長駄文館・・・降らぬ内の早朝散歩為り。
- 2022/06/08
- 13:05
雨の降らぬ前に、早朝散歩に及ぶ為り。(6/8/22)
昨日のブロンソンさんの話だと、梅雨入り間近だとの由。曇天の朝で在る。ゴミ出しをして来て、苺採りにも飽きて来たので、朝散歩でアイドリングをして来ようと考えた。
人間歩くと、姿勢も正されるし、外気の新鮮さが細胞の老廃物除去に一役買って呉れる物で在る。早朝の川音、河川敷の今を盛りとするサツキの植栽ベルト、セグロセキレイの姿などに、娑婆始動前の静寂さで気持ちの好い物で在る。
ガスタンクの大きな桑の木が、こぶこぶの幹と枝で欝蒼とそそり立って居る。その内に御神木のしめ縄を頂戴するかも知れぬ。そんな巨木からは桑の実が道路に落ちて、黒づんで居る。
ホームセンターのグリーンコーナーにも、そんなジャム用の桑の木が売られて居る。二、三年前からで在るから、その穏やかな味は静かなブームに為って居るのだろう。
一度、桑の実採りの話をした処、倅が小童子を連れて、レジ袋一杯に採って来たので、早速ジャムにした。自家製先祖帰りの苺ジャムに慣れて居るので、比較上、そのインパクトの無い大味が評価に非ずの次第で在った。
桑の実は童心に還っての『郷愁の生食』とすベしで在る。掌に採って、食べながらの歩きとする。
川は増水で、好い流れを呈して居る。ヤマメが復活して居れば、格好の時間潰しタイムが出来るのだが、何年も魚影見えずの流れで在るから仕方なしで在る。まぁ、それにしても河川敷の雑草の繁茂振りで在る、草刈ボランティアは14日8時からで在る。
散歩でのアイドリングが出来たから、苺採りとする。嗚呼、腰が痛い。やっと終わりに近付いて来て、ホッとする次第で在る。残りは中瓶1で在るから、シャワー後に小瓶を4つ程ホームセンターに行って買って来る事にしよう。そうすれば、今日の一日の配分が好く為ろう。
散歩、苺採りは、私にとっては思索のお時間でも在る。
Yの口癖はテレビ、ラジオ、新聞は『下らない』の一点張りで在るから、ネットジャンルから自分の気に入った物を観た方が勉強に為ると、ネット活用法を言って居るのだが、それをして居ない様で在る。自問自答タイプでは無く、男放送局の『一過性騒ぎ屋タイプ』なのだろう。
往年のプロ野球の実績を残した選手達が、このご時世でユーチューバーをして居て、活字以上の経験談を披露して居る『トーク番組』が沢山在る。それらは観る角度からすれば、扱き練習、鍛錬、研究、葛藤、克己心・・・etcと人生論、哲学に通じる内面を見せて居る。一流のプロスポーツ選手の実像は、在り来たりの台本に基ずくテレビ映像よりも格段に得る物が在る。
人間とは感受性の観察力、聴く、読むの理解・咀嚼力、記憶力、応用力、創作力、表現力、対話力・・・etcのインプット&アウトプットのバランスが不均衡だと面白さに欠けると云った処なのだろう。
Yとは付き合いが浅いから、距離を置いて対して居る心算で在る。そんな観察からすると、体制批判はお得意中のお得意らしいが、『耐性欠乏症』の帰来が見て取れる。
人間、誰もが面倒臭い事、疲れる事、不得手の事は避けて通りたいのが、人情で在る。然しながら、大気圏脱出の何Gにも及ぶ苦難を乗り越えねば、『地球は青かった』の宇宙に壮然か慄然(りつぜん)かは解らぬが、一個青く輝く地球を見る事は出来ないので在るから、肉体的精神的扱きの丘を体験して、大気圏を脱出する過程を経験し無ければ為らないのが、世の道理と云う物で在ろう。
夢の宇宙飛行時と違って、コロナ、ウクライナ戦争、世界的物価高、枝葉末節の政党合戦・・・etcと、牧水さんを引用すれば、『地球は哀しからずや、宇宙の桎梏の闇にも、染まるず、唯、独り浮かぶ』の時代の鏡に映るのでは無かろうか。
自己鍛錬を怠って仕舞うと、兎角、他人に厳しく、自分に大甘の非客観的、非理性的我儘人間の域で偏りの狭あい人生に迷い込み、大方が『恨み節人生』を歩んで仕舞うので在ろう。
まぁ、そんな次第で私は自分のボロが、世間様に露見し無い様に、独り空間を居心地の好さとして居る。従って、私の相棒は私自身として居る。他を頼んだり、他の中に居ると、何かと煩わしさが生じて来るのが、人間娑場の倣いと云う物で在る。独り空間を好しとして、散歩、作業の友として、自問自答力を向上させて、退屈さを打破するには、自分の中に色んなタイプの人間を置いて、云わば体内に多くのタイプの異なった他人との共存を図らないと『自問自答の一人芝居』が進まない。
言葉を換えれば、自己蓄積をして自己充実化をして行かなければ為らない次第で在る。
張本さんに言わせれば、広角度打法を編み出さなければ、高打率を得る訳には行かないので在る。
さてさて、飯も終わり洗い物も済んだ次第で在るから、午前の部としてシャワーを浴びてペダル運動方々、ジャム瓶を買って来ると致しましょうかね。へへへ。
シャワーを浴びて、瓶買いから戻って来れば、丁度正午で在る。いやはや、吾ながら好い時間配分では無いか。アハハ。
昨日のブロンソンさんの話だと、梅雨入り間近だとの由。曇天の朝で在る。ゴミ出しをして来て、苺採りにも飽きて来たので、朝散歩でアイドリングをして来ようと考えた。
人間歩くと、姿勢も正されるし、外気の新鮮さが細胞の老廃物除去に一役買って呉れる物で在る。早朝の川音、河川敷の今を盛りとするサツキの植栽ベルト、セグロセキレイの姿などに、娑婆始動前の静寂さで気持ちの好い物で在る。
ガスタンクの大きな桑の木が、こぶこぶの幹と枝で欝蒼とそそり立って居る。その内に御神木のしめ縄を頂戴するかも知れぬ。そんな巨木からは桑の実が道路に落ちて、黒づんで居る。
ホームセンターのグリーンコーナーにも、そんなジャム用の桑の木が売られて居る。二、三年前からで在るから、その穏やかな味は静かなブームに為って居るのだろう。
一度、桑の実採りの話をした処、倅が小童子を連れて、レジ袋一杯に採って来たので、早速ジャムにした。自家製先祖帰りの苺ジャムに慣れて居るので、比較上、そのインパクトの無い大味が評価に非ずの次第で在った。
桑の実は童心に還っての『郷愁の生食』とすベしで在る。掌に採って、食べながらの歩きとする。
川は増水で、好い流れを呈して居る。ヤマメが復活して居れば、格好の時間潰しタイムが出来るのだが、何年も魚影見えずの流れで在るから仕方なしで在る。まぁ、それにしても河川敷の雑草の繁茂振りで在る、草刈ボランティアは14日8時からで在る。
散歩でのアイドリングが出来たから、苺採りとする。嗚呼、腰が痛い。やっと終わりに近付いて来て、ホッとする次第で在る。残りは中瓶1で在るから、シャワー後に小瓶を4つ程ホームセンターに行って買って来る事にしよう。そうすれば、今日の一日の配分が好く為ろう。
散歩、苺採りは、私にとっては思索のお時間でも在る。
Yの口癖はテレビ、ラジオ、新聞は『下らない』の一点張りで在るから、ネットジャンルから自分の気に入った物を観た方が勉強に為ると、ネット活用法を言って居るのだが、それをして居ない様で在る。自問自答タイプでは無く、男放送局の『一過性騒ぎ屋タイプ』なのだろう。
往年のプロ野球の実績を残した選手達が、このご時世でユーチューバーをして居て、活字以上の経験談を披露して居る『トーク番組』が沢山在る。それらは観る角度からすれば、扱き練習、鍛錬、研究、葛藤、克己心・・・etcと人生論、哲学に通じる内面を見せて居る。一流のプロスポーツ選手の実像は、在り来たりの台本に基ずくテレビ映像よりも格段に得る物が在る。
人間とは感受性の観察力、聴く、読むの理解・咀嚼力、記憶力、応用力、創作力、表現力、対話力・・・etcのインプット&アウトプットのバランスが不均衡だと面白さに欠けると云った処なのだろう。
Yとは付き合いが浅いから、距離を置いて対して居る心算で在る。そんな観察からすると、体制批判はお得意中のお得意らしいが、『耐性欠乏症』の帰来が見て取れる。
人間、誰もが面倒臭い事、疲れる事、不得手の事は避けて通りたいのが、人情で在る。然しながら、大気圏脱出の何Gにも及ぶ苦難を乗り越えねば、『地球は青かった』の宇宙に壮然か慄然(りつぜん)かは解らぬが、一個青く輝く地球を見る事は出来ないので在るから、肉体的精神的扱きの丘を体験して、大気圏を脱出する過程を経験し無ければ為らないのが、世の道理と云う物で在ろう。
夢の宇宙飛行時と違って、コロナ、ウクライナ戦争、世界的物価高、枝葉末節の政党合戦・・・etcと、牧水さんを引用すれば、『地球は哀しからずや、宇宙の桎梏の闇にも、染まるず、唯、独り浮かぶ』の時代の鏡に映るのでは無かろうか。
自己鍛錬を怠って仕舞うと、兎角、他人に厳しく、自分に大甘の非客観的、非理性的我儘人間の域で偏りの狭あい人生に迷い込み、大方が『恨み節人生』を歩んで仕舞うので在ろう。
まぁ、そんな次第で私は自分のボロが、世間様に露見し無い様に、独り空間を居心地の好さとして居る。従って、私の相棒は私自身として居る。他を頼んだり、他の中に居ると、何かと煩わしさが生じて来るのが、人間娑場の倣いと云う物で在る。独り空間を好しとして、散歩、作業の友として、自問自答力を向上させて、退屈さを打破するには、自分の中に色んなタイプの人間を置いて、云わば体内に多くのタイプの異なった他人との共存を図らないと『自問自答の一人芝居』が進まない。
言葉を換えれば、自己蓄積をして自己充実化をして行かなければ為らない次第で在る。
張本さんに言わせれば、広角度打法を編み出さなければ、高打率を得る訳には行かないので在る。
さてさて、飯も終わり洗い物も済んだ次第で在るから、午前の部としてシャワーを浴びてペダル運動方々、ジャム瓶を買って来ると致しましょうかね。へへへ。
シャワーを浴びて、瓶買いから戻って来れば、丁度正午で在る。いやはや、吾ながら好い時間配分では無いか。アハハ。
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