長駄文館・・・やれやれ、一向に気乗りせず為り。
- 2022/10/10
- 13:39
やれやれ、一向に気分乗りせず為り。(10/10/22)
天気予報の前倒しの雨は、朝方まで降り続いて居たが、漸く止んだ起床時で在る。それが今度は強風と来て居るから、甘柿の木は正に木枯らし状態に晒されて居る。起床としたから、習慣の全戸開放の空気の総入れ替えと、取り込んで置いた吊るし柿と剥き皮を外に出す。洗濯物は廊下で外気に当ててから始末するとして、先ずはラジオONで、モーニングコーヒーとする。
それも束の間に、アジァジァ、笊が風でひっくり返って仕舞った。やれやれ、仕事が出来て仕舞った。皮拾いをして、全戸開放のサッシ、窓を細めて来る。風が収まったら、落ち葉掻きを強いられる次第で在る。
寒さの続いた2日間で、二冊の読み進めは、それなりに進んだが、寒さからの解放が強風と在っては、気分的に芳しくない。強風の吹き捲りに、時に薄日が差したり、雨がパラ付いたりで、寒くないだけが取り柄のお天気さんで在る。天気予報だと、雨と曇りとの事で在るから、ウエートは雨に在りそうで在る。
飯も炊き上がって居るから、先ずは腹こしらえとすると致そう。新米の美味さでは在るが、小部屋入りの食後の茶としても、強風の外を眺めて居ると、益々、遣る気が萎えて来る次第で在る。困った物では無いか。
ハイテンポのラジオを聴いて居ると、その落差が大きく為って、スローテンポの洋楽テープに切り替えた次第で在る。遺憾いかん、こんな日は仕方が無いから、不貞寝の導入剤で、少し頁捲りをして仕切り直しをして来るしか在るまい。
寝所で梅酒をストレート飲みしながら、田作りを噛み締めながら、本7頁も読み進めると、眠く為って来た。これ幸いにとまどろみの時間に入る。尿意に起きれば、正午の青空と成って居る。風は相変わらずの強さで在るが、早々は人間、眠れる訳では無い。
再び全戸開放をして、一連吊るしと柿皮の載った笊を外出しとして、風で飛ばされる洗濯物を乾いたので、畳み置く。熊手で掻きの落ち葉浚いをして、牡丹、芍薬、矮性ユリの根元に、詰め敷きとする。何しろ地味薄い石ころと砂の庭で在る。それでも毎年の雑草、落ち葉の土還元で、土目も黒々、ほっこりした腐葉土に、土壌改善が進んで居る次第で在る。柿の落ち葉も、甘柿から渋柿に徐々に移行して、これからは本丸の落ち葉時雨の下男に向かう次第で在る。
落葉に取り残された柿の実を高枝鋏を持って来て、半分程を採って、2つを昼飯代わりとして、仏壇にも季節の供え物とする。もう、雨の心配は無さそうでは在るが、強風は一向に収まらない。
春はジョービタキが去って、ツバメが遣って来る。ツバメが去って、ジョービタキが遣って来るのが、自然界の冬鳥と夏鳥の季節の折半シェアで在る。野鳥観察歴からすると、今日の様な強風に乗って、ジョービタキが飛来する例が、何度か在った次第で在る。
何れにしろ、間近い事で在る。観察者としては、体色は鮮やかながら、きびきびした動きで滞在時間の短い雄よりも、体色は地味なくすみ色では在るが、おっとりした雌の縄張り復活を望む処では在る。
然しながら、単独縄張りで越冬するジョービタキの習性で在るからして、彼等としても、縄張り決めは、大袈裟に言えば死活問題の決定と為るので、傍観者が立ち入る隙はない次第で在る。
奥深しい私としては、例年の『定点観察』と云う自然観察が出来るだけでも、有難いと思うべしで在る。へへへ。
天気予報の前倒しの雨は、朝方まで降り続いて居たが、漸く止んだ起床時で在る。それが今度は強風と来て居るから、甘柿の木は正に木枯らし状態に晒されて居る。起床としたから、習慣の全戸開放の空気の総入れ替えと、取り込んで置いた吊るし柿と剥き皮を外に出す。洗濯物は廊下で外気に当ててから始末するとして、先ずはラジオONで、モーニングコーヒーとする。
それも束の間に、アジァジァ、笊が風でひっくり返って仕舞った。やれやれ、仕事が出来て仕舞った。皮拾いをして、全戸開放のサッシ、窓を細めて来る。風が収まったら、落ち葉掻きを強いられる次第で在る。
寒さの続いた2日間で、二冊の読み進めは、それなりに進んだが、寒さからの解放が強風と在っては、気分的に芳しくない。強風の吹き捲りに、時に薄日が差したり、雨がパラ付いたりで、寒くないだけが取り柄のお天気さんで在る。天気予報だと、雨と曇りとの事で在るから、ウエートは雨に在りそうで在る。
飯も炊き上がって居るから、先ずは腹こしらえとすると致そう。新米の美味さでは在るが、小部屋入りの食後の茶としても、強風の外を眺めて居ると、益々、遣る気が萎えて来る次第で在る。困った物では無いか。
ハイテンポのラジオを聴いて居ると、その落差が大きく為って、スローテンポの洋楽テープに切り替えた次第で在る。遺憾いかん、こんな日は仕方が無いから、不貞寝の導入剤で、少し頁捲りをして仕切り直しをして来るしか在るまい。
寝所で梅酒をストレート飲みしながら、田作りを噛み締めながら、本7頁も読み進めると、眠く為って来た。これ幸いにとまどろみの時間に入る。尿意に起きれば、正午の青空と成って居る。風は相変わらずの強さで在るが、早々は人間、眠れる訳では無い。
再び全戸開放をして、一連吊るしと柿皮の載った笊を外出しとして、風で飛ばされる洗濯物を乾いたので、畳み置く。熊手で掻きの落ち葉浚いをして、牡丹、芍薬、矮性ユリの根元に、詰め敷きとする。何しろ地味薄い石ころと砂の庭で在る。それでも毎年の雑草、落ち葉の土還元で、土目も黒々、ほっこりした腐葉土に、土壌改善が進んで居る次第で在る。柿の落ち葉も、甘柿から渋柿に徐々に移行して、これからは本丸の落ち葉時雨の下男に向かう次第で在る。
落葉に取り残された柿の実を高枝鋏を持って来て、半分程を採って、2つを昼飯代わりとして、仏壇にも季節の供え物とする。もう、雨の心配は無さそうでは在るが、強風は一向に収まらない。
春はジョービタキが去って、ツバメが遣って来る。ツバメが去って、ジョービタキが遣って来るのが、自然界の冬鳥と夏鳥の季節の折半シェアで在る。野鳥観察歴からすると、今日の様な強風に乗って、ジョービタキが飛来する例が、何度か在った次第で在る。
何れにしろ、間近い事で在る。観察者としては、体色は鮮やかながら、きびきびした動きで滞在時間の短い雄よりも、体色は地味なくすみ色では在るが、おっとりした雌の縄張り復活を望む処では在る。
然しながら、単独縄張りで越冬するジョービタキの習性で在るからして、彼等としても、縄張り決めは、大袈裟に言えば死活問題の決定と為るので、傍観者が立ち入る隙はない次第で在る。
奥深しい私としては、例年の『定点観察』と云う自然観察が出来るだけでも、有難いと思うべしで在る。へへへ。
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