長駄文館・・・素人暇爺ぃの自然観察為り。
- 2022/05/24
- 12:29
へへへ、素人暇爺ぃの自然観察為り。(5/24/22)
昨夜は寝そびれて仕舞い、悶々とした寝返りの連続で在った。小説朗読を二編聴くが、眠れない夜とは、所詮、そんな物で在る。些か寝足りない朝ながら、起床とする。コーヒーを手に庭降りをして、べんり菜をカットして朝食の青物とする。快晴の兆しで在るから、朝飯後は眠れず散々の蹴飛ばされた寝具を日光浴とさせての、全戸開放の真面目掃き掃除をして回る。
一応これで好しの、アリバイ工作として、軽めのバット振りをして手では抜けない雑草部分に草掻きを入れて見る。朝の静寂の中に巣立ち雀達が、若葉、青葉の繁みでチュンチュンと親の餌運びを待って居る。例年だと、シジューカラの学校時季なのだが、今年は未だで在るから不思議で在る。庭に出れば川原からカジカ蛙の声が届いて、中々の風情と云う物で在る。
口飛ばし種から生まれた、自生高級ブドウの2度目のブドウ胎児の確認に私道に回る。もう一つが加わって、愉しみが増えた次第で在る。柿の方は去年の分まで挽回する様な旺盛な茂みと成って居る。梅の生らぬ次第では在るが、自生の赤紫蘇がゴチャゴチャと地面を覆って居る。
今年は不作ながら、去年の乾燥梅干しが大量に眠って居るから、自生紫蘇で二度漬けをして見る心算で在る。
茹で蕗の大笊には干からびた『肥後ずいき』並の具合で在るから、今日一杯干して袋収納をして、『結果は如何に』で遊んで見ると致そう。
肥後ずいきと云えば、男根にそれを巻き付けて挿入すれば、愛液の回りで女族が随喜の涙を溢すと称される日本伝統の性具との由。
九州旅行のお土産と云って、M氏が私に買って来て呉れた次第では在ったが、ついぞ使用する機会が無くて、何時の間にか『経時変化の風化で廃却処分』を強いられた工芸品で在った。
今年は如何云う訳か、インゲンの芽出しが駄目で在る。一応、場所を変えて蒔いて居るのだが、儘為らぬのが自然と云う物なのだろう。キュウリ、小玉すいか、プリンスメロンも一向に芳しく無い。その代り、芍薬、ジャガイモ、ミツバ、セリが期待以上の成果を見せて居るし、種零れのマツバボタンも旺盛な発芽を見せて居る。一方、花種からは期待以下の貧層振りで在る。
庭に居ると、今年は何と毛虫の多い年で在る事か。そんな次第で、小さな毛虫が糸を垂らして着地して、自分の好みに応じるかの様に、種類問わずの葉喰いをして居るので、毛虫、青虫の食草に因る棲み分けをして居るとの由では在るが、毛虫界にも『掟破りの異種族』が存在して居る事に気付かされた新発見でも在る。
まぁ、これも、生物多様性の現物見本の一つなのだろう。
春夏秋冬、毎年季節は巡り来る物の、内容の異り、出来不出来に遭遇するのが自然のサイクルと云う物で在る。そんな自然の営みに一喜一憂して行くのも、『素人暇爺の自然観察』と云う物で在ろうか。
午後の苺採りに合わせて、ジョロ散水をして置いたので、午前中の上巻の残りを読了して置くと致そう。オール、マイリズム、マイタイムのマンネリ日常の埋没ながら、大まかな時間割をこなして行くのは、それなりの真面目さを伴う物で在る。あはは。
昨夜は寝そびれて仕舞い、悶々とした寝返りの連続で在った。小説朗読を二編聴くが、眠れない夜とは、所詮、そんな物で在る。些か寝足りない朝ながら、起床とする。コーヒーを手に庭降りをして、べんり菜をカットして朝食の青物とする。快晴の兆しで在るから、朝飯後は眠れず散々の蹴飛ばされた寝具を日光浴とさせての、全戸開放の真面目掃き掃除をして回る。
一応これで好しの、アリバイ工作として、軽めのバット振りをして手では抜けない雑草部分に草掻きを入れて見る。朝の静寂の中に巣立ち雀達が、若葉、青葉の繁みでチュンチュンと親の餌運びを待って居る。例年だと、シジューカラの学校時季なのだが、今年は未だで在るから不思議で在る。庭に出れば川原からカジカ蛙の声が届いて、中々の風情と云う物で在る。
口飛ばし種から生まれた、自生高級ブドウの2度目のブドウ胎児の確認に私道に回る。もう一つが加わって、愉しみが増えた次第で在る。柿の方は去年の分まで挽回する様な旺盛な茂みと成って居る。梅の生らぬ次第では在るが、自生の赤紫蘇がゴチャゴチャと地面を覆って居る。
今年は不作ながら、去年の乾燥梅干しが大量に眠って居るから、自生紫蘇で二度漬けをして見る心算で在る。
茹で蕗の大笊には干からびた『肥後ずいき』並の具合で在るから、今日一杯干して袋収納をして、『結果は如何に』で遊んで見ると致そう。
肥後ずいきと云えば、男根にそれを巻き付けて挿入すれば、愛液の回りで女族が随喜の涙を溢すと称される日本伝統の性具との由。
九州旅行のお土産と云って、M氏が私に買って来て呉れた次第では在ったが、ついぞ使用する機会が無くて、何時の間にか『経時変化の風化で廃却処分』を強いられた工芸品で在った。
今年は如何云う訳か、インゲンの芽出しが駄目で在る。一応、場所を変えて蒔いて居るのだが、儘為らぬのが自然と云う物なのだろう。キュウリ、小玉すいか、プリンスメロンも一向に芳しく無い。その代り、芍薬、ジャガイモ、ミツバ、セリが期待以上の成果を見せて居るし、種零れのマツバボタンも旺盛な発芽を見せて居る。一方、花種からは期待以下の貧層振りで在る。
庭に居ると、今年は何と毛虫の多い年で在る事か。そんな次第で、小さな毛虫が糸を垂らして着地して、自分の好みに応じるかの様に、種類問わずの葉喰いをして居るので、毛虫、青虫の食草に因る棲み分けをして居るとの由では在るが、毛虫界にも『掟破りの異種族』が存在して居る事に気付かされた新発見でも在る。
まぁ、これも、生物多様性の現物見本の一つなのだろう。
春夏秋冬、毎年季節は巡り来る物の、内容の異り、出来不出来に遭遇するのが自然のサイクルと云う物で在る。そんな自然の営みに一喜一憂して行くのも、『素人暇爺の自然観察』と云う物で在ろうか。
午後の苺採りに合わせて、ジョロ散水をして置いたので、午前中の上巻の残りを読了して置くと致そう。オール、マイリズム、マイタイムのマンネリ日常の埋没ながら、大まかな時間割をこなして行くのは、それなりの真面目さを伴う物で在る。あはは。
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