長駄文館・・・久し振りに湯船に浸かる為り。
- 2022/08/15
- 12:59
久し振りに湯船に浸かって、リラックス日とする為り。(8/15/22)
昨日は倅ファミリーの持ち込みで、缶ビールを2本飲んでの大食いで在った。孫達はデカク為る物で、部屋が小さく成る。流石に、夜は食べられずに、イランの美人さんの民族料理の動画を見ての就寝で在った。
漸く戻って来た世界史備忘録に挿入を施したり、差し替えをしたりで、在るべき物が在ると、矢張り気分が落ち着くと云う物で在る。下チビにチョウとカメレオンの額絵をプレゼントすると大喜びで在った。
本日は曇天の涼しさで在るから、最後の草の巣窟の家庭菜園部分の草抜きをして、一応の人間の勝ちとしたが、藪蚊の集中攻撃を受けてムヒ塗りとして、痒い痒いの段で小部屋入りして、モーニングコーヒーとして居る次第で在る。
雨が落ちて来た模様で、風が些か肌寒い。飯が炊けたら、塩振りをして置いた好物の塩鱒を焼いて、漬け物、ナスとインゲンの煮付け、卵掛け飯に海苔で朝飯として、久し振りに湯張りをして長風呂をして見ると致そうか。日本人で在るから、シャワーばかりだと堪能し無い次第で在る。
野球中継のラジオを持っての風呂浸かりとする。昨日の動画のシーンを振り返ると人間と家畜の関係に思いを馳せると、不思議な思いがする物で在る。イラン料理の舞台は要らんの山中の村で在る。地図で云う処のイラン高原の範疇なのだろうが、高い原と云う地形では無く、険しい山中での暮らしにしか見えない。山中の暮らしだけ在って、鶏、ガチョウ、牛などが放し飼いの身近な場所に居るし、猫、犬も、其々に人間との距離を保ちつつ生活して居る。
食料と為る鶏、ガチョウ達は首を落とされ、羽毛を抜かれた儘で、洗われ積まれて居るその横で、何とも思わずに動き回って居るし、人間の世話に為って居る様は、人間の想像力の埒外の人間と家畜の開けぴろ気な、極自然の関係に見えて来るから、不思議な物で在る。
有畜農業と云うだけ在って、山村の限られた仕切りの中での生活の基本は、『自給自足の形態』で在るから、穀物、野菜、果物の果実同様に家禽の鶏、ガチョウ達も同様に卵、肉を果実として人間の管理の上で作物とされて居る関係なのだろう。
餌と安全の対価が、卵と肉と云う即物的な人間と家禽と双方が割り切って居るのかも知れない。調理屑、食べ残しは家禽、犬、猫達が美味そうに奇麗に仕末をして居れる。原始の時代から生活圏を重複させて来たのが大小の家畜化の始まりだったそうな。勿論、栽培種も、養殖種も、その範疇で在る。人類発展のスタートが自然・野生の獲得経済から栽培・飼育と云う生産経済への発明だったそうな。
続いてクリックしたのが、『小麦を刈って美味しいパンを作りました』のタイトルのウクライナ?の夫婦らしき動画で在った。
夫婦はオンボロ乗用車で麦畑に麦刈りに行き、一束の小麦を鎌で刈り採って来る。それをシートの上で中世の農民の様に棒の先に麦穂叩きを結んだ原始的な方法で、麦粒を落として、木製の擂り潰し器で麦粉に挽く。
そして、その粉にイースト菌と水・塩を加えて練り上げて、発酵を待ち、各種の調味料を加えてパン生地を作って、切り分け、丸めて薪オーブンで大量のパンを焼く動画で在る。
米研ぎをして飯を主食とする目からすると、あの程度の小麦の分量で、あれ程のパンが出来るので在るから、パンは腹持ちがしない分、肉食と為るのだろうと、イースト菌の膨張には驚き入る次第で在った。
西洋文化圏のパンと、中東・インド圏の薄焼パン、ナンと米のリゾットの食習慣の違いも、趣味のライフワークのツマに為って、映像を見るだけで、何かと参考に為って愉しい物で在る。
こんな風呂タイムをして呉れば、降ると思った雨は、本のパラリで終わって仕舞った。
未だ11時前で在るか。ミニトマトを採って、昔ブドウの色付きを覗いて見れば、結構な色付きで一つ摘んで味見をすれば、未だ未だ酸っぱい。キリギリス達の餌替えをして、曇天にして風通りの好さで在るからして、横に為って暑さ疲れの癒しタイムをして置くと致そう。
湯上りの気持ちの好さに寝入って仕舞い、ピンポンで起きる。おやおや、0時半で在るか。さて、仏壇のお供え物を摘んで午後の部に入ると致そう。
昨日は倅ファミリーの持ち込みで、缶ビールを2本飲んでの大食いで在った。孫達はデカク為る物で、部屋が小さく成る。流石に、夜は食べられずに、イランの美人さんの民族料理の動画を見ての就寝で在った。
漸く戻って来た世界史備忘録に挿入を施したり、差し替えをしたりで、在るべき物が在ると、矢張り気分が落ち着くと云う物で在る。下チビにチョウとカメレオンの額絵をプレゼントすると大喜びで在った。
本日は曇天の涼しさで在るから、最後の草の巣窟の家庭菜園部分の草抜きをして、一応の人間の勝ちとしたが、藪蚊の集中攻撃を受けてムヒ塗りとして、痒い痒いの段で小部屋入りして、モーニングコーヒーとして居る次第で在る。
雨が落ちて来た模様で、風が些か肌寒い。飯が炊けたら、塩振りをして置いた好物の塩鱒を焼いて、漬け物、ナスとインゲンの煮付け、卵掛け飯に海苔で朝飯として、久し振りに湯張りをして長風呂をして見ると致そうか。日本人で在るから、シャワーばかりだと堪能し無い次第で在る。
野球中継のラジオを持っての風呂浸かりとする。昨日の動画のシーンを振り返ると人間と家畜の関係に思いを馳せると、不思議な思いがする物で在る。イラン料理の舞台は要らんの山中の村で在る。地図で云う処のイラン高原の範疇なのだろうが、高い原と云う地形では無く、険しい山中での暮らしにしか見えない。山中の暮らしだけ在って、鶏、ガチョウ、牛などが放し飼いの身近な場所に居るし、猫、犬も、其々に人間との距離を保ちつつ生活して居る。
食料と為る鶏、ガチョウ達は首を落とされ、羽毛を抜かれた儘で、洗われ積まれて居るその横で、何とも思わずに動き回って居るし、人間の世話に為って居る様は、人間の想像力の埒外の人間と家畜の開けぴろ気な、極自然の関係に見えて来るから、不思議な物で在る。
有畜農業と云うだけ在って、山村の限られた仕切りの中での生活の基本は、『自給自足の形態』で在るから、穀物、野菜、果物の果実同様に家禽の鶏、ガチョウ達も同様に卵、肉を果実として人間の管理の上で作物とされて居る関係なのだろう。
餌と安全の対価が、卵と肉と云う即物的な人間と家禽と双方が割り切って居るのかも知れない。調理屑、食べ残しは家禽、犬、猫達が美味そうに奇麗に仕末をして居れる。原始の時代から生活圏を重複させて来たのが大小の家畜化の始まりだったそうな。勿論、栽培種も、養殖種も、その範疇で在る。人類発展のスタートが自然・野生の獲得経済から栽培・飼育と云う生産経済への発明だったそうな。
続いてクリックしたのが、『小麦を刈って美味しいパンを作りました』のタイトルのウクライナ?の夫婦らしき動画で在った。
夫婦はオンボロ乗用車で麦畑に麦刈りに行き、一束の小麦を鎌で刈り採って来る。それをシートの上で中世の農民の様に棒の先に麦穂叩きを結んだ原始的な方法で、麦粒を落として、木製の擂り潰し器で麦粉に挽く。
そして、その粉にイースト菌と水・塩を加えて練り上げて、発酵を待ち、各種の調味料を加えてパン生地を作って、切り分け、丸めて薪オーブンで大量のパンを焼く動画で在る。
米研ぎをして飯を主食とする目からすると、あの程度の小麦の分量で、あれ程のパンが出来るので在るから、パンは腹持ちがしない分、肉食と為るのだろうと、イースト菌の膨張には驚き入る次第で在った。
西洋文化圏のパンと、中東・インド圏の薄焼パン、ナンと米のリゾットの食習慣の違いも、趣味のライフワークのツマに為って、映像を見るだけで、何かと参考に為って愉しい物で在る。
こんな風呂タイムをして呉れば、降ると思った雨は、本のパラリで終わって仕舞った。
未だ11時前で在るか。ミニトマトを採って、昔ブドウの色付きを覗いて見れば、結構な色付きで一つ摘んで味見をすれば、未だ未だ酸っぱい。キリギリス達の餌替えをして、曇天にして風通りの好さで在るからして、横に為って暑さ疲れの癒しタイムをして置くと致そう。
湯上りの気持ちの好さに寝入って仕舞い、ピンポンで起きる。おやおや、0時半で在るか。さて、仏壇のお供え物を摘んで午後の部に入ると致そう。
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