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長駄文館・・・へへへ、二本線続きの有難き哉。

                へへへ、二本線続きの有難き哉。(6/30/17)
 <その1>
 昼寝後の頁捲りも飽きて来たし、炒め辛子味噌の残りに味噌を足して、山椒葉・実を採ってアレンジをしようと採って、戻ろうとすると、前々から思って居た感じの好い奥さんが、座敷き犬の散歩で在る。目が会って仕舞ったので、コンニチワと声を掛けて見る。別段嫌な顔もされなかったから、勇気を振り絞って『ちょっと、俺の馬鹿絵でも見て遊んで行かないか』とお誘いをして見ると、OKの段で在る。こりぁ、幸運で在る。

 玄関に入れば、古びた下駄箱の上には、造花の花瓶に椰子の木の親子を模したオブジェ、彫りの入ったアフリカ雰囲気を発散させるカラフルな板画が三額並び、上がり廊下には南洋掛軸のヤモリのペイント画が三軸と、顔を分断された南洋能面を思わせる物が一軸掛かって居る。こんな雰囲気の絵画は、日本ではお目に掛かれない図柄の掛かりで在る。

 奥さんは直ぐ上がらず、度肝を抜かれて居る様子で在る。掛け軸のメーンの月・太陽・ヤモリ、その舌をエメラルドグリーンとライトブルーに彩色した大きな滴に、目が点と成って居る様子で、『この色合いは、奇麗で、凄いですね。』の感嘆で在る。

「好いずらい。こんな雰囲気の絵は、日本じゃお目に掛かれない。それでフィリピンに行った時に、何回か物色して回って買って来てね。俺一人で愉しむのは勿体無いから、出合ったら、『運の尽き』で強制連行させて貰ってるんだ。アハハ。中が、俺の馬鹿絵画廊に成って居るんですわ。どうぞ。」

 六畳には私の戯画が45点、ブログ仲間が私を描いて呉れた大きな水彩画、母の一番上の姉が母に贈って呉れた芸者衆二人を描いた日本画、プロが描いた風景画が掛かって居る。

「ウワァ、凄いボリュームで、ここは、完全な画廊じゃないですか。画家さんですか?」
「馬鹿扱いちゃ行けんわね。遣る事が無いから、描いて遊んでる戯け親父だわね。」
「私、絵が全然描けなくて、美術は2なんですけど、絵を見るのは好きなんです、」
「そうかい、じぁ俺の音楽は1で歌えないけど、聴くのは好きと同じだ。全部出来る人は居らんわ。全て、描く、奏でる、歌う、観る、聴くで、分業と思えば自由に成れるわね。アハハ。」

 奥さんの雰囲気が話し易いので、あれやこれやと話しがスムーズに進んで行く。夢奇譚の挿絵が多いから、ネットを遣って居ればと云うと、ブログは自分ではして居ないが、色んなものを検索して居るとの由。ブログ名を教えると早速、検索して見るとの由。

 現代は、何かと話す事をしなくなって仕舞った世の中で在る。私の戯画廊を気軽に友達を誘っての『談話室』に提供したいとの動機を話すと、即、それは有難い事だから、友達、子供を連れて来て好いですかと云って呉れる。どうぞどうぞ、大いに利用すべしで、自由にセルフサービスで歓談して行って、応える。

 気に入った絵が在ったらリクエストして呉れれば、原画をコピーして遣るから、後は自分で色鉛筆で色塗りをして、D2で額を買って来て入れれば、部屋のアクセントにも成ると云うと、是非との由。

 学校時代のお喋り友達、ママ友も居る事で在ろうから、気軽に談話室に使い、お喋りをしながら、コピー画に色塗りして行くのも好し。絵の説明が聞きたければ、廊下で声を掛けて呉れれば、自室から説明に馳せ参じると付け加える。あはは。

 余りのスムーズな話の流れに、聞けば奥さんは二本線の後輩さんとの由。旦那も二本線で、子供も二本線に入れたいとの由で在る。成る程、二本線の後輩さんなら話がスムーズに進む訳である。二本線と知ったら、他人では無い。今年は大豊作だった野苺ジャムが、未だ冷蔵庫には充分在る。パッとした器は無かったが、後輩さんに一つプレゼントすると、表情を崩して『大喜び』で在る。

「家の庭の、先祖返りした野苺ジャムの一番の食仕方は、このコンデンスミルクをたっぷりと垂らして、デザートとして食べるか、ダブルソフトパンに載せて食べると、パンケーキの食感に成るから、遣って見てよ。」

「有難う御座います。声を掛けられて、厚かましくもお邪魔したら、ラッキーの連続で。庭の手作り苺ジャムまで頂戴して、通の食べ方まで教えて貰って・・・
同じ町内でも顔は知ってても素通りしちゃうのが普通でしたけど、本当に今日はラッキーの連続で、今度は子供を連れて来ます。」

「あいあい、『近未来の後輩さん』に成るかも知れんから、早い処、二本線雰囲気に慣らして、『誘因』付けて置いた方が好いわね。へへへ。Kちゃんの家に行った時に、旦那と娘さんと犬の散歩してたでしょう。出来の好さそうな娘さんだったわね。是非とも二本線へ。そうすりぁ、二本線男達が喜ぶわね。へへへ。」

 いやはや、世の中とは真に奇妙に出来て居る物で在る。草刈助っ人絡みで2級先輩、班長絡みで1級先輩のKちゃんと半世紀振りにばったりで、あれよあれよの旧交大復活、そして大柄美形の気さくな後輩さんとの遭遇と、『二本線絡みの奇遇』を頂戴した次第で在る。『人畜無害』に徹すれば、閉じ籠もりロートル独居生活にも、何かとお天道の陽は当たると云う事なのだろうか。

 ホタル見散歩に出掛けようとしたら、雨が降って来た。雨の様子を見ようと、前倒しの明日分のこのブログを打つ事とした。二畳小部屋の小窓を開ければ、雨は無い様で在る。余りの好き運びに、『妖怪様のご助力』を感じない訳には行かない次第でも在る。へへへ。

 丁度、字数も頃合いに成って来た事でも在るからして、これにて打ち止めて、限られた日数のホタル散歩に出掛けて参りまする。有難や、有難や。

 <その2>
 明けて本日、庭サンダルの底に『緩いお湿り』を残して居る朝で在る。梅雨時特有の曇天は、何時降って来ても不思議では無い雲行きで在る。黄色の熟した梅が落ちて居るので、朝のウォーミングアップに梅採りをする事にする。

 去年が生り年で在ったから、今年の実付きはお恥ずかしい限りの『少なさ』で在る。これでは庭の赤紫蘇が、余りに余って仕舞う次第で在る。それでも梅と赤紫蘇は、古来よりセットの生育で在るからして、『添い寝』をさせて遣るのが、人間の務めと云う物で在る。

 赤紫蘇の群生した所を抜いて遣らないと、小玉スイカの成長期で在るから場所空けとして遣らねば為らない。斯様にして自然界とは時季のサイクルの中で『棲み分け』をして居る様は、大いに人間が見習わなければ為らない『自然の摂理』と云う物で在る。現役の頃は、仕事に託けて、人間の勝手ばかりで人生を送って居た次第で、『自然観望、自然の営みの妙』には、何かと思考回路が働かなかった次第で在る。

                別に、それを後悔する気持ちは無い。

 人間の一生は、誕生⇒死の過程を『放物線或いは円』を描く様に、無から生まれて無に還る軌跡を示すだけの事で在る。従って、人生の幼児期・少年期・青年期・壮年期・初老期・衰老期の其々の時期を放物線乃至は円の軌跡上で、自然の植物達が時季を棲み分けするが如く『其々の期』を歩んで行けば良いだけの事で在る。

 遊ぶ時期には真っ黒に成って夢中且つ腕白に遊び、学ぶべき時期には我武者羅に学び、実践・指導すべき時はそれをする。その役目が終われば、諸々の柵から自分を解放して、『寂滅』を目標に小さき者達への観察などに向けて、越して来た人生を時折に思い出したり、反芻して行く『総合的心の安定期』に、日々を送れば好いだけの事で在る。

 こんな極当たり前の人間の一生航路に於いて、殊更、宗教、哲学が必要なのか、私にはピンと来ない次第で在る。普通に考えれば、大概の人間は、その方向に歩を進めるのが『自然の道行き』と為ろう物を、世の中は、『頭でっかち、鈍感者』が多過ぎる帰来が在る。

 この過程は『天寿を全うする幸運の中』でこそ、可能と成る事でも在る。心ならずも途中で事故、病い、失敗で放物線乃至は円の途中で人生の幕を閉じざるを得ない『不幸』に見舞われる事が屡(しばしば)在る。

 これが『諸行無常の人生観』に繋がるのだろうが、余り頭でっかち、上品に首肯する事でも無かろうに。頭を剃髪して寂聴などと称しても、三つ子の魂、百までの『自己顕示欲に満ちた御仁』も居られる次第なので在るからして。

 数少ない今年の梅をバケツに捥いで居ると、ゴミ出しに来たご近所さん達が、声を掛けて来る。<下衆哲学の時間の邪魔をするな>とは、小心者の私には口が裂けても言えないが、これもご近所付き合いの常で在る。へへへ。

 柿の木の下に水を張った容器に、バケツの梅を開けて脚立を移動しながら梅採りを続行させる。いやはや、余りの少なさに、今年の梅干しは赤紫蘇が効いて、真っ赤に染まる事だろう。

 さてさて、モーニングコーヒーと節煙の一服後は、朝飯と致しましょうかね。おやおや、足元の睡蓮鉢には、グッピィ殿の稚魚が顔を覗かせて居るでは無いか。へへへ。


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