長駄文館・・・アリシア・フォード嬢
- 2022/04/21
- 12:48
アリシア・フォード嬢、注目し続けたい女性為り。(4/21/22)
さて起きるか・・・昨夜は晩飯後に嫌に眠く為って来て考えると、昼寝をしなかった付けが回って来たの段で布団を敷いて、床入りして動画観とした。当然、疲れが取れれば目が覚める。
動画漁りをして居ると、アリシア・フォード嬢の北方領土4島の一人三役の日本VSロシアの二回目の解説とプーチン・ロシアのウクライナ戦争に対する彼女の意志表明を聞いたり、MAX・LAXのエネルギッシュなライブ映像を見て、正常時間帯での就寝とした次第で在る。
相変わらずの知性・感性・頭脳明晰な探求力・検証力・客観的判断力が、日本人同様の癖の無い高尚な日本語でユーチューブ化されて居る。端正な美人顔のライトブルーの澄んだ瞳は、高貴な内面を現わして居て、グイグイと惹き付けられる。『才色兼備』とは、彼女の存在を云うのだろう。
才も色も、天からの授かり物にして、磨きを掛ける彼女の努力の真摯さなので在ろう。
彼女は、注目し続けて行きたい大器の逸材女性で在る。そんな彼女が日本の好さを理解・発信して呉れて居る事に、日本人は日本を誇りに思って、自虐史観から脱して欲しい次第で在る。
彼女は、与謝野鉄幹の人を恋うる歌の内容の『凛とした男と情感豊かな女を併せ持つ御存在』である。そんな彼女が母親の影響で、黒沢明映画で日本を知り、小津安二郎の『秋刀魚の味』で音と雰囲気の日本語の響きに魅了されて、日本と日本文化に惹かれて、日本に恋する様に為り、日本での歌手活動をする事に為ったそうな。
私はロシア系と云うか、スラブ系美人・美形さん達に魅力を感じ居る面喰い性向で在る。従って、そんな雰囲気の在る女性達のユーチューブ動画を見る事を、密やかに目の保養として居る次第で在る。日本人と結婚して子供を持って居たり、帰化したり、永住を希望して居たりの日本好きな女性達ばかりで在る。
普段は日本の名所・日本食・日本文化などの発信をして居るのだが、私の感想は表現の不自由さの旧ソ連圏からの『脱出願望』が根底に在ると観て居る。そんな共産圏の思想・思考への嫌悪感は祖国で在る以上、尾首にも出さないが、今現実に起こって居る共産主義的横暴(他国への武力弾圧)が、連日世界に向けて発信され続けて居ると、『本音』を吐露しない訳には行かなく為って来る。そんな状況に追い込まれて居るのだろう。
考えに考え、気持ちを整理して、原稿に推敲に推敲して、起承転結を考え、箇条書き風に語る。ワンフレーズ毎にチェックを加え、息を整えて何日も掛けて、動画撮りをして居るだろろ事は、普段と表情とトーンの違いで想像に難くない処で在る。
何と云っても、一途さは、人間の心を打つメッセージで在る。
さてさて、ラジオは体操のお時間と成った。息抜きに、庭降りをして来ると致しましょうかね。
昔ブドウの芽吹きが顕著に成って来た。葉を広げて来た芍薬の伸びの先に、小さな蕾の付きで在る。バットの素振りには未だ未だ空気の冷たさで在るから、家に入って炊飯器の保温ONとして小部屋コタツに座る。今日と明日の午前中で留守に成るから、冷蔵庫の消費をして置かないと為るまい。
本日は気温の上がらぬ進みで在るから、明日から当分活字離れの2週と為る。幸い世界史備忘録も後10頁前後の残りで在るから、読了して置くべしで在る。自分で纏めて自分の文体として印刷綴りを施して在るから、肩の凝らない冊子で在る。世界史マスターを目標に打ち溜めて来た代物で、或る意味、私の分身の様な物で在る。
人類史・世界史を物にするには、ひたすら通読を重ねる長いスパンの『通史観』が基本と為る。通史が歴史の総論・基調部分と為って、時代区分が各論、個別の国史が細論の構成と為ろうが、総論、各論、細論の何れが欠けても、『森を見て木を見ず、木を見て森を見ず』の中途半端に終わって仕舞う。全体と個、個と全体の相関・因果関係に如何照準を合わせて、自分軸を構築して行くのが、人間のライフワークの本丸と為るのだろう。この過程が物事に通暁(つうぎょう)する意味との由。読んで字の如くで、漢字の意味する処は、浅学非才の身ながら、漢字文化の日本の有難さで在る。
何度も暗夜行路の道を通い続けて、漸く差し込んで来る夜明けの暁(あかつき)に巡り合えると云う事なのだろう。
アリシア嬢のユーモアでは無いが、20年もトップの座に居ると唯我独尊のソープランドでは無く、プーチンランドの魔王に堕して祖国の醜態を晒すとの由。オスマン帝国の諺に、『魚は頭から腐る』も在るし、日本では『魚は腸(はらわた)から腐る』の諺も広く引用されて居る次第で在る。
それぞれの立場から、其々の言い分は在ろうが、『奢る平氏、久しからずや』『立つ鳥、後の水濁さず』の有終の美を尊ぶ冷静さは、特に権力者には必要な矜持(きょうじ・プライド)なのだろうが、往々にして絶対権力者は『己がランド』に君臨して魔性に操られる生き物の様で在る。現代の魔性宮が共産、軍事独裁宮との由で在る。
独裁者が晩年陥るのが、匙加減の禍(わざわい)との歴史証左が在るそうな。度を越せば、何事も命取り。世界の自我強調・強制・収奪文化と日本の協調・協働・分配文化の違いを、本能的に臭覚する直感力は羨ましい限りで在る。
さてさて、何の足しにも為らぬ長駄文のピリオドに、雑草の芽抜きとバットの素振りをして参りましょうかね。
さて起きるか・・・昨夜は晩飯後に嫌に眠く為って来て考えると、昼寝をしなかった付けが回って来たの段で布団を敷いて、床入りして動画観とした。当然、疲れが取れれば目が覚める。
動画漁りをして居ると、アリシア・フォード嬢の北方領土4島の一人三役の日本VSロシアの二回目の解説とプーチン・ロシアのウクライナ戦争に対する彼女の意志表明を聞いたり、MAX・LAXのエネルギッシュなライブ映像を見て、正常時間帯での就寝とした次第で在る。
相変わらずの知性・感性・頭脳明晰な探求力・検証力・客観的判断力が、日本人同様の癖の無い高尚な日本語でユーチューブ化されて居る。端正な美人顔のライトブルーの澄んだ瞳は、高貴な内面を現わして居て、グイグイと惹き付けられる。『才色兼備』とは、彼女の存在を云うのだろう。
才も色も、天からの授かり物にして、磨きを掛ける彼女の努力の真摯さなので在ろう。
彼女は、注目し続けて行きたい大器の逸材女性で在る。そんな彼女が日本の好さを理解・発信して呉れて居る事に、日本人は日本を誇りに思って、自虐史観から脱して欲しい次第で在る。
彼女は、与謝野鉄幹の人を恋うる歌の内容の『凛とした男と情感豊かな女を併せ持つ御存在』である。そんな彼女が母親の影響で、黒沢明映画で日本を知り、小津安二郎の『秋刀魚の味』で音と雰囲気の日本語の響きに魅了されて、日本と日本文化に惹かれて、日本に恋する様に為り、日本での歌手活動をする事に為ったそうな。
私はロシア系と云うか、スラブ系美人・美形さん達に魅力を感じ居る面喰い性向で在る。従って、そんな雰囲気の在る女性達のユーチューブ動画を見る事を、密やかに目の保養として居る次第で在る。日本人と結婚して子供を持って居たり、帰化したり、永住を希望して居たりの日本好きな女性達ばかりで在る。
普段は日本の名所・日本食・日本文化などの発信をして居るのだが、私の感想は表現の不自由さの旧ソ連圏からの『脱出願望』が根底に在ると観て居る。そんな共産圏の思想・思考への嫌悪感は祖国で在る以上、尾首にも出さないが、今現実に起こって居る共産主義的横暴(他国への武力弾圧)が、連日世界に向けて発信され続けて居ると、『本音』を吐露しない訳には行かなく為って来る。そんな状況に追い込まれて居るのだろう。
考えに考え、気持ちを整理して、原稿に推敲に推敲して、起承転結を考え、箇条書き風に語る。ワンフレーズ毎にチェックを加え、息を整えて何日も掛けて、動画撮りをして居るだろろ事は、普段と表情とトーンの違いで想像に難くない処で在る。
何と云っても、一途さは、人間の心を打つメッセージで在る。
さてさて、ラジオは体操のお時間と成った。息抜きに、庭降りをして来ると致しましょうかね。
昔ブドウの芽吹きが顕著に成って来た。葉を広げて来た芍薬の伸びの先に、小さな蕾の付きで在る。バットの素振りには未だ未だ空気の冷たさで在るから、家に入って炊飯器の保温ONとして小部屋コタツに座る。今日と明日の午前中で留守に成るから、冷蔵庫の消費をして置かないと為るまい。
本日は気温の上がらぬ進みで在るから、明日から当分活字離れの2週と為る。幸い世界史備忘録も後10頁前後の残りで在るから、読了して置くべしで在る。自分で纏めて自分の文体として印刷綴りを施して在るから、肩の凝らない冊子で在る。世界史マスターを目標に打ち溜めて来た代物で、或る意味、私の分身の様な物で在る。
人類史・世界史を物にするには、ひたすら通読を重ねる長いスパンの『通史観』が基本と為る。通史が歴史の総論・基調部分と為って、時代区分が各論、個別の国史が細論の構成と為ろうが、総論、各論、細論の何れが欠けても、『森を見て木を見ず、木を見て森を見ず』の中途半端に終わって仕舞う。全体と個、個と全体の相関・因果関係に如何照準を合わせて、自分軸を構築して行くのが、人間のライフワークの本丸と為るのだろう。この過程が物事に通暁(つうぎょう)する意味との由。読んで字の如くで、漢字の意味する処は、浅学非才の身ながら、漢字文化の日本の有難さで在る。
何度も暗夜行路の道を通い続けて、漸く差し込んで来る夜明けの暁(あかつき)に巡り合えると云う事なのだろう。
アリシア嬢のユーモアでは無いが、20年もトップの座に居ると唯我独尊のソープランドでは無く、プーチンランドの魔王に堕して祖国の醜態を晒すとの由。オスマン帝国の諺に、『魚は頭から腐る』も在るし、日本では『魚は腸(はらわた)から腐る』の諺も広く引用されて居る次第で在る。
それぞれの立場から、其々の言い分は在ろうが、『奢る平氏、久しからずや』『立つ鳥、後の水濁さず』の有終の美を尊ぶ冷静さは、特に権力者には必要な矜持(きょうじ・プライド)なのだろうが、往々にして絶対権力者は『己がランド』に君臨して魔性に操られる生き物の様で在る。現代の魔性宮が共産、軍事独裁宮との由で在る。
独裁者が晩年陥るのが、匙加減の禍(わざわい)との歴史証左が在るそうな。度を越せば、何事も命取り。世界の自我強調・強制・収奪文化と日本の協調・協働・分配文化の違いを、本能的に臭覚する直感力は羨ましい限りで在る。
さてさて、何の足しにも為らぬ長駄文のピリオドに、雑草の芽抜きとバットの素振りをして参りましょうかね。
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