長駄文館・・・何時まで続く、この暑さ為り。
- 2022/08/09
- 13:14
何時まで続く、この暑さ為り。(8/9/22)
今年の草だらけにはホトホト参って、降参するしか無い。昨日は雨が降らなかったので朝のお仕事はホース散水とジョロ散水の配りで、汗だくと為って仕舞った。
痩せはしないが、キリギリス同様にベジタリアンの、夏に絡め捕られて居る食で在る。四季の国・日本に暮らすので在るから、春夏秋は野菜、果物が主体と為るのも自然と共生関係を持って生きて来た日本人の食生活の一環で在ろう。
ネット、ネットを介したテレビ報道では統一教会と政治との関わり合いとの由で、活気付いて居る模様では在るが、無信仰者の私には、興味の湧かない次第で在る。
何事もギブ&テイクの持たれ合いに陥ると、惰性に流されてぬるま湯に、どっぷり浸かって神経、感覚が麻痺して来るのが、習慣性動物の特性と云う物なのだろう。マスゴミ界もコロナ、ウクライナ戦争、参議院選、安倍元首相の暗殺事件、統一教会と政治家との関わり合いと、商業ベースの現代瓦版を営業して居る以上は、バナナの叩き売り上、炊き付ける道具が必要で在るから、商売繁盛と云う事なのだろう。
歳の所為か、暑さの所為か、この処、脳細胞が弛緩し切って歴史人物の名前が一向に出て来ない事が度々あって、とうとう呆けの入口に入って来たかの情けなさを感じて居る。仕方の無いと諦めて仕舞えば、それまでの事では在るが、それでは生きて居る以上詰まらない事で在るから、コンチクショーと頁を捲って、記憶するので在るが、少し経つと『誰だったけ』と、四人の中の一人の名前が、またまた出て来ないので在る。いやはや、困った体たらく振りに陥って居る昨今で在る。
まぁそれでも、周囲と比較して同じ内容の話をクドクドとする訳でも無し、唯詰まらなそうに歩いて居る訳でも無しで在るから、然程の老域に差し掛かって居る訳でも無さそうで在る。
コンチクショーと思って、頁を捲って、そうそうと思って、また名前が出て来ないスカンポ脳の弛緩程度に苦笑いして居る次第ながらも、或る意味、それは「老い行く自分観察」で在る。それはそれで、愉しいので在るから、人間とはつくづくと歳をとって見ないと観えて来ない物ばかりなので在る。
人其々、趣味、思い、価値観、人生観と云う物が在るから、趣味、感性の合った言葉のキャチボールは愉しい一時と為るが、世の中はそう簡単には出来て居ないから、面倒な物なので在る。
世の中とは弛緩し切った日々の中に居ると、如何しても自分を中心にして回る『天動説』と為って仕舞うから、多かれ少なかれ我流価値観の衝突を来たして仕舞う事も在る。毎日が日曜日の柵解除の日々に埋没して居ると、富に近視眼が先行して仕舞い、地動説の個々諸々事を調整する気配りが退歩して仕舞い、『唯我独尊の偏屈人間』への傾向を辿って行く物らしい。
斯く云う私も、その典型なのだろうが、困った物で在る。
昨日に引き続いて、風の通りは申分無いが、暑い空気と成って来た。さて、裸爺に移行して、朝飯を食べると致しましょうかね。
朝飯終えて、涼しい内に勉強タイムすべし
玄関、庭に打ち水して、インドの地図広げる
16,18Cのポルトガル、英仏の植民地戦争の地を追う
ディヴ沖海戦、カーナティックの戦い、プラッシーの戦い
昔も今も変わらぬ、禿鷹共が覇権バトルの跡為り
セミ、キリギリスせっせと鳴き、通る風に風鈴チリチリ鳴り、蝶が舞う
然れども 今日も魔の時間帯に突入せり 吾れ本を閉じて シャワーを欲す為り。
今年の草だらけにはホトホト参って、降参するしか無い。昨日は雨が降らなかったので朝のお仕事はホース散水とジョロ散水の配りで、汗だくと為って仕舞った。
痩せはしないが、キリギリス同様にベジタリアンの、夏に絡め捕られて居る食で在る。四季の国・日本に暮らすので在るから、春夏秋は野菜、果物が主体と為るのも自然と共生関係を持って生きて来た日本人の食生活の一環で在ろう。
ネット、ネットを介したテレビ報道では統一教会と政治との関わり合いとの由で、活気付いて居る模様では在るが、無信仰者の私には、興味の湧かない次第で在る。
何事もギブ&テイクの持たれ合いに陥ると、惰性に流されてぬるま湯に、どっぷり浸かって神経、感覚が麻痺して来るのが、習慣性動物の特性と云う物なのだろう。マスゴミ界もコロナ、ウクライナ戦争、参議院選、安倍元首相の暗殺事件、統一教会と政治家との関わり合いと、商業ベースの現代瓦版を営業して居る以上は、バナナの叩き売り上、炊き付ける道具が必要で在るから、商売繁盛と云う事なのだろう。
歳の所為か、暑さの所為か、この処、脳細胞が弛緩し切って歴史人物の名前が一向に出て来ない事が度々あって、とうとう呆けの入口に入って来たかの情けなさを感じて居る。仕方の無いと諦めて仕舞えば、それまでの事では在るが、それでは生きて居る以上詰まらない事で在るから、コンチクショーと頁を捲って、記憶するので在るが、少し経つと『誰だったけ』と、四人の中の一人の名前が、またまた出て来ないので在る。いやはや、困った体たらく振りに陥って居る昨今で在る。
まぁそれでも、周囲と比較して同じ内容の話をクドクドとする訳でも無し、唯詰まらなそうに歩いて居る訳でも無しで在るから、然程の老域に差し掛かって居る訳でも無さそうで在る。
コンチクショーと思って、頁を捲って、そうそうと思って、また名前が出て来ないスカンポ脳の弛緩程度に苦笑いして居る次第ながらも、或る意味、それは「老い行く自分観察」で在る。それはそれで、愉しいので在るから、人間とはつくづくと歳をとって見ないと観えて来ない物ばかりなので在る。
人其々、趣味、思い、価値観、人生観と云う物が在るから、趣味、感性の合った言葉のキャチボールは愉しい一時と為るが、世の中はそう簡単には出来て居ないから、面倒な物なので在る。
世の中とは弛緩し切った日々の中に居ると、如何しても自分を中心にして回る『天動説』と為って仕舞うから、多かれ少なかれ我流価値観の衝突を来たして仕舞う事も在る。毎日が日曜日の柵解除の日々に埋没して居ると、富に近視眼が先行して仕舞い、地動説の個々諸々事を調整する気配りが退歩して仕舞い、『唯我独尊の偏屈人間』への傾向を辿って行く物らしい。
斯く云う私も、その典型なのだろうが、困った物で在る。
昨日に引き続いて、風の通りは申分無いが、暑い空気と成って来た。さて、裸爺に移行して、朝飯を食べると致しましょうかね。
朝飯終えて、涼しい内に勉強タイムすべし
玄関、庭に打ち水して、インドの地図広げる
16,18Cのポルトガル、英仏の植民地戦争の地を追う
ディヴ沖海戦、カーナティックの戦い、プラッシーの戦い
昔も今も変わらぬ、禿鷹共が覇権バトルの跡為り
セミ、キリギリスせっせと鳴き、通る風に風鈴チリチリ鳴り、蝶が舞う
然れども 今日も魔の時間帯に突入せり 吾れ本を閉じて シャワーを欲す為り。
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