長駄文館・・・深夜の雷鳴に、
- 2022/07/04
- 13:43
深夜の雷鳴に、一端の起床為り。(7/4/22)
おやおや、雷鳴では無いか。昨日のラジオでは夜からの雷雨との由で在ったから、大きく時間はズレたが、雨が降ると云う事か・・・。耳を澄ませて居ると、雨音がして来たので、半網戸を閉めて来る。
遺憾いかん、目が覚めて仕舞った。本日は妖怪様の月命日で在るから、起きると致そうかで、明かりを付ければ丁度3時に成る処で在る。
左様で在るか。日本の歌の時間帯で在るから、それを聴けとの事だろう。古賀メロディ特集で在る。昔人間で在るから、馴染む歌詞とメロディで在る。昼の時間帯には聴けないラジオ深夜便の雰囲気で在る。
今月の海の日は佐渡行で在るから、沖縄行のメンバーを主体にHさんのお仲間も加わっての非日常の楽しみも控えて居る。
古希坂独り暮らしをして居ると、寄る歳波の所為で、旅立つ者、入院、怪我などで衰え行く姿の数々で在る。そんな中で、現役さん達に交じっての、二泊三日のバカンスに同行出来るのは楽しい事で在る。去年は3歳上の中禅寺湖のSさんも同行したのだが、他界して仕舞った。
周囲からは若い、元気と云われて居る次第では在るが、何時まで元気で動けるか知らないが、元気な内はお呼びが掛かれば、二つ返事で参加して行きたいと考えて居る次第で在る。
『馬鹿と戯けは、歳の巡りが遅い』と云う事らしいから、変の老成せずに何事も観察、人と意見を交わすの好奇心、向上心を失わずに、マイタイム、マイリズムを維持して行きたいと考えて居る次第で在る。兎角、当たり障りの無い老成の様は、面白味が欠けて居て、話をして居ても得る処が少ない詰まら無さと為って現れる物で在る。
古来、謙孫は日本人の美徳と評されては来たが、気の置けない親しい仲間内では、落語長屋の熊さん、八っつあん、素浪人シリーズの旦那と焼津の半次の様な地で行く売り言葉に買い言葉の掛け合い漫才で言いたい放談をして行くのが、百薬の長の黄昏のビギン・トークと云う物でも在ろう。
伊達や酔狂に生きては来なかった次第で在るから、人間歳を取ったら取った分、人生経験に根差した含蓄、味の在るトーク力を持たないと、『話の肴』とは云い難い。
『百聞は一見に如かず』では無いが、限られた経験しか出来ないのが有限界に生きる者同士で在る。魅力在る実体験者からの話を聴いて、自分の中に在る類体験から仮体験をさせて貰い、それを参考として有効活用させて貰うのが他者とのお付き合いと云う物で在る。
真面目ばかりでも、破天荒ばかりでも、世の中と云う物は面白味が出て来ない。内実とのバランスが採れて居ないと、包容力に富んだ人間味が出て来ない。人間、ユニホームを脱いでこその、なんぼの物で在る。
おやおや、大きな腹に響く雷鳴で在る。
雨の具合は如何かと、廊下を空けて白み行く外を見れば然程の雨では無いが、閃光と雷鳴の続きで在る。サツキ、山ツツジの裾の刈り上げと、庭通路の小菊の迫り出し、雑草を仕末して見栄えを好くして置いた。熱暑の最中では在ったが、雨で緑に潤いを蘇らせた佇まいが、何ともしっくりする次第で在る。
さてさて、5時に近付いて来た。煙草を一本吸って、少し二度寝をしてから一日のスタートと致しましょうかね。
二度寝から覚めても、未だ雨は降り続いて居る。仏壇に月命日のご挨拶をして、炊飯器ONとして居なかったので、朝食は自作のジャガイモと残り卵を茹でてのジャーマンスタイルとする。塩を利かして茹でたから美味い。
息抜きに庭降りは必要ながら、この雨では儘為らぬ。場所を廊下に変えて、ラジオをBGMに頁進めをするしか昼の時間帯は無さそうで在る。涼しい分、好しとすべしで在ろうか。
おやおや、雷鳴では無いか。昨日のラジオでは夜からの雷雨との由で在ったから、大きく時間はズレたが、雨が降ると云う事か・・・。耳を澄ませて居ると、雨音がして来たので、半網戸を閉めて来る。
遺憾いかん、目が覚めて仕舞った。本日は妖怪様の月命日で在るから、起きると致そうかで、明かりを付ければ丁度3時に成る処で在る。
左様で在るか。日本の歌の時間帯で在るから、それを聴けとの事だろう。古賀メロディ特集で在る。昔人間で在るから、馴染む歌詞とメロディで在る。昼の時間帯には聴けないラジオ深夜便の雰囲気で在る。
今月の海の日は佐渡行で在るから、沖縄行のメンバーを主体にHさんのお仲間も加わっての非日常の楽しみも控えて居る。
古希坂独り暮らしをして居ると、寄る歳波の所為で、旅立つ者、入院、怪我などで衰え行く姿の数々で在る。そんな中で、現役さん達に交じっての、二泊三日のバカンスに同行出来るのは楽しい事で在る。去年は3歳上の中禅寺湖のSさんも同行したのだが、他界して仕舞った。
周囲からは若い、元気と云われて居る次第では在るが、何時まで元気で動けるか知らないが、元気な内はお呼びが掛かれば、二つ返事で参加して行きたいと考えて居る次第で在る。
『馬鹿と戯けは、歳の巡りが遅い』と云う事らしいから、変の老成せずに何事も観察、人と意見を交わすの好奇心、向上心を失わずに、マイタイム、マイリズムを維持して行きたいと考えて居る次第で在る。兎角、当たり障りの無い老成の様は、面白味が欠けて居て、話をして居ても得る処が少ない詰まら無さと為って現れる物で在る。
古来、謙孫は日本人の美徳と評されては来たが、気の置けない親しい仲間内では、落語長屋の熊さん、八っつあん、素浪人シリーズの旦那と焼津の半次の様な地で行く売り言葉に買い言葉の掛け合い漫才で言いたい放談をして行くのが、百薬の長の黄昏のビギン・トークと云う物でも在ろう。
伊達や酔狂に生きては来なかった次第で在るから、人間歳を取ったら取った分、人生経験に根差した含蓄、味の在るトーク力を持たないと、『話の肴』とは云い難い。
『百聞は一見に如かず』では無いが、限られた経験しか出来ないのが有限界に生きる者同士で在る。魅力在る実体験者からの話を聴いて、自分の中に在る類体験から仮体験をさせて貰い、それを参考として有効活用させて貰うのが他者とのお付き合いと云う物で在る。
真面目ばかりでも、破天荒ばかりでも、世の中と云う物は面白味が出て来ない。内実とのバランスが採れて居ないと、包容力に富んだ人間味が出て来ない。人間、ユニホームを脱いでこその、なんぼの物で在る。
おやおや、大きな腹に響く雷鳴で在る。
雨の具合は如何かと、廊下を空けて白み行く外を見れば然程の雨では無いが、閃光と雷鳴の続きで在る。サツキ、山ツツジの裾の刈り上げと、庭通路の小菊の迫り出し、雑草を仕末して見栄えを好くして置いた。熱暑の最中では在ったが、雨で緑に潤いを蘇らせた佇まいが、何ともしっくりする次第で在る。
さてさて、5時に近付いて来た。煙草を一本吸って、少し二度寝をしてから一日のスタートと致しましょうかね。
二度寝から覚めても、未だ雨は降り続いて居る。仏壇に月命日のご挨拶をして、炊飯器ONとして居なかったので、朝食は自作のジャガイモと残り卵を茹でてのジャーマンスタイルとする。塩を利かして茹でたから美味い。
息抜きに庭降りは必要ながら、この雨では儘為らぬ。場所を廊下に変えて、ラジオをBGMに頁進めをするしか昼の時間帯は無さそうで在る。涼しい分、好しとすべしで在ろうか。
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