登頂コースとて、ワンルートばかりでも在るまいの態度を取らざるを得ないし、立場が違って『合令』を発し無いと為らない段階に差し至れば、選択肢の中から最良策を見出して、突撃命令を下す次第で在る。傍観者と当事者の違いは歴然とした選択行動なので在る。

 さてさて、取り止めの無い年寄り感想を打って、息抜きに庭に出ると知らぬ間に、春の気配を感じて雑草、マンジュシャゲの芽吹きを見付けた。日陰の雪残りでは在るが、春に向かって着実な歩みを示して居る。そんな自然の健気さに刺激されて、私も河川敷散歩をして来る。ほぼ無風のお天道さんの日差しを全身に浴びての、外気に身を置く気分の好さは、知らず知らずの内にも歩数が進む物で在る。

  庶民の生活は詮無き事はうだうだと考えるより、分相応で、こうで無くちゃ、行けませんわね。へへへ。


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