長駄文館・・・悪口打って居る内に、
- 2022/09/15
- 11:11
悪口打って居たら、股関節の快方の運び為り。(9/15/22)
日中はウンザリする程の暑さ続きでは在るが、朝の涼しさで寝足りないと思う起床で在る。昨日は如何した訳か、老化現象で左股関節が痛く、歩くに遺憾いかんの態で在った。生きて居る以上は、時々、そんな事も出て来る物で在る。自転車も乗って居たら変だなと思って居たら、帰りはパンクで、その修理と相成った。
まぁ、する事の無い爺で在るから、『余り苦に為らず』で在った。
全戸開放と炊飯器ONで、塩出しをして置いた2パックの本瓜を大笊に並べての日干しとする。明日は8時からの河川敷ボランティアで、やれやれの段で在る。
昨日は久し振りに貼り付けに、東京大衆音楽団?が在ったので、それを聴いて、その音声インタビューの貼り付けが在ったので、これは好いと思って清聴した。
その人に、経偉、想い在りで、内面を知る事で、兄弟4人の構成音楽団は、聴く人達の心の中に在る郷愁への風景、出来事、時代の匂いを蘇らせる街角大衆音楽団で在る。日本人の郷愁を凝縮した様な、戦前、戦後の流行歌に自分の想いを込めた選曲、歌唱法、アコーディオン、ベース、バンジョーと、コブシを敢えて使わないレトロの世界の再現で在る。オーソドック、レトロに大衆音楽と云う、日本人の心の原風景を提供しようと、長兄の下に掛ける思いと兄弟の通い合う感情も見えて来る。
こう云う事を知るか知ら無いかでは、鑑賞にも差が出て来る物で、視覚・聴覚以上に、兄弟4人の内面にも視聴覚が及んで、立体的鑑賞が出来る処が、これまた愉しみが出て来ると云う物で在る。
内面は体出し、体出した形、歌の表情は、内面を写す。相撲で云う処の心・技・体の一体感は一幅の絵画に等しい。
自称・美術館巡りが趣味と云うYは、パンプレットを持って来て、素晴らしかった。大した物だと云うだけで、何の何処が、如何して凄い、大した物だとの、自分の鑑賞眼の具体的言及の無い処が、刺激的・参考的言葉のキャッチボールの出来無い物足り無さで在る。
感受性、感性、論理構成の仕方、表現力も違い過ぎるから、致し方の無い次第では在るが、通り相場的な一過性感嘆符で片付けられて仕舞うと、早々は迎合お付き合いのキッチボールも出来兼ねるのが、私の本音なのだが。
俗物の度が過ぎると、私も耐性に乏しい感情の動物で在るから、こっぴどく論破をして仕舞う。然しながら、Yは人間が出来て居ると云うか、最大の武器・鈍感力で、性懲りも無く顔を出すから、困った男なので在る。
性格的に質問ばかりして来るので、私も『腹いせ』に質問をすると、『知ってる癖に、俺を試そうとしてるな。その手には乗らんぞ』の笑いで『誤魔化』して仕舞うから、手に負えない世間達者物で在る。
私としたら、それは飽くまで私の主観的字句解釈で在るから、世間の広いYからの解釈を聴いて、主観から客観への『軌道修正』を願っての事なのだが、ケンもホロロに一蹴して仕舞う。人間習性からすると、質問に答えるよりも、質問する事の方が何十倍も楽に決まって居る。
従って、私の様な小心者の真面目人間には、手に負えない俗物見本なので在る。
結構、気が合って、親しかった様な吾が天敵女殿も、余りにも呆気無く他界の段と為って仕舞った。そんな次第で、またチョコチョコと顔出しをする機会も出て来るのだろう。
Yとのエロ話は好き者同士で、大いに盛り上がる次第では在るが、好い歳をこいた古希坂爺のエロ談義も、不沈戦艦為らば、実践応用の場が在ろうが、哀しいかな『腐チン同士』と在っては、既に妄想夢にも見放されて居るから、話も中折れと為って仕舞う。アハハ。
調子こいて、Yの悪口打ちをして居る間に、トイレに立ったり、飯を食べたり、庭降りの息抜きをして居る間に、股関節の違和感が薄らいで来て居る。
Yの奴も大くしゃみの連発をして、誰か、俺の悪口を言って居るなの『勘働き』をさせて居るのかも知れぬ。ニャハハ!!
さてさて、今日も暑い空気が蔓延して来た。涼しい所に移動すると致しましょうかね。
日中はウンザリする程の暑さ続きでは在るが、朝の涼しさで寝足りないと思う起床で在る。昨日は如何した訳か、老化現象で左股関節が痛く、歩くに遺憾いかんの態で在った。生きて居る以上は、時々、そんな事も出て来る物で在る。自転車も乗って居たら変だなと思って居たら、帰りはパンクで、その修理と相成った。
まぁ、する事の無い爺で在るから、『余り苦に為らず』で在った。
全戸開放と炊飯器ONで、塩出しをして置いた2パックの本瓜を大笊に並べての日干しとする。明日は8時からの河川敷ボランティアで、やれやれの段で在る。
昨日は久し振りに貼り付けに、東京大衆音楽団?が在ったので、それを聴いて、その音声インタビューの貼り付けが在ったので、これは好いと思って清聴した。
その人に、経偉、想い在りで、内面を知る事で、兄弟4人の構成音楽団は、聴く人達の心の中に在る郷愁への風景、出来事、時代の匂いを蘇らせる街角大衆音楽団で在る。日本人の郷愁を凝縮した様な、戦前、戦後の流行歌に自分の想いを込めた選曲、歌唱法、アコーディオン、ベース、バンジョーと、コブシを敢えて使わないレトロの世界の再現で在る。オーソドック、レトロに大衆音楽と云う、日本人の心の原風景を提供しようと、長兄の下に掛ける思いと兄弟の通い合う感情も見えて来る。
こう云う事を知るか知ら無いかでは、鑑賞にも差が出て来る物で、視覚・聴覚以上に、兄弟4人の内面にも視聴覚が及んで、立体的鑑賞が出来る処が、これまた愉しみが出て来ると云う物で在る。
内面は体出し、体出した形、歌の表情は、内面を写す。相撲で云う処の心・技・体の一体感は一幅の絵画に等しい。
自称・美術館巡りが趣味と云うYは、パンプレットを持って来て、素晴らしかった。大した物だと云うだけで、何の何処が、如何して凄い、大した物だとの、自分の鑑賞眼の具体的言及の無い処が、刺激的・参考的言葉のキャッチボールの出来無い物足り無さで在る。
感受性、感性、論理構成の仕方、表現力も違い過ぎるから、致し方の無い次第では在るが、通り相場的な一過性感嘆符で片付けられて仕舞うと、早々は迎合お付き合いのキッチボールも出来兼ねるのが、私の本音なのだが。
俗物の度が過ぎると、私も耐性に乏しい感情の動物で在るから、こっぴどく論破をして仕舞う。然しながら、Yは人間が出来て居ると云うか、最大の武器・鈍感力で、性懲りも無く顔を出すから、困った男なので在る。
性格的に質問ばかりして来るので、私も『腹いせ』に質問をすると、『知ってる癖に、俺を試そうとしてるな。その手には乗らんぞ』の笑いで『誤魔化』して仕舞うから、手に負えない世間達者物で在る。
私としたら、それは飽くまで私の主観的字句解釈で在るから、世間の広いYからの解釈を聴いて、主観から客観への『軌道修正』を願っての事なのだが、ケンもホロロに一蹴して仕舞う。人間習性からすると、質問に答えるよりも、質問する事の方が何十倍も楽に決まって居る。
従って、私の様な小心者の真面目人間には、手に負えない俗物見本なので在る。
結構、気が合って、親しかった様な吾が天敵女殿も、余りにも呆気無く他界の段と為って仕舞った。そんな次第で、またチョコチョコと顔出しをする機会も出て来るのだろう。
Yとのエロ話は好き者同士で、大いに盛り上がる次第では在るが、好い歳をこいた古希坂爺のエロ談義も、不沈戦艦為らば、実践応用の場が在ろうが、哀しいかな『腐チン同士』と在っては、既に妄想夢にも見放されて居るから、話も中折れと為って仕舞う。アハハ。
調子こいて、Yの悪口打ちをして居る間に、トイレに立ったり、飯を食べたり、庭降りの息抜きをして居る間に、股関節の違和感が薄らいで来て居る。
Yの奴も大くしゃみの連発をして、誰か、俺の悪口を言って居るなの『勘働き』をさせて居るのかも知れぬ。ニャハハ!!
さてさて、今日も暑い空気が蔓延して来た。涼しい所に移動すると致しましょうかね。
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